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クリスマスイブと不老不死の思い出と



不老ふ死温泉のタオルが黄ばんでいるのに、タオル棚にある。「黄金崎不老ふ死温泉」は、世界自然遺産・白神山地の麓、日本海に沈む夕陽を一望できる景勝地・黄金崎に建つ一軒宿。海岸と一体化した赤褐色の露天風呂に敦は小学4年の息子と入った。流石に、女湯もあるが、まるでワイルドな露天だから、丸見えなので、瑠璃子は遠慮した。かれこれ14年前のタオルだ。

前日、青森の弘前に泊まって、弘前駅からJR奥羽本線で東能代駅でJR五能線に乗り換え、ウェスパ椿山駅で降りた。列車の到着時間に合わせて送迎バスが来ていた。雄大な荒波の日本海に大きな一件宿というには、大き過ぎるホテルだった。驚いたのは、料理の多さだった。大食い選手権でも始まったかのような量だ。内容は忘れたが、海鮮料理から田舎料理まで、食べきれないほどの量が出て来たのを覚えている。また、五能線の車内で三味線の生演奏が始まったりと観光客向けのサービスがあって驚いた。


次の日にユネスコ世界遺産の白神山地に行った。秋田県から青森県にまたがるブナ原生林が見どころで、ハイキング感覚で白神山地を堪能できる十二湖散策コースがあった。十二湖の一つ、青池はその神秘的な青さから観光の目玉となっている名勝だ。観光ガイドだという女性が現れ、ホテルまで送ってくれるというので、五千円でお願いした。補聴器を使って、木の幹に当てて、水が流れる音を聴いたり、湖のいわれなどを教えてくれた。青池は神秘性があり、妖精でも出てきてもおかしくないくらい、神話性がある池だった。敦は、「吸い込まれるような感覚を感じたほどだった。青は藍出でて藍より青しか」と淳が訳の分からない事を言っているのも無視しても、本当に綺麗すぎる池であった。ガイドのおばさんが、寂しさが漂っていたのが気になったが、東北人の特徴なのかも知らないと思った。青森出身の劇作家、寺山修司が「青森は、一年中空がどんより曇っているから、性格が暗いのよ」とテレビで言っていた。奈良美智も弘前出身の現代美術アーチストだ。青森美術館には、彼の手がけた大作「あおもり犬」がある。巨大な犬の立体像は、宗教的な建造物を思わせる作品だ。収蔵作品が170点を超えるほどある。どれも、寂しさを感じてしまうのは、淳だけなのだろうかと思う。翌日は、秋田駅まで特急の「リゾートしらかみ」で一気に行き、秋田から新幹線で東京、東京から海老名と帰宅モードにスイッチが変わった。あれから14年。思えば、懐かしい思い出だ。「それを思い出させてくれる黄ばんだタオル。布が破れるまで使うとするか」と敦は思った。

世の中がクリスマスムードでいっぱいかと言うとそうでもない。コロナの影響で、今ひとつ盛り上がらないイブだった。「今日はクリスマスイブだから、シュニッツェルと言う肉を叩いて2倍くらい広げて、トンカツみたいに揚げる料理を作るわ」と瑠璃子が言った。何やらジャズ・ミュージシャンの菊池成孔(きくち・なるよし)のラジオで料理の話を聞いて思いついたようだ。瑠璃子が大好きな菊池成孔は、作家の菊地秀行は実兄で、彼自身も大学の非常勤講師や文筆家でもある。かなりのインテリジェントである。TBSラジオで「菊池成孔の粋な夜電波」という番組を2011年から2018年までやっていた。結構、ファンが多かった。『服は何故音楽を必要とするのか?「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召喚された音楽達についての考察』(INFASパブリケーションズ 2008年)などファッション関連の本も出しているので瑠璃子も好事家の彼を気に入っている。いつもラジオで好んで風流な事柄を好む「好事家(こうずか)」と自分自身を例えている菊池のお薦めクリスマス料理がシュニッツェルだ。

シュニッツェルは、豚肩肉をたたいて薄く延ばす。筋に切れ目を入れ、塩、コショウをして小麦粉を薄くまぶす。溶いた卵につけて、パン粉を薄く均等にまぶす。熱したフライパンに多めのサラダ油を入れ中火できつね色になるまで丁寧に焼く。表面のパン粉がうねりだしたら完成。

料理をしている間、敦と息子は、時間があるので、発泡酒を3本と日本酒を一合飲んで待った。クリスマスパーティーでは無いが、豪華な食卓が完成。セブンイレブンで敦が買った「ピモアッティーモスカート」と言う舌を噛みそうな名前のシャンパンを冷蔵庫から出した。イタリア産だ。「このカツ、めちゃくちゃ美味しい。料理は手間と愛情が必要だと痛感。気がつけば、シャンパングラスが無かったけど、まあいいか」と戯けた敦は、かなり酔っ払っている。それでも舌を噛みそうな名前の「シュニッツェル」を食べるとカツどころか歯応えがよく、バクバク食べられるので、あっというまに食べ終わってしまった。「ドイツ料理とイタリアワインの融合だ。これじゃ第二次世界大戦じゃん」と息子が茶々を入れた。クリスマス・イブの日、もう子供じみたデコレーションケーキより酒を欲しがる年頃になった息子には、シャンパンが似合った。酔いしれたイブだった。「次は正月で酒が飲めるぞ」と敦と息子の大はしゃぎに瑠璃子だけは、微笑んでいた。料理好きな妻に感謝をする敦は、ただ酔っ払っているクズかもしれないと反省していた。「明日、天気になあれ」「それだけかよ」と瑠璃子。幸せという瞬間だ。

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