思い出とともに次の時代に。
朝の1時頃になると猫が、謙也が寝ている寝室の戸をガリガリと音をたててかく。仕方がないので、起きることにする。寝室といっても、妻が書斎がわりに使っている和室だ。戸を開けると嬉しそうに中にはいるが、すぐに出て食卓テーブルに乗る。食卓テーブルは猫専用になっていて、広辞苑を台に餌の容器と大きな餌の入ったガラス瓶があり、ガラス製の水を入れた容器が二つ置いてある。
そのガラス製容器から、バリ島で買った黒い粗野な柄杓でちょっとだけ餌を入れて継ぎ足す。見事に食べ始める。娘猫は、大きな机の上のマットで寝ているが、息子猫が食べ終わるのを見計らって、ドスンと降りて、食卓テーブルにひょいと飛び乗る。謙也も羨む華麗さで飛び乗る。
これがルーティーンに近い毎日だ。結局、朝1時には起きている謙也だが、インターネットを始めた頃は、ネット回線が夜の11時から明け方の6時まで半額だったために、早朝起きて仕事したのがきっかけで、25年くらい早朝起きが習慣になっていた。25年前の1995年といえばWindows95が出て、ネットスケープでインターネットに繋がった時期だった。
謙也は、会社のキャノンの講習会があるという知らせで、慶應大学の湘南校舎へ行って、インターネットの講座を大学生とともに学んだ。始めてのインターネットを観て驚いた。結構大きな講堂での講義には、ジーパンにTシャツ姿の若者が大きなスクリーンを刺しながら、講演しているた。これが何よりカルチャーショックだった。
大学講師といえば、スーツ姿の中年おじさんのイメージしかなかった謙也に、飛び込んだネット社会の洗礼であった。この講演で大まかなことを知ったので、これ一回で大学には行くことはなかったが、後は独学でHTMLを書き代出して覚えたことを思い出した。
その後、電通の元木勉や資生堂に就職した結城恵などの慶應大学湘南校出の人たちを知ることになる。湘南校舎に行った経験が役立つとは思わなかった。実は、プロバイダーから巨額な請求が突然来たので、困っていたら、オンザエッジの堀江社長に「うちでサーバーを使ったら」と助けてもらった。そのお陰で、オンザエッジからライブドア、その次とスタッフが優秀な会社なので、堀江氏は離れたが、最後まで付き合った。創世期は、結構、有名な人たちと交流があった。
そんなことを思い出しながら、謙也は、コーヒーの新しい袋の封を鋏で切った。開けた瞬間、芳醇な香りが台所いっぱいにした。すでに轢いある粉を小さなスプーンでフィルターの中に四杯入れて、薬缶で水を目盛までいれる。この一連の動作が、気高く神聖な茶道のような時間だと謙也は思う。ぽたぽたとコーヒーが落ちる音を聞きながら、昔のことを思い出している時間も楽しいものだと謙也は思った。
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