見出し画像

今まさに自分が立つ場所の地面の下にいる生き物——陸の深海生物

Author:小松 貴

 私が洞窟、すなわち地下に広がる大小の隙間に生息する生物に本格的に興味を持つようになり、すでに10年近くが経とうとしている。昆虫、クモ、ヤスデ、甲殻類に巻貝などなど……。陸の深海生物とも形容できる彼ら「地下性生物」は、日光の一切射さない暗黒世界に住むため、体の色素を失い、はては役に立たない視覚も失ってしまった。その代わりに、およそ地上の生物では考えられないような形態的・生理的な適応(周囲の状況を察知する鋭敏な触角や体毛、体表の結露にともなう呼吸困難を防ぐ体形など)を遂げた、まさしく奇妙キテレツな連中揃いである。
 仕事上の異動で移り住んだ九州のとある山間部で、戯れに沢沿いの地下を手鍬一本で掘り進んだ。服もズボンも泥水にまみれて土砂をかき分けたその先に、まるで宝石のガーネットを削ってこしらえたかのような、紅く美しい盲目の甲虫を見つけた。このただ一回の成功体験が元となり、私は地下深くを人力にて掘削して、その空隙に潜む生物を探し出すという趣味にはまりにはまることとなったのだった。

クロイワメクラチビゴミムシYamautidius pubicollis。
愛媛県の特定の洞窟に生息。
生息密度が低く、発見がとても難しい。

 しかしその過程で、私はこれら地下性生物をとりまく幾つもの厳しい現実をも、嫌というほど見せつけられることになった。一つは、彼らの中にあまりにも絶滅の危ぶまれる種が多いことだ。地殻変動などにより集団が細切れに分断・隔離され、その土地その土地で悠久の年月をかけて代替わりし続けたそれぞれの地下性生物たちは、地域固有性がきわめて強い。地球上でも、日本のとある都道府県内のとある一本の沢沿いとか、とある一つの山塊だけにしか生息しないという種がざらにいる。だから、彼らは人間の行う道路工事や宅地開発に伴ってその山一つ、沢一本破壊されただけで、この世から跡形もなく消えてしまう可能性が高く、実際すでにそうして絶えた種もいる。
 もう一つは、それほど生存上の危機にさらされた生き物たちであるにも関わらず、それらに対する世間一般からの関心があまりにも低すぎることだ。ダイオウグソクムシにメンダコ、ラブカその他、昨今あれほどにまで深海生物が巷でブームとなったこの時世。人々は、自分の住む世界とは異なる世界に住む奇怪な生き物に並々ならぬ興味を持つ、いや持てる潜在性を持つはずである。それなのに、遠いどこかの海の底ではなく、今まさに自分が立つ場所の地面の下にいる生き物のことに、なぜこれほどにまで関心が持てないのだろうか。それはひとえに、人々にそうした生き物たちがいることを知らしめる一般書が、世にあまりにも少なすぎることに尽きると私は考える。
 洞窟に関する一般向けの書籍は、これまで那由他の数が世に出ているし、そうした書籍の特定の一章の中に、地下性生物の話が取り上げられていることは稀ではない。しかし、結局の所それだけである。洞窟に住む生物に特化した一般向けの写真図鑑も、探し回ればないこともないが、それは皆海外のものであり、日本産のものだけにひたすらこだわったものはなかった。
 日本の地下性生物の種の多様さは素晴らしいものであり、本気でやればこのテーマだけで枕並みの厚さの大図鑑が作れてしまう。さすがにそれは無理でも、私はこの珍奇ながらも身近な場所にいる、地表の我々と表裏一体の世界の住人達のことを、もっと多くの人々に知らせたいと、長年にわたり考え続けてきた経緯がある。

ミトタマミズダニMideopsis mitoensisと思われる地下水性ミズダニ。
茨城県内の井戸から汲み出された個体。色素も眼も持たない。

 今回、紆余曲折はあったものの、ようやく私が心に思い描いていたそれに近いものを、この世に出せる運びと相成った。「陸の深海生物」は、日本の地下に生息する様々な分類群の生物の生態写真をふんだんに使った、恐らく日本の出版史上前代未聞の「日本の地下性生物だけの写真集」である。
 本書に使用した写真は、全て私が過去10年余りの中で日本中を旅してまわり、その行く先々で撮影したものばかりであり、中には史上初めて生きた姿が図示される生物種も珍しくない。途中、コロナ禍に見舞われて洞窟に入ることが出来なくなるなどの災難にも見舞われたが、可能な限り多岐にわたる分類群の地下性生物を網羅するようにした。

 深海に住む生物も地下性生物も、少し前までは一部の好事家らの間だけで話題になるだけの、知る人ぞ知るものたちだったと、私は認識している。現在、深海生物のほうはマスコットのぬいぐるみまで作られるほど、世間においてメジャーな存在となった。メクラチビゴミムシやヤスデがそうなるとは思わないが、私は本書をきっかけとして地下性生物の魅力、そして彼らの置かれている厳しい状況に気づく人が一人でも増えて欲しいと思っている。


「日本の地下性生物」=「陸の深海生物」に興味をひかれた人には、小松貴さんによる連載『稀代の生物学者、陸の深海生物に迫る!』もおすすめです。

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
1982年生まれ。信州大学大学院博士課程を修了後、国立科学博物館協力研究員などを経て、現在在野の昆虫学者として活動。著書に『裏山の奇人』(東海大学出版部)、『昆虫学者はやめられない』(新潮社)など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?