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復興へ 福島の春⑤住職の飯館村長に聞く

※文化時報2021年1月21日号の掲載記事です。

 福島県飯舘村村長に昨年10月、浄土真宗本願寺派善仁寺住職の杉岡誠氏(44)が就任した。福島第1原発事故で損なわれた「日本で最も美しい村」を農業で復興させたいと、一念発起して村長選に立候補。無投票当選を果たした。「根本にあるのは『ありがとうとおかげさまの心』。行政としても寺院としても村民を支えたい」と話す。連載「復興へ 福島の春」の最終回は、杉岡氏へのインタビューをお届けする。(編集委員 泉英明)

住民に選ばれる村へ

《杉岡氏は2000年、母の実家である善仁寺を継ごうと、神奈川県から飯舘村に移住した。翌年から村長選出馬のため退職するまでの約19年間を村職員として勤務し、震災以後は復興農政に携わってきた》

──村長選に立候補された経緯をお聞かせください。

 「飯舘村の農業は、原発事故で先祖が積み上げてきたものをマイナスにする打撃を受けました。村職員として復興農政に携わり、基幹産業である農業を担ってきた皆さんのつらさや、次世代に自分の背中を見せようという思いを目の当たりにしました。その思いを、自分の世代が前に進めるために出馬を決意しました」

 「飯舘村は避難指示解除前の2014年度から、自分たちの手で土を耕して状況を変えることに取り組んできました。今では、収益性のある『生業(なりわい)農業』が100軒以上、自分の食べる分だけを作る『生きがい農業』が300軒以上、農地を守る『保全管理』が800軒以上になりました。震災前の農家は1200軒だったので、ほぼ全員がどれかに携わっています」

《「選んで住まれる村に」。杉岡住職は新村長としての目標をそう語る。飯舘村は南部の帰還困難区域を除いて17年3月に避難指示が解除され、約3割の住民が暮らすが、同時に新たな住民も転入している。「『帰還する』という言葉は、もう合わないフェーズに入った」。先を見据えて新たな農政に取り組む》

──村への帰還状況はいかがですか。

 「村の人口は約5300人です。そのうち帰還したのは約1300人。帰還率は3割弱程度ですが、140人は転入者などの新しい住民です。その新しい住民と混じり合いながら、先に進もうとしています。これからは元の村民だったとしても、生きがいを見いだし、新しく自分で選んで村に住む。村は選ばれる場所になるべきです。まずは可能性を感じられる村であり続けることが大事です」

 「しっかり稼げる農業や楽しいと思えるような農業にも光をあて、行政として下支えをすることが必要です。昨年、ある農業法人に100ヘクタール近い土地を集積して大きく農業を展開してもらいましたが、その土地は無償で借りています。最初は60代の7人で始まりましたが、今は平均年齢40代に切り替わっています。息子さんが仕事を辞めて、農業を手掛けるケースもあります。震災前にIT企業に勤めていた40代の人が水稲で年収1千万円になったりもしています。事例をもっと増やさなければなりません」

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つながり絶やさぬよう

《自坊の善仁寺は震災前、村内に約90軒の門徒がいたが、現在村内で暮らすのは半数の約40軒。北陸からの移民を先祖に持つ人々の帰還は、村全体の帰還率と比べるとかなり高いという。ただ震災後、本堂は修復したが、庫裏は今も住めない状態が続く》

──自坊の様子はいかがですか。

 「本堂を修理し、法事や報恩講を営める状況にしました。庫裏はまだ直せていませんが、登庁前に、毎朝本堂でお勤めすると心が安らぎます。昨年は村の交流センターを借りて約60人で報恩講を営み、本堂で談笑しました。どこに住まわれても村と関わって下さるご門徒が多いと感じています。寺院を基軸にし、自分たちの紡いできた伝統や思いを大事にされているのでしょう。歴史や親御さんらの思いを伝えるのも聞法道場の役割です。つながりを絶やさないことが私のやるべきことです。今年はコロナ禍で、報恩講は私一人で勤めましたが、荘厳はご門徒にも手伝っていただきました。お孫さんと一緒に心を込めてやってくださった人もおられました。こういうことが大事ではないでしょうか」

 「まだ庫裏が修復できておらず、今はお寺の近くのご門徒さんのお宅を借りて暮らしています。そのお宅の玄関先から見る星空の奇麗さに先日感動しました。村にはいろいろな『ふるさと資源』があって、それを紡いできたのがご先祖を含め自分たちの人生です。寺院の住職でも村長の立場でも、そこを伝えることが、もう一つの役割だと思っています」

この程度では負けない

《震災から今年3月で10年。復興への道筋はまだまだ長いが、原発事故の影響に加え、昨年からは新型コロナウイルスの感染拡大という新たな課題もある。社会全体が暗い世相に覆われる中、宗教者・為政者としてなすべきことは多い》

──新型コロナウイルスが猛威を振るっています。

 「世界的に大変ですが、ある意味10 年前に震災で経験したことです。当時、極限状態で学んだのは、『自分たちができることをしっかり見定めて、なす』ということです。あの時はいろいろな情報が錯さく綜そうし、苦しい中を生き抜いたという思いがあります。この程度のことでは負けない。ただ、あの時私たちが苦しんでいたのと同様に、世界中の人たちが苦しんでいます。当時は私たちに心を寄せてくださる方々がいました」

 「村の強みは人口が少ないこと。他の自治体より一人一人に寄り添うことができます。私の根本に息づくのは、『ありがとうとおかげさまの心』。寺院も心のよりどころとなれます。ただ、心配なのは村外に住む高齢者です。近くに友人がいない状況があります。また、生活実態に合わせて住民票に付随する権利をしっかり選択していただけるようにしなければならない。それぞれの幸せを第一に考える転換期に来ているのかもしれません」

 「私自身、母親の実家に神奈川からIターンしてきました。元の住民も含めて自ら選んで住むことを進めていけば、過渡期で人口が減ることについて悲嘆に暮れる理由はありません。故郷を喜び、楽しみを共にするそれぞれの方々が、プレーヤーであり主人公です。その先には明日が待ち遠しくなるような古里があるはずです」

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 杉岡誠(すぎおか・まこと) 1976年3月、東京都世田谷区生まれ。日本大学理工学部卒。高校2年生のときに得度し、大学3年生で教師資格を取得した。物理学を学び、東京工業大学大学院博士後期課程を1年で退学して母の実家である善仁寺へIターンし、2001年に飯舘村役場に奉職。20年7月に退職し、10月に村長に就任した。趣味は雅楽や声明。心の安定につながるという。
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