【映画】「ケアを紡いで」感想・レビュー・解説

とにかく印象的だったのは、「良い夫婦だな」ということ。僕が思う「良い」は、「お互いに何でも話が出来そうだ」という印象にある。もちろん、本当のところは「何でも」とはいかないかもしれない。ただ、「根治の難しい病気を抱えている」という、消し去り難い現実を間に挟んだ夫婦が、その中で、「お互いに、何でも話しても大丈夫だ」という雰囲気をちゃんと届けようとしている感じは間違いなくあったし、その事実がとても素敵に感じられた。

「AYA世代」という単語は、たぶんどこかで耳にした記憶はあるのだけど、人に説明できるほどの知識はなかった。「Adolescent(思春期)& Young Adult(若年成人)」の頭文字を取った言葉で、概ね「15歳から39歳のがん患者」を指す。何故そんなピンポイントな対象に名前がつけられているのかというと、「医療費制度と介護保険の谷間で、経済的な助成が得られる制度がほぼ存在しないから」だ。

映画の主人公であり、この映画の企画者でもある「鈴木ゆずな」は、撮影当時28歳だった。2020年の2月、27歳で舌がんのステージ4と宣告され、その後肺や脳への転移も判明した。映画上映後にはトークイベントがあり、そこで明かされたのが、この映画の撮影期間だ。監督は、2021年10月に「地域で共に生きるナノ」の代表である谷口眞知子から連絡をもらい。11月に初めて鈴木ゆずな・翔太夫妻と会ったのだが、そこから僅か20日間ぐらいしか撮影できなかったそうだ。何故なら、ゆずなさんが意識がほとんどない状態で入院することになったからだ。

ゆずなさんは、「AYA世代として、困っている他の人の何かの役に立てるなら」と、自分の現状を映像として記録してもらうことを望んだ。本当に、それがギリギリのところで叶ったといったところだろう。ゆずなさんは元々看護師として働いており、普通のがん患者より医学的知識を持っている。自分の置かれている状況についても、かなり深く理解していたことだろう。そういう中で、「自分の今を、誰かのために残してほしい」と思えることは素敵なことだと思う。

彼女は、旦那さんと2人でインタビューを受ける場面もあるが、「自分が病気だから」みたいな卑屈さを出したりせず、出来るだけ対等に振る舞おうとする。旦那さんの方も、「奥さんが病気だから」みたいな雰囲気をほとんど出さない。もちろんそれは「カメラの前だから」と捉える人もいるだろうし、どういう解釈でもいいが、僕の目には、お互いがとても良く結びつき合っている夫婦だと感じた。

しかしそんな夫婦でもやはり、「どうやって最期を迎えたいか」という話をするのはかなり難しかったそうだ。当たり前だろう。2人でそういう会話をするということは、そういう状態を2人ともが認めてしまうことになるから、なかなかそういう話は出来なかったと、夫の翔太さんが語っていた。

映画の中で僕的に印象的だったのは、ゆずなさんの(恐らくLINE上の)言葉だ。舌がんになったゆずなさんは、舌の左半分を切除し、太ももの筋肉を移植したこともあり、喋ることが少し不自由になっている。そのため、「自分の考えを伝えるのに文字も使わせてほしい」と監督に訴え、恐らくLINEでやり取りしたのだろう言葉が画面上に映し出される。

その中に、

【「ステージ4でも治る」とサラッと言う芸能人やメディアに苛立つ】

という言葉があった。同じ「がん患者」でも、癌腫・年齢・ステージ・個人の体力など様々な要因によって置かれている状況は異なる。また、「治らない・治療できないという状況になってしまう可能性も理解してほしい」とも語っていた。

ゆずなさんは、肺への転移後、抗がん剤治療を行ったのだが、色々試してもまったく効かず、「保険診療で使える抗がん剤はもう無い」という状況になってしまったそうだ。また、脳の場合はそもそも、抗がん剤が入っていかないため、放射線治療しかできない。ゆずなさんの2021年3月時点で既に「治療はできない」という状態になり、「緩和ケアを並進させる」という方針になったそうだ。

制度も然りだが、「すべてを満遍なくサポートすること」は難しい。しかしそうだとしてもやはり、「想像力ぐらいは失ってはいけない」と思う。そして、想像するためには、「知ること」が大事だ。そういう意味で、ゆずなさんが残した「記録」には価値があるのだろうと感じる。

僕としてもやはり、これからも、「その立場にならなければ理解し得ないこと」を積極的に知る意識を持ちたいと思う。

もう1つ、なるほどと感じたのは、「病院で働いていると、使える制度のことを知る機会がない」という話だ。これは、ゆずなさんが働いていた病院の先輩看護師が語っていたことだ。病院は「治す」ところであり、なかなか「治った後」のことには触れる機会がない。後輩であるゆずなさんががんになったことで、彼女はそのことに気付かされたそうだ。介護保険が適用されるなら、ケアマネジャーみたいな人がいて、様々な差配をしてくれるが、AYA世代にはそういう点でも対応が行き届いていない。結局ゆずなさんは、その先輩看護師の尽力により「地域で共に生きるナノ」に行き着き、そこで支援を得られることになった。そもそもゆずなさんには「使える制度が少ないこと」が問題なわけだが、「単に制度だけあっても仕方ない」という問題が提示されたこともまた、意味のあることだと感じた。

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