復興へ 福島の春③たとえ檀家が離れても
※文化時報2021年1月14日号の掲載記事です。写真は本堂の基礎が打たれた龍台寺の境内。
「原発事故被災寺院『有志の会』」という団体がある。
福島第1原子力発電所の30㌔㍍圏内の被災寺院を対象に、約60カ寺の補償問題を支えてきた。東京電力側との交渉は、財物補償については多くの寺院で一定の解決を見たため、2017年5月にいったん交渉を終えた。
福島第1原発が立地する福島県双葉町や大熊町、原発事故直後に放射性物質が風に乗って運ばれた浪江町などの山間部には、今も許可なく立ち入れない帰還困難区域が広がる。
一方で、それ以外の地域では17年に避難指示が全て解除された。避難中に野生動物などに境内を荒らされ、本堂や庫裏の建て替えや修復が必要な寺院は多い。資金難が重くのしかかる中、東京電力側からの賠償金はその費用に充てられ、帰還を果たした人々は不安を抱えながらも寺院再興を進めつつある。
残った人を大切に
「有志の会」の矢内俊道会長は、曹洞宗龍台寺(福島県富岡町)の住職を務めている。龍台寺は、室町時代の1490(延徳2)年創建の歴史ある寺院だが、原発事故後の避難を経て、境内の建物は鐘楼堂を残して全て建て替えが必要となった。
病気療養中の矢内会長に代わって寺院を切り盛りする矢内隆久副住職は、近くの東京電力の寮を間借りして寺に通い、境内の清掃などをしている。「かつては近くの高校の部活動の合宿なども受け入れ、活気があった。やはり寂しさを感じる」と語る。
檀信徒の多くは、いわき市内で避難生活を送る。新たな生活の中で約40軒が檀家から離れたが、無理に引き止めなかった。
本堂はまだ基礎しかない。今年上棟式を営む予定で、3年後の落慶を見込む。それでも、約2年前に会館が完成し、昨年8月に位牌堂の横に葬儀ホールを整えたことで、ようやく町内で葬儀や法事ができるようになった。「他の場所で新しい暮らしが始まった以上、離檀は仕方ない。残った人たちを大切にしながら復興を目指したい」と前を向く。
古里への思いに応える
「財物補償の問題が解決し、昨年6月に本堂を修復した。庫裏は間もなく完成する。彼岸前には、避難先のいわき市から拠点を移したい」
「有志の会」事務局長として活動を支えた浄土宗浄林寺(富岡町)の早川光明住職は、帰還に向けて庫裏の工事が進む自坊で、そう語った。
浄林寺の檀信徒は50軒が津波に巻き込まれ、7人が亡くなった。
「津波で自宅を流された檀信徒らの『せめてお墓だけは』という思いに応えたい。寺がなくなれば古里に何もなくなってしまう。まずはやってみようと動いた」。早川住職は、東京電力側との交渉を手掛けた動機を話す。
震災当時は県の外郭団体で施設長を務めていた。地震発生後、いつもなら30分の道のりを5時間かかって帰宅し、総代から海側一帯が流されたと聞かされた。
境内の整備を見守る早川住職
翌朝、原発事故で避難を余儀なくされ、茨城県の親戚を頼った。檀信徒も県内の郡山市やいわき市のみならず、北海道から広島県まで広範囲に離散した。元々地元にあった檀信徒約200軒のうち、帰還したのは10軒にも満たない。
浄林寺は事故がなかった福島第2原発の近くにあり、早川住職は震災前から、第2原発近くのモニタリングポストを意識的に見ていた。当時の放射線量は毎時0.44マイクロシーベルト程度だったが、今は約10倍の数値になっているという。
除染すれば生活できるレベルまで下げることは可能だが、山中に入ると毎時1マイクロシーベルトにも達する現状がある。復興庁が帰還の意思を尋ねた住民意向調査では、避難先から富岡町に「戻りたい」と答えた人は8.3%だった。
ただ、それでも離檀する人はほとんどいない。早川住職は言う。
「先祖とのつながりであるお墓だけは守りたいという声がある。本格的な帰還は何年、何十年先になるか分からないが、古里を守りたいという気持ちに、お寺が応えねばならない」
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