【映画】「リトル・ガール」感想・レビュー・解説

凄い映画だ。何よりも、サシャが凄い。

【「私は女の子だ」とずっと言い続けていました】

映画の中心にいるのは、男の子として生まれたが、心は女の子というサシャだ。映画は、サシャが小学2年生の時期を切り取っている。

【最初の頃はこう言っていました。「女の子になりたい」。
2歳半~3歳の頃にはもう。
あの子を理解するまで、私はその言葉を本気で受け止めなかった】

3歳の時点で既に、「自分は男の子だと思われているが、本当は女の子で、この現実が苦痛で仕方ないと感じて親に訴えていた」というわけだ。その事実に、まず驚愕させられた。

たぶんこの驚きは、僕の「誤解」があるのだろう。

最近、「性的マイノリティー」「LGBT」の話が、以前よりも耳にする機会が多くある。「SDGs」というキーワードが世間に浸透したことも大きいだろう。

ただ僕は、自分がLGBTではないし、周りにもそれをカミングアウトしている人はいない(1人だけ、「性的感情をまったく抱けない」という、いわゆる「アセクシュアル」と呼ばれる状態だと教えてくれた人はいる)。現状では直接的に自分に関わる問題ではないので、積極的に情報を収集したり、正しい理解を試みようという動機をそこまで強く持てていないというのが正直なところだ。

そういう状態の僕がLGBTに関する話題に触れる場合、それは「恋愛的なもの」と関係することが多い印象がある。つまり、「自分は女性で、女性が好きだと気づく」とか、「自分は男で男女どちらも好きだ」などだ。

そしてこのような話の場合、恋愛的なものを意識する年齢にならないとその自覚が難しいだろうし、僕が見聞きする話の多くも、思春期になってからそのことに気付いた、というものが多い。

そしてこの話と、サシャが直面しているいわゆる「トランスジェンダー」の話が、自分の中でゴチャ混ぜになっているのだろう、と改めて自覚した。

「トランスジェンダー」というのは、身体の性と心の性が異なることであり、これは別に「恋愛的なもの」とは関係ない。この映画では、「性別違和」という”病名”で説明される。医者が「最近呼び方が変わった」みたいなことを言っていたが、以前の呼び方が何なのかは知らない。

【おちんちんを嫌がっている。
子を産めないことも嫌だと。】

母親がサシャについてそう語るのだが、これも少なくとも小学2年生以前の話だ。その時点で既に「子を産めないこと」を嫌だと理解できているのは、なんだか凄い話だと思う。

映画の冒頭では、母親の「母親としての苦悩」が語られる。

【学校でも言われた。
サシャが女の子だと主張するのは親のせいでは?】

【4歳の時、サシャは「女の子になりたい」と言い続けた。
「それは無理よ」と私が言うと、サシャは辛くて泣き始める。
「ママの言葉に傷つけられて人生も夢も壊されてしまった」というような涙よ。
子どもが泣いている姿を目にすると、ひどいことを言ったと後悔する】

母親はまず、世間と闘うことになる。それは主に学校だ。この映画において、学校との闘いは1つの主軸となる。後で詳しく触れるつもりだが、とにかく「サシャの存在をひたすら認めない」という頑なさに驚かされた。

ある意味で偏見かもしれないが、フランスという国はもう少し進んだ国だとばかり思っていたから驚かされた。日本がLGBTなどの点で世界的に遅れているのは知っているが、そうか、フランスも決して進んでいるわけではないのか、と思い知らされた感じだ。

そして母親は、辛い現実に直面しなければならないサシャに「母親として向き合う辛さ」も語る。現実的に、サシャが望むような日常生活を送らせてあげることは難しい。その事実を、幼いサシャの言わなければならない苦痛を、母親は日々感じる。

そして母親は、「自分が悪かった」と責める。

【私は女の子を流産したことがある。それを知ってサシャは、男の子に生まれようとしたのかも】

【妊娠中に「女の子がほしい」と願ってしまったことが原因なのかもしれない】

後に医者から、「あなたは悪くありません」と断言してもらった母親は、ホッとした顔をしていた。

【母親でありたいと思うだけじゃダメなの】

映画の中のサシャの姿は、とても印象的だ。

【好きなバッグで通うことも、好きなペンケースを使うことも、スカートで通学することもダメ】

母親は、学校に通うサシャの苦労をこう語る。そしてサシャは、学校やバレエ教室など、自分が「女の子」として扱われない場では「無表情」と言っていいような表情でいる。笑ってもいないし、悲しんでもいない顔。何も感じていないような顔。

「悲しい」ということさえ表に出さないと決めている表情に、観ている側はもの凄く「悲しさ」を感じる。

【この子は私の前ではあまり話そうとしないんです。私を傷つけると思っているんです。私が傷つくかもしれない話題を避けています】

母親とサシャは、定期的にパリまで通い、医師と面談をしている。そこで母親が医師にこう伝える。医師から「何か言いたいことは?」と促されても、言葉少なに返事を返すだけ。

一番辛いのはサシャ自身なのに、「母親が辛いと感じることをなるべく避けたい」という気持ちが伝わってくるのも凄まじい。そして医師との面談中、抑えようとしているのに溢れてしまう涙と、その時の表情があまりにも悲しくて、忘れられない。

映画の中でサシャが泣くシーンは決して多くない。きっと普段から我慢しているのだと思う。だからこそ、その我慢が決壊して零れ落ちてしまう涙は印象的だ。

サシャの辛さの多くは、学校が生み出している。サシャが通う小学校は、サシャを「女の子」と認めない。母親は、「子どもたちは先生の態度を真似するから、サシャはみんなからも受け入れてもらえていない」と嘆く。

父親が印象的な表現をしていた。

【誰かを傷つけるわけじゃない。
崖から飛び降りろと言ってるわけじゃないんだ。
みんなが女の子扱いしてくれたらいいだけなのに】

本当にその通りだ。

この映画では、学校側の主張はほぼ取り上げられない。学校の中にカメラは入らないので、恐らく取材拒否されたのだろう。また、母親がパリから医師を呼んで「性別違和」について話を聞いてもらう場を設けたのだが、集まったのは保護者や友達だけで、学校関係者は1人も来なかったという。映画の中では、母親が何度か校長を出すように学校に電話をするが、校長と会話ができないという場面が続く。

現実的な問題は確かにあるだろう。例えば「男女どちらのトイレを使うのか」などだ。ただ、すべての問題を一気に解決しなければならない理由もないはずだ。サシャはとりあえず、スカートやワンピースで通学したいと思っているし、周りの子に「女の子」と呼んでもらいたいと思っている。それぐらいのことは、さほど難しい判断ではないだろう、と僕は思ってしまう。

【校長は学校の評判を気にしてるんだ】

【寛容な教師だっているはずだが、あの学校には1人もいない】

父親はこんなふうに憤慨を隠さない。

学校側の描写も主張もこの映画にはほとんど出てこないが、サシャと両親にとってはかなり大きな障害となるし、「学校とどう折り合いをつけるのか」は物語上とても大きなものとなる。

一方、視覚情報として驚かされるのがバレエ教室の描写だ。そのバレエ教室は、女の子しかいない。サシャがこのバレエ教室に通うことになった経緯は描かれていないので不明だが、サシャはこの教室で「男の子」として扱われる。

あからさまに「サシャ君」と君づけで呼ばれるし、衣装も1人だけ違うものが渡される。

とても残酷だ。特に、サシャだけまったく違う衣装を渡され、「あなたは明らかに違う」と強調される中で踊っているサシャの姿は辛い。

また同じ教室での話なのかは不明だが、母親が医師にバレエ教室での出来事を話す場面があった。ロシア人だというバレエ教室の先生は、サシャのことを理解せず、サシャを押して教室から追い出したそうだ。そして、

【こんな問題、ロシアには存在しない】

と言い切ったらしい。改めて、世の中の「不寛容さ」の凄まじさを思い知らされたような気分になった。

サシャには、ホルモンの分泌を抑える治療が選択肢として提示される。それによって、「身体が男性的になること」を抑えられるらしい。しかし当然、問題もある。生殖能力も抑えることになってしまうからだ。治療を開始してから一定期間内に治療を止めれば問題ないが、それを過ぎればもう、精子が成熟しなくなってしまうという。

それを8歳のサシャが決断しなければならない。凄い世界だと思う。

映画を観ながらずっと考えていたことは、世の中はこれまで以上に「目に見えるもの」だけで判断されがちだ、ということだ。これは、InstagramやTik TokなどのSNSが加速させている側面はあるだろう。そういう写真・映像系のメディアが隆盛になればなるほど、「目で見て判断できるものが重要なのだ」という価値観は強まるだろうし、そしてそのことが無意識の圧力となって、サシャのような人たちを苦しめる結果にもなっているのではないかと思う。

もちろんここには「偏見」の問題もあるわけだが、偏見を抱いている人を変えさせようと努力することは無意味だと思う。医師も、似たようなことを言っていた。

性別違和の話に関わらず、偏見は残念ながら無くならないし、そういう人からは積極的に遠ざかるしかない。

サシャが救いだったのは、家族が理解してくれたことだ。両親だけではなく、兄弟も理解を示している。特に長男のあるセリフには思わず笑ってしまった。母親が、サシャの件について学校と闘っていることについて長男と話している時、

【バカとは闘わなきゃ】

と発言するのだ。

良いこと言うじゃないか、長男。

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