【映画】「すべての政府は嘘をつく」感想・レビュー・解説

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この映画は、2017年のアメリカで作られたものだ。
しかし、ここで描かれていることは、決して対岸の火事ではない。

世界報道自由度ランキング、というものがある。パリに本部を置く国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団(RSF)」が発表しているものだ。14の団体と130人の特派員、ジャーナリスト、調査員、法律専門家、人権活動家らの回答を元に作られている。

2020年のランキングでは、日本は66位。アメリカは45位だ。映画で描かれている2017年では、日本は72位、アメリカは43位。

つまり、この映画で描かれているメディアの現実よりも、さらに日本は悪いということだろう。まずこのことを、僕らは理解しなければならない。

日本アカデミー賞を受賞した『新聞記者』を、受賞後に観た。公開時に何故観なかったのだろう、と思うほど、衝撃的な映画だった。あくまでフィクションという体裁だが、主人公のモデルとなる人物は実在し、また、劇中で扱われる事件それぞれにも、実際に起こった実在のモデルが想起される。そしてその映画を観て痛感させられたのが、国がいかにして情報を隠蔽するか(する可能性があるか)ということだ。

「すべての政府は嘘をつく」。映画のタイトルにもなっているこの言葉は元々、I・F・ストーンというジャーナリストの言葉として知られている。

I・F・ストーンは、伝説のジャーナリストだ。今でも多くの人が、I・F・ストーンのようなジャーナリストを目指して、大手メディアとは違うやり方で真実を伝えようとしている。

ストーンを一躍有名にしたのが、「週刊I・F・ストーン」だ。これは、ストーン自身が毎週タイプライターで打ち込んだものが有料で発行されていた。影響力は絶大で、当時のジャーナリストは全員読んでいたし、それどころか、あのアインシュタインも愛読者だったという。同じく愛読者だったマリリンモンローは、彼女がお金を出し、全議員に読ませていたという。

彼は毎週、政府の嘘を暴き続けた。ベトナム戦争など、アメリカという国を大きく動かすような事態に対しても、彼は毅然として自分の調べた事実を書いた。そしてテレビで伝えた。ストーンが出演した番組には、批判が殺到したという。政府を否定するような人間をテレビに出すな、ということだ。

ストーンはなんと、ホワイトハウスの記者会見の出席資格を持っていなかった。しかし、それが良かったのだとある人物は語っていた。どうせ、政府の言っていることは戯言なのだから、そんなものを聞かされる無駄な時間を費やさなくて済んだのだ、と。ストーンは、政府の文書など、誰でも手に入れられる文字情報から真実をあぶり出した。歴史家の手法で分析したと本人が語っていた。

この映画では、「代替メディア(オルタナティブ・メディア)」の象徴だったストーンを、様々な人間が回顧しつつ、目の前で起こっている現実に対し、大手メディアに対する「代替メディア」であろうとする人びとの奮闘を描いていく。

マット・タイビは、「ローリングストーンズ」誌の編集者だ。ある人物が、「現在のフリージャーナリストには、ストーンのような皮肉・ウィット・ユーモアが足りない。マット・タイビを除いて」というフリージャーナリストだ。デイビット・コーンは「マザー・ジョーンズ」誌で、オバマが再選した時の対戦候補だったミット・ ロムニーのスクープを報じた。ジェニク・ユーガーは、1万人以上が視聴するウェブの番組の司会者であり、確かな信念で報道をし、確実に視聴者を増やしている。

このように、大企業などと距離を置き、権力から限りなく距離を置き、メディアとしての役割を果たそうとする人びとが登場する。

中でも、「デモクラシー・ナウ」と「ジ・インターセプト」は、映画の中で核となる扱われ方をする。

「デモクラシー・ナウ」は、「お金がない」という理由でインターネットでの配信を始めた番組だが、長年真実を伝える活動をしてきた結果、現在はラジオなどの他のメディアとの連携もなされ、視聴者も多い。寄付金と助成金で賄われており、広告は一切ない。世界中、様々な人たちの声を拾い、届けるという使命に特化している。

「ジ・インターセプト」は、グリーウォルドとスケイヒルの2人が立ち上げたネットメディアだ。CIAから内部文書を持ち出したスノーデンが、リーク先に選んだのがグリーウォルドであり、スノーデンを描き出した映画『シチズンフォー スノーデンの暴露』はアカデミー賞を受賞した。またスケイヒルは、元々「デモクラシー・ナウ」のボランティアをしていた。2人をトップとしたこの「ジ・インターセプト」は、政治家の汚職など数々のスクープを発信してきた。

この映画に登場する、彼らのような「代替メディア」の人たちがこぞって言うのが、大手メディアの批判だ。大手メディアは視聴率にしか興味がない。だから、殺人やパンダの出産やセレブの結婚は報じるが、それ以外のことには目をつぶる。アメリカで金を稼ぐには、社会問題に目をつぶるしかないのだ、と。

メキシコとの国境が近い町の砂漠で、移民たちの死体が大量に発見された問題を追っているフレイは、「埋められていたのが200匹のプードルだったら、大手メディアはこぞって取り上げ、犬は丁寧に埋葬しましょうという法律が出来るだろう。しかし、埋められていたのが移民だったから、一切報じられない」と語っていた。実際に、このファルファリアスの集団墓地の問題を取り上げた大手メディアは一社もなかったという。

また、アメリカがイラク侵攻に踏み切ろうとしている間、大手メディアはこぞって「圧倒的な証拠」「否定や反論の余地がない」という政府の主張を追認し、報じた。実際には嘘だらけだったのに関わらず、大手メディアは政府の共犯者となったのだ。

フセイン大統領が核開発をしようとしている、という記事が新聞(ニューヨーク・タイムズかワシントン・ポストのどっちかだったけど、忘れてしまった)に載った。その記事は、情報提供者からの曖昧な情報を元に書かれたものだった。後に政府の誰かが、この疑惑について問われた際、最後に「新聞に書いてある」と発言した。しかし、これは無茶苦茶な話だ。フセイン大統領が核開発をしている、という情報の出どころがあるとすれば、政府だ。しかしその政府が、新聞に書いてあるから、と言って情報の正しさを主張しようとするのは、堂々巡りの最たるものだと言っていいだろう。

大手メディアは何故そうなってしまうのか。この分析の一つとして、ノーム・チョムスキーの「合意の捏造」という考え方が説明されていて興味深かった。ちゃんと上手くは説明できないが、「とあるシステム全体の前提を受け入れてさえしまえば、抑圧や検閲を受けているという感じは受けない。そういうシステムの内部にいる人は、自らの意志で、自由に発言していると思い込んでいる。しかし、そのシステムの前提の外側に出てしまえば、そのシステムから排除されてしまう。そのようにして、そのシステム内の前提はより強固になっていく」というような考えだ。確かにその通りだろう。

これは、なかなか自覚しにくい罠だ。自分がそういう罠に陥っていないか、常に意識し続けるしかない。そうでなければ、間違った前提に立ったまま何かを発信しようとしてしまうかもしれない。それは嫌だな。

【ジャーナリストとはキャリアでも職業でもありません。ジャーナリズムとは、生き方です】

ある人物がそう言っていた。僕は、仕事としてジャーナリスト的なことは出来ないだろう。しかし、生きていく上での気持ちとしては、常にジャーナリスト的に、客観性を失わない前提の元で、可能な限り権力から離れ、真実と向き合うような人でありたいと思う。

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