【映画】「戦場のピアニスト 4Kリマスター版」感想・レビュー・解説

いやー、この映画、マジで今日観て良かったなぁ。

という話から始めようと思う。

まず、いつものことだが、僕は『戦場のピアニスト』という作品について何も知らずに観たので、そもそも「そうか、ユダヤ人の話だったのか」と見始めに思ったぐらいだ。で、そんな状態で観たので、「実話を基にしている」ということも知らなかった。そのことを知ったのは、映画の最後、映画の主人公であるウワディスワフ・シュピルマンが「2000年7月6日に89歳で亡くなった」という字幕が表示された時だ。ホント、映画の最後の最後まで、そのことを知らなかった。

で、僕が今日観たのは『戦場のピアニスト 4Kリマスター版』であり、その上映を記念してのことだろう、上映後にトークイベントが行われた。僕も、映画のチケットを取る段階で「上映後にトークイベントがある」ということは知っていたのだけど、普段から何も調べないので、「ゲストとして誰が登壇するのか」についても知らないままだった。

で、映画が終わると、1人の外国人が壇上に上がったのだ(まあ正確に言うと、「座ると言葉が出なくなる」と言って、壇上には上がらず、床上に立って話をしていたのだけど)。初めは「監督なのか?」とも思ったのだけど、そうではなく、なんとこの方、ウワディスワフ・シュピルマンの息子のクリストファー・シュピルマンだったのだ。しかもこの人、日本語がペラペラ。奥さんが日本人で、長いこと日本に住んでいるとかで、もちろん通訳無しでメチャクチャ面白くトークをしていくのだ。「生まれた時のことはですね、さすがに三島由紀夫のようには覚えてないですが」なんてジョークもさらっと入れ込んだりして、面白かったなぁ。

全然狙ってトークイベントの回を観に行ったわけでもないし、そして、その登壇者を知らずにいたからこそ、映画が実話をベースにしていることも知らずに観れたので、なんというかメチャクチャ得した気分である。いやー、今日観て良かった。

しかしホント、クリストファーさんは日本語が上手くて、「神妙な」「嬉しい次第です」みたいな、日本人だって使いこなせない人もいるだろう表現も普通に使うし、奥さんのことを「家内」と読んでいたのもなんか印象的だった。

さて、まずは一応、映画の内容に触れておこう。

ウワディスワフ・シュピルマンは、ポーランド・ワルシャワでピアニストとして知られる存在だった。普段は局内でピアノ演奏をしてラジオで音色を届けるなど、芸術家として過ごしていたのだ。

しかし1939年に第二次世界大戦が勃発し、ラジオ局近くが爆撃されるなど、戦争の陰がどんどんと押し寄せていた。一家は逃げようと考えていたのだが、ラジオ放送でイギリスがナチスドイツに宣戦布告したこと、フランスも近く参戦するだろうと伝えられると一転、喚起に湧く。ドイツ軍を抑え込んでくれると考えていたからだ。

しかし状況はどんどんと悪化していく。ユダヤ人だったシュピルマン一家は、ユダヤ人特別区(ゲットー)に押し込まれ、周囲を壁で覆われて出入りが制限されてしまう。ドイツ人が気まぐれにユダヤ人を殺していくような酷い惨状の中、芸術家であるために不向きな力仕事をこなしながら、どうにか生き延びていく。

しかし次第に、ユダヤ人が東部へと送られるという噂が流れる。「ドイツ人のために働いている」ことを示す雇用証明書があればどうにかなるはずと書類集めに奔走するも、やはり話はそう簡単ではなく、シュピルマン一家もぎゅうぎゅう詰めの列車に乗せられてしまうのだが……。

実話だと知らずに観ていたのだけど、ただもちろん、「こういうことが現実にあったんだろうなぁ」という受け取り方はしていた。まったく本当に、酷い世界だった。何が酷いかって、「酷い現実を目の前にしても、ユダヤ人たちが反応出来なくなっている様」が何よりも酷いと感じた。それはつまり、「死に直結するような酷さが、日常茶飯事だった」ということを意味するからだ。あるいは、「周りと違った反応をすれば、すぐに殺されてしまう」という事情もあっただろう。ある場面では、「私たちはどこに行くんですか?」とドイツ兵に質問しただけの女性が、即座に銃殺されてしまった。

主人公には途中まで、「家族がいるから生きていられる」というような環境にあったと思う。両親と兄弟姉妹は、辛い状況が様々に直面しつつも、どうにか助け合って生きてきた。しかし、どうしてそうなったのかには具体的には一応触れないことにするが、主人公はある時点から、家族と離れ離れになってしまうのである。

そうなって以降、「生きる希望」を見出すことはなかなか難しかっただろう。しかしそれでも彼は、どうにか生き延びる方策を探る。この点については、映画を観ているだけではちゃんとは捉えきれなかったが、トークイベントで語られた話を補助線にすると見えて来やすいかもしれない。

息子のクリストファーさんは、「父親はユダヤ人だったが、宗教的にはほぼ無宗教と言ってよかったと思う。強いて言うなら、音楽が宗教だった」みたいなことを言っていた。そのエピソードとして、ピアノを習うことになった時の話をしていた。

クリストファーさんは父親からではなく、女性の先生からピアノを習っていたそうだが、6~7歳の頃の彼にはピアノがどうにもつまらなく、レッスンを止めてしまったのだそうだ。しかしその後14歳になって、音楽への興味が湧いてきた。そこで父親に「ピアノを習いたい」と言ったところ「ダメだ」と言われたのだという。

父親としては、「遊びでピアノをやるのはけしからん」ということだったようだ。真剣にやるなら、6~7歳の頃から叩き込むしかない。しかしそれをやらなかったお前は、もう14歳なのだから、ピアノをやるには遅い、というわけだ。クリストファーさんは、「別に楽しみのためにピアノを始めてもいいと思うんですけどね」なんて言っていたが、まあその通りだと思う。しかし、父親にとって「音楽」というのは神聖なものだったため、そうは考えられなかったそうだ。

また、「音楽を聴く時は話してはいけない」というルールもあったのだという。他の家では、音楽をBGMにしながらお喋りをしているのに、ウチではダメだったんだ、みたいなことも言っていた。これもまた、音楽を神聖視するが故のスタンスだったのだろう。

主人公は、寒さに震え、食べるものがない状況においても、やはり「ピアノを弾くこと」への情熱を忘れない。そう示唆されるような場面も度々映し出されていく。そして、これが実話だとはとても信じられないのだが、ピアノを介してちょっと信じがたい展開が待ち受けているのだ。ある意味では、「ピアノが弾けたから生き延びることが出来た」とも解釈出来るような場面であり、実話だと思っていなかったから「なるほど、こういう展開にするのね」ぐらいに受け取っていたが、まさかこれも実話だとは信じられない想いだった。

しかし、観客は、主人公が体験した時間を細切れに飛び飛びで観ているに過ぎないが、それでもあまりの壮絶さに観ているこっちが絶望したくなるような状況が描かれていく。まして主人公は、そのような状況をほぼ5年に渡って生き延びたのだ。家族と離れ離れになってからだと2年ぐらいだろうか。最後の最後、本当に一人ぼっちになってしまってからだって、少なくとも2週間以上はその状態だったはずである。

トークイベントでクリストファーさんは、「ほぼ5年に渡って、自分がいつ死ぬか分からない状況に置かれ続けたことは、私には想像が及ばない」みたいなことを言っていたが、本当にその通りだ。生前父親は、戦争のことについてほとんどクリストファーさんに話さなかったそうだが、80歳でピアニストをやめた後は時間に余裕が出来たのか、少し話をするようになったという。その時に、「僕もみんなと一緒に死ぬべきだった」みたいなことを言っていたのを覚えているそうだ。もちろん、「本心からそう思っていたのかは分からない」とも言っていたが、映画を観ているだけの観客だって「死んだ方がマシ」と感じるような状況だったのだから、当事者がそう感じてしまうのも当然のことだと思う。

さて、実話だということを後で知って納得出来た場面がある。ゲットーに押し込められた主人公が、ユダヤ人が集まるレストランでピアノを弾く仕事をしていた時のことだ。ある男性2人組のお客さんから、「ピアノを弾くのを止めてくれ」と頼まれるシーンがあるのだ。どうしてなのかと見てみると、2人はテーブルクロスをめくり、木のテーブルの上に複数の金貨を落として音を聞いていたのだ。恐らく、本物の金貨なのか確かめていたのだろう。

僕の感触では、これがフィクションだとしたら、ちょっと凄いリアリティの描き方だな、と感じていた。「金貨の音を確かめるためにピアノの音を止める」なんていうのは、なかなか想像では描けない描写に感じるのだ。だから、後で実話を基にしていることを知って、このシーンにも納得がいった。実際に、主人公がそのような状況を経験したというのであれば、なるほどという感じである。

同じように感じるシーンは結構多い。例えば冒頭の方で、シュピルマン家である揉め事が起こる。今手元に5003ズウォティス(ネットで調べると、ポーランドの通貨の単位は「ズウォティ」らしいけど、字幕では「ズウォティス」ってなってた気がする)あるが、ユダヤ人は2000ズウォティスしか持ってはいけないことになっている。じゃあ残りの3003ズウォティスをどこに隠すか、みたいな話になるのだ。これもまた、実際にあったことだからこそのリアリティに感じられた。

映画の撮影手法でいうと、戦争によって街が破壊されたあのワルシャワの街並みは一体どんな風に撮ったのだろうと思う。全部セットで作ったのだとしたら、スタジオに作ったにしたってとんでもない規模に思える。ネットで調べると、「CG説」「実際に戦争で破壊尽くされた街を探し出して撮った説」などが出てきたが、よく分からない。

この「廃墟の街並み」のシーンは、「こんな何もかもが存在しない場所で、ピアニストという以外なんの属性も持たない男が生き延びなければならない」という絶望を一瞬で伝える効果があったし、映画全体の中でもとても印象的だった。そしてその後も、本当に「ただ生きるためだけに生きている」みたいな凄まじい状況が続いていく。正直、どこかで気持ちが切れてしまってもおかしくはなかったと思う。それでも、どうにか「生きること」を手繰り寄せていく主人公の姿には、圧倒されっぱなしだった。

「4Kリマスター版」用の公式HPが新たに作られているのだが、そこには、監督のロマン・ポランスキーが、自身も幼い頃にゲットーで過ごし、母親を収容所で亡くしている、と書かれている。だからこそ、これほどリアルな映画が作れるのだ、と。そしてそれでいて、全体的に映像に「美しさ」がある。これは不思議な感覚だが、終始「残酷さ」「不条理」ばかりが描かれるのだが、その上で「映像の美しさ」もまた際立っていると感じるのだ。

クリストファーさんによると、父親は「神経質」で「悪夢をよく見ていた」そうで、戦後もずっと長く後遺症に苦しんでいたと今なら理解できると言っていた(子どもの頃は、つまらない父親だと思っていたそうだが)。そんな父親が1946年に発売し、ポーランドでベストセラーになった本(トークイベントの中で『ある年の歌』と言ってたが、恐らくポーランド語のタイトルを邦訳するならそういうタイトルになる、ということなのだろう)がベースに本作が作られているそうだ。

ちなみに、クリストファーさんの弟が、父親のその本をドイツで出版しようと奔走し、ついに1998年にそれが実現したのだそうだが、その際に、「どうしてこんな本が今まで埋もれていたんだ」という声がたくさん上がったそうだ。弟は、「共産主義が父親の本を潰したんだ」と言っていたそうだが、恐らくそれは、本を売るための宣伝文句でしかなく、クリストファーさんは嘘だろうと言っていた。実際のところは彼にも分からないみたいだが、理由の1つとして、父親がそれを望まなかったのではないか、と語っていた。

恐らく父親は、「自分の経験したことを頭の中から出し切りたい」と思って本を書いたのだが、しかしその後、自分が書いた本に関わることで、自分の辛い記憶が蘇ってくるのを恐れたのではないか、と。だから、自宅の本棚には自身が出版した本は並んでいなかったと言っていた。12歳のクリストファー少年がそれを見つけたのは、屋根裏部屋だったそうだ。

そして、ドイツで出版されたことがきっかけだったのかは不明だが、1999年にロマン・ポランスキーが父親と会い、映画化が決まった。その際に、「主演俳優が決まったら会わせますね」という約束をしていたそうだ。しかしその後、思いがけず父親の体調が急変し、入院。病院からは「心配ないです」と連絡をもらっていたものの、その後1週間ぐらいで亡くなってしまったそうだ。結局父親は、本編を観れなかったどころか、主演俳優も知らずにこの世を去った。

その主演俳優についてクリストファーさんが「懐かしい気分がした」と、映画を観た感想について触れていた。主演俳優は背が高いのだが、父親は実は背が低かったという。だから見た目はあまり似ていないのだが、仕草や雰囲気は父親を思わせるものがあったという。恐らく、偶然だろうと言っていたが。

さて最後に、クリストファーさんが最終的に日本までやってくることになった遠因について触れて終わろう。

父親は作曲もやっており、日本でいう歌謡曲のような一般向けの曲も作り、ポーランド国内ではヒットを飛ばしていたそうだ。だからクリストファーさんは、学校なんかで名字を言うと、「あの曲の息子だ」という反応になったという。それが嫌だったというのが、ポーランドを出た理由の1つだったと言っていた。

その後イギリス・タイ・アメリカなどを経て日本に住むことになったわけだが、そうこうしている内に『戦場のピアニスト』が公開され、世界中で評価されるようになった。それ自体はとても良いことだが、結局「あの『戦場のピアニスト』の息子だ」という見られ方に戻ってしまった。それについてクリストファーさんは、「父親がまた僕のことを追いかけてきて、逃げ場がない」と言っていた。最後まで面白い話し方をする人で、良いトークイベントだったと思う。

とても良い映画だったし、とても良いトークイベントだったし、大満足だった。

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