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「いのちのケア」実践を 臨床仏教公開講座

 花園大学国際禅学研究所と一般社団法人アジア南太平洋友好協会が主催する「臨床仏教公開講座」が2月18日、全日程を終えた。最終講義は、臨床仏教研究所(東京都中央区)の神仁研究主幹が講師を担当。聴講生を含む70人以上を前に、「いのちのケアの実践―現代社会における臨床仏教師の使命」と題し、さまざまな苦しみの現場におけるケアのあり方を説いた。

 同講座は、臨床仏教研究所が資格認定する臨床仏教師養成関西第2期プログラム(通算第6期)の座学を兼ねている。

 神研究主幹は、臨床仏教師は子どもからお年寄りまであらゆる人に寄り添い、生老病死にまつわるさまざまな苦悩に向き合う仏教のあり方だと説明。関係性を見極め、相手のスピリチュアリティーに合わせることが重要だと話した。

 その上で、「相手のいのちに従って寄り添い、患者ファーストの医療を行っていくことが大切」と強調。「心の安寧をもたらすことがいのちのケア。安心して次の世界に行けるよう、送り出してほしい」と伝えた。

 受講した臨済宗妙心寺派の白井清牧清蔵寺住職(和歌山県新宮市)は「臨床仏教は現場に即した仏教だと感じた。今後、自分が住職を務めるうえで役に立つ学びを得ることができた」と話した。

生きる仏教 釈尊が原点

 臨床仏教師は、チャプレンやビハーラ僧、臨床宗教師などに近い宗教者の専門職。2013年に養成が始まった。指導役に相当するスーパーバイザーを含めて15人が活動。その範囲は病院や被災地以外にも広がっている。

 背景には、人は生まれてから死ぬまで、さまざまな段階で苦しみを抱えて「いのちのケア」を求め得る、という考え方がある。

 生死の問題に直面したとき、死への恐れや人生の意味を問う形で現れる苦痛のことを、医療界などでは「スピリチュアルペイン」と呼ぶ。専門職は、スピリチュアルペインを和らげるケアのことを「スピリチュアルケア」と言うが、臨床仏教師は「いのちのケア」と呼ぶ。仏教色を前面に打ち出した表現だ。

 臨床仏教師の活動は、釈尊の教えの原点に戻ることだともいえる。

アップ用臨床仏教公開講座2(河野太通会長)

アジア南太平洋友好協会会長の河野太通老師は、臨床仏教師に対する期待を語った

 釈尊の教えは「臨床」を除いては成り立たない。寺院は教育や医療、福祉などさまざまな機能を担い、絶えず「臨床」の現場に存在していた。

 しかし明治期以降、学校や病院、福祉施設といった専門の施設が整備されたことで、役割は縮小。寺院が取り扱うのは葬式や法事に限定されるとのイメージが定着し、現代の日本人が、釈尊の伝えた「臨床」を仏教から連想するのは難しくなった。

 一方、近年では被災地や医療現場で活動したり、さまざまな社会課題に取り組んだりする僧侶から、仏教者らしい振る舞い方を学びたいと願う声が多くある。裏を返せば、僧侶の社会的な役割を見直す時代に差し掛かってきたと言える。

 神仁研究主幹は「臨床仏教師は釈尊のあり方そのもの。日本では『臨床』という言葉をつけないと、仏教を理解してもらえない。形式だけの仏教ではなく、原点である生きる仏教を、我々は学び直す必要がある」と警鐘を鳴らす。

 公開講座は、生老病死の全ての苦に寄り添うケアを主軸に、全10回の講義が組み立てられた。特徴的なのは、苦しみを生み出さないために、予防としての情操教育を重んじたこと。丹治光浩花園大学学長や、五位堂安養日曜学校の中村勝胤氏は、子どもに寄り添うことをテーマとした。大念仏寺社会事業団の野崎裕子氏の講義では、孤立した母親への支援などを学び、問題行動に走らない教育や問題が生じたときの寄り添い方などについて、理解を深めた。

 最終講義の2月18日、河野太通アジア南太平洋友好協会会長は「全ての僧職者が臨床仏教師であることが理想。それこそが、これからの仏教のあり方だと思う。受講者たちがこの先、大きな影響を及ぼしてくれることを期待している」と伝えた。

 臨床仏教師は、人々の苦に寄り添い続けるためにも、多職種が連携する〝接地点〟として地域をまとめる役割が期待される。心の安寧を求める仏教者が核となれば、地域社会の環境をより豊かにしていくことができるだろう。

 私たちが週2回発行している宗教専門紙「文化時報」の中から、2020年2月29日号に掲載された記事を再構成しました。皆さまの「スキ」と「フォロー」をお待ちしております。
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