【映画】「アシスタント」感想・レビュー・解説
これは凄い物語だった。
正直なところ、この物語を「何も起こらない物語」と要約することも出来ないことはない。いや、もちろんそんなわけはないのだが、観る人によっては、「えっ? これ何の物語?」と感じるかもしれない。そして、「そう受け取る人がいるかもしれない」という点こそが、この物語の怖さの一端であるとも言っていいかもしれない。
正直なところ、僕も、主人公の女性がある決意を持って立ち上がる場面まで、この物語が何を描こうとしているのか、イマイチよく理解できていなかった(実際には、彼女が立ち上がる直前のある場面で、なるほどそういうことかとようやく察したのだけど)。もちろん、それまでの場面でも、様々なことが様々に示唆される。それらは、「働くこと」にまつわる有象無象の「疑問」「怒り」「理不尽」などである。そして、そういう有象無象の集合体として、この映画を捉えるべきなんだろう、と思いかけていた。もちろん、それでも別に良かったと思う。「映画業界」という、「華やかさを夢見てやってくる若者を絶望させる」という非常に分かりやすい世界を描きながら、誰もが感じるだろう「働くこと」への不満を凝縮していくという物語だけだったとしても、それなりに満足したと思う。
そしてこの物語には、その上でさらにある「背景」が描かれる。アメリカ人ならほぼ間違いなく、日本人でもニュースをそれなりにチェックしている人なら、まあ間違いなくモデルが想像できるだろう(僕の想像が合っているかは分からないが)。恐らく、実際の映画会社をモデルにしているのだろう作品世界の中で、彼女はある「背景」を知ることになる。
この会社で「アシスタント」として働く主人公のジェーンは、まだ働き始めて5週間である。いつかは映画プロデューサーになることを夢見ており、業界でも有名な会社(というか、会長が業界の大物である)で経験を積もうとしているところだ。
そんな彼女がある日気づいてしまったのが、会長が日常的に行っているだろうある「行為」である。働き始めて5週間の彼女は、それまでも小さな違和感を感じ続けてきただろうが、映画で描かれるその日(この映画は、ある一日に起こった物語として描かれている)、彼女はそれに確信を抱くことになる。恐らく彼女は、業界の大物である会長のその噂を耳にしたことがなかったのだろう。
僕の想像が当たっているとすれば、モデルとなっているだろう「業界の大物」は、実に巧みなやり方で自身の悪行が表に出ないようにしていたので(その事件を扱った別の映画で、その辺りの事情を知った)、主人公のジェーンが噂を知らなかったとしても不思議ではないと思う。
さて、もちろん最大の問題が会長にあることは確かなのだが、さらに「見て見ぬふり」体質こそが、その状況をさらに悪化させていく。つまり、「その会社で働く人たちは、会長の行為を当然認識しており、しかしそれを見て見ぬふりしている」ということだ。
それが明確に示されるのが、ジェーンが立ち上がって行動を起こしたある場面である。そこで彼女は、要するに「ンなことは知ってるよ、でもそれで、君はキャリアを台無しにするけど、それでもいいの?」みたいな対応をされるのだ。もちろん、実際にはそうは口にしていない。しかし、ジェーンは間違いなくそう受け取っただろう。他にも別の場面で、別の人物から、「あなたが思うほど悪い状況じゃないと思う」と示唆するようなことを言われる。その発言は、ジェーンを安心させたいという以上に、その言葉を口にした者がそう思い込みたいから口にしたと感じさせられた。
さて、こんな風に書いているが、僕は別に、見て見ぬふりをしている人たちを殊更責めているわけではない。僕自身、同じ環境にいれば、きっと声を上げられないと思うからだ。もちろん、何か行動を起こすべきだと思う。しかし、どう想像しても、なかなかそれは難しい。映画の中で描かれる会長は、明らかに「ワンマン」である。こんな場面がある。主人公の基に、会長の奥さんから「カードが止められたんだけど!信じられない!」みたいな、凄い剣幕の電話が掛かってくる。彼女はそれに、「私にはどうにも……」と、まあそりゃあそうだろうという対応をするのだが、その後会長から彼女に電話があり、「この役立たず。賢いと聞いていたんだけどな」みたいなことを言われるのだ。理不尽すぎる。そして、そんな人物だからこそ、会長の「行為」を告発なんかすれば、まず映画業界にいられなくなるだろう。保身から、行動出来なくなってしまうのはやむを得ないように思う。
ただだからと言って、見て見ぬふりをしている全員を許容できるわけではない。
ジェーンは、拳を振り上げようとしたものの不発に終わった後、同じ会長室の男性社員から、「いつでも相談に乗るよ。まず俺たちに相談しろ」と声を掛けられる。しかしジェーンには当然、そんな選択肢はない。何故なら別の場面で、その男性たちがこの件に対してどう感じているのかがあからさまに伝わってくるような、胸糞悪いシーンが描かれるからだ。
見て見ぬふりはしているが心苦しさを感じているというのなら、まだマシだと思う。しかし、彼らはそんなこともなく、「この会社ではさ、これが当たり前だから」みたいな雰囲気で歯牙にもかけていない。それはさすがに許容できないと感じる。
はっきりと明確に直接的には描かれないものの、この映画では「とんでもないこと」が進行している。しかし、そのことは、ほとんどの人の日常になんの影響も与えていない(なんなら「盛り上がる娯楽」みたいな扱いすらされている)。主人公であるジェーンは、(恐らく)初めてその現実に気づき、立ち上がりかけた。しかし、そこになんの凹凸も感じていないかのようにあらゆるものがスルスルとそこを通り過ぎていくため、彼女は、絶望的な嫌悪感を抱きつつも、流されるしかないと考える。今の彼女の立ち位置に、優秀な大学卒の400名以上が就きたいと応募するような環境なのだ。確かに会長の振る舞いは許しがたいが、かといって、この立場を得られた自分の幸運を自分の行動で手放すのも辛い。
そういう葛藤が、この映画の「背景」にはある。
では、「前面」には何が描かれるのか。冒頭で少し触れたが、それは「働くこと」に関わる有象無象である。
憧れの映画業界に就職できたジェーンだが、彼女の仕事は「映画」とはほど遠いものだ。資料の印刷・配布、水や薬の補充、掃除や皿洗い、来客対応、飛行機やホテルなどの手配、奥さんからの謎の罵倒の対応などなど。明確にそう示唆される場面があるわけではないが、明らかに「女だから」という理由で押し付けられている雑用もあるはずだ。
そう、ジェーンがしていることは、単なる「雑用」でしかない。
しかし、業界的にはかなり名の知られた会社であるため、「ここで働いていた」という経歴は、その後の人生に大きな影響をもたらす。だからこそ、そんな「アシスタント」の職に400人もの応募があるのだ。
彼女は、恐らく誰よりも早く出社し(外がまだ暗い内から会社に来て、社内の電気をつけていた)、そして会長に「帰っていい」と言われるまで会社にいるしかない(会長室付きのアシスタントだから、会長の号令で退社ということになるんだろうと思う)。あまりにも忙しいため、父親の誕生日も忘れていたぐらいだ。
1日中会社にいるのに、「雑用」と呼ぶしか無い仕事しかさせてもらえない。しかし、誰もが知る有名な会社で働いていることも事実。父親は、娘がどんな仕事をしているのか知りたいから聞かせてくれと電話越しに伝えるが、その問いにまともに答えられるだけの経験をしてはいない。
「将来のため」と言い聞かせるぐらいしか踏みとどまれる要素はないのだが、まさにこれは「やりがい搾取」以外の何物でもないだろう。そして、そういう環境に身を置かざるを得ない人も、世の中にはたくさんいるはずだ。
公式HPを見て初めて知ったが、主人公の「ジェーン」という名前は、「Jane Doe」に由来するという。この「Jane Doe」という名前、英語で「匿名の女性」を指すのだそうだ。日本で言うなら、「山田花子」みたいなことだろうか。
そこには恐らく、この映画の「リアルさ」が関係している。
この物語は、「数百にも及ぶ労働者に対して行われたリサーチとインタビューによって監督が得た知見、とりわけ女性の痛みや混乱の経験から形成されている」そうだ。また、この映画の監督はドキュメンタリー映画でその名が知られている人物でもあるという。さらに「Jane Doe」に由来する名前を嵌め込むことで、「この映画は、事実そのものではないが、事実そのものであるかのようなリアリティを有している」と言えるのではないかと思う。
男として生きるということは、この映画の中で「当たり前」のように描かれている様々な「加害性」を、「当たり前」のように発揮してしまっているかもしれない、ということも意味する。そのことに気づかない人ほど、この映画を見て、「これ何の映画なの?」と感じるだろう。そういう人の存在を、容易に想像出来てしまうことがとても恐ろしい。
僕たちが生きている世の中にあちらこちらに蔓延る「ろくでもなさ」を、短い時間の中に凝縮したような作品だと感じた。
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