「子ども食堂×寺子屋」で見たお寺の舞台裏 記者が体験ボランティア
※文化時報2022年1月18日号の掲載記事です。
子ども食堂=用語解説=と寺子屋を連動させている浄土宗願生寺(大河内大博住職、大阪市住吉区)。日頃からお寺を開き、社会とつながる数々の取り組みを打ち出している。「人手が足りないから、ぜひ手伝って」と大河内住職に頼まれ、あろうことか弊紙主筆から「それはいい。ぜひ体験ルポを書くように」と厳命されてしまった。昨年12月20日の活動に、ボランティアスタッフとして参加してみると、肝心なのは主体性だと気付かされた。(大橋学修)
大忙し、目的忘れる
子ども食堂は、願生寺近くのカフェの店休日を利用して毎月第3月曜に開かれている。
夕方5時にオープンするが、準備は2時間前から始まる。運営するボランティア団体「こども食堂にじっこ」代表の中西秀美さんは、料理を前日から仕込み、食品保存容器に詰めて持参。他のスタッフは、料理を素早く提供できるように小鉢に分けたり、机を消毒したりと準備に追われていた。
最初の来店者は大人、それも90歳の女性だった。声を掛けてみたが、会話がうまく弾まない。やや気落ちしていると、自転車の前と後ろに子どもを乗せた母親たちが大挙して押し寄せてきた。受付を担当し、熱を測って名前を書いてもらっては、厨房に大人と子どもの人数を伝えた。
5時半すぎ、約20席の店内は満席になり、次第に厨房が混乱してきた。「すみません。私の分をまだ頂いていないんです」。30分ほど前に来た母親から申し訳なさそうに声を掛けられた。急いで厨房に料理を用意してもらったが、別の人の所に運ばれていってしまう。
友人から開催を聞きつけたという小学生5人組もやってきた。食べるスピードは速いが、「おかわり」がひたすら続く。入口付近には、席が空くのを待つ親子がいる。「早く席を空けてほしい」と感じた。
厨房に立つボランティアの目が、興奮した猫のように赤くなっている。そんな状況でも、手慣れた中西さんは、利用者に声を掛けていく。「おいしい?」「たくさん食べるね。偉いね!」。そうだ、ここは交流の場だったと思い直した。
子ども食堂で学生ボランティアと食事を楽しむ子どもたち
小さな喜びを、たくさん
今回の子ども食堂と寺子屋はクリスマス直前とあって、スタッフは中西さんの指示で、赤い帽子をかぶって臨んだ。「お寺の活動なのに…」と言うのは野暮。私は、赤色の布地で自作したポンチョと頭巾を身に着け、ひげを模した白色の毛糸を肌色のマスクに貼り付けて、サンタクロースに扮した。
うれしそうに握手を求めてくる幼児がいる一方で、「なんで、マスクからひげが生えているの」「偽者サンタ」と色物扱いを受けた。
交流する中で、子ども食堂の課題も垣間見えた。大河内住職から声を掛けられて初めて訪れたという檀信徒の親子は、最初は参加をためらっていた。母親は、困窮していない人が利用すると批判されると思っていたという。「子どもも楽しそうに過ごしていて、イメージと違った」と話した。
子ども食堂は、必ずしも貧困支援だけが目的ではない。中西さんは「大河内住職も私も、交流の場になってほしいと考えている。給料日後の外食のように、月1回でも楽しんで、小さな喜びをいっぱい育ててほしい」と語った。
同じ方向は見ていない
寺子屋では、今回初めてゲームを行うことになった。お寺に入るのを遠慮する子どもたちに、参加を促すためだ。おかげで前回は2人だった参加者が、今回は子ども18人と保護者10人が集まる大所帯になった。
用意されたお菓子を配ることは決まっていたが、ゲームの内容は、学生ボランティアと私に全て任されていた。景品をお菓子にする一方で、「もらえなかった子どもが残念に思わないように、直後にクリスマスプレゼントのお菓子を全員に配ろう」と相談した。
終了後、用意された賄いを食べながら、学生たちと話したのは、勉強と遊びの両立という課題だった。「空間を分ければどうか」「そうすると遊びの方に行ってしまう」「時間で区切れば?」などと意見を述べ合ったが、結論は出なかった。様子を見に来た地元の小学校教員は「無理に勉強させなくても良いのでは」とアドバイスをくれた。
大河内住職は「子どもたちが中高生になってから、ボランティアとして帰ってくるよう促し、互いに顔の見える地域づくりにつなげたい」と話す。
子ども食堂も寺子屋も、関わる人の目的や思いはまちまちだ。それでも大河内住職は、全てをコントロールしようとは考えず、現場に任せきっていた。これが、ボランティアの主体性を引き出し、課題の解決策を自分たちで考えるようになっていた。
地域活動の効果は、参加人数の多寡で捉えがちだが、むしろ主体的なボランティアを確保できた時点で、成功したと言えるのではないだろうか。そう実感した一日だった。
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