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夏の雪

夏でも
わたしの心に雪が降る
眼には視えない雪が降る
その雪は
世の中の雑音を消し去ってくれる
暗い過去の記憶を白く塗りつぶしてくれる
そして
わたし自身も消し去ってくれる

© Aron Wiesenfeld

神野守さんの解説】

■神野さん、身に余る批評ありがとうございます。※は冬月本人のコメントです■

 読んだ瞬間、心が強烈に躍らされました。先ほど私自身が「私のお気に入りのフレーズ」という記事を投稿したばかりでしたので。

「ツイッターの「小池一夫」とは何者だったのか?」という記事を読んで以来、冬月さんの存在が私の心の中に強烈に残りました(※冬月の都合で「栄光と転落 ─小池一夫劇場─」に改題させていただきました)

 小池一夫さんが「子連れ狼」などの有名な作品の原作者である事はもちろん、私の好きな漫画「オークション・ハウス」や「実験人形ダミー・オスカー」の原作者である事も知っています。

 でも「有名な作家の先生」というイメージしかありませんでした。実際に身近に接した冬月さんの言葉だからこそ、小池一夫さんの真実の姿を知る事が出来ました。

「自己顕示欲と偽善の体現者」
「社員に対しては平気で罵詈雑言を浴びせかける、裏表のひじょうに激しい二枚舌の持ち主」
「気にいらないことがあるとすぐに激昂する、神経質にして複雑、時と場合によっては狡猾な人物」
「嘘に対する罪悪感など微塵もなかった」

(冬月剣太郎「栄光と転落 ─小池一夫劇場─」より)

 漫画「オークション・ハウス」や「実験人形ダミー・オスカー」を読んでいますと、暴力的な描写や性的な描写が次から次へと展開されます。作者の小池さん自身に内包されているからこそ作品の中で表現されるのだと、冬月さんの証言を読んで納得しました。

 一方で、冬月さんから受けるイメージは「温かさ」です。猫のアイコンで、名前に”猫詩人”とつけていらっしゃいます。猫は「自由」で「繊細」で「平和」で「甘えたがり」ですから、冬月さんもそのような方なのかなと推察します。

 今回、取り上げさせていただいた「夏の雪」について感じた内容を述べさせていただきます。

 まず、8行という短い文章でまとめている点に「潔さ」を感じます。余計な事をつらつらと書かず「これが全てだ」と言わんばかりです。かと言って、決して好戦的ではありません。

「私」を「わたし」と書いています。「わたし」とする事で「柔らかさ」を感じます。男性的と言うより、女性的なイメージです。主人公は女性なのかも知れません。あるいは男性であるなら、優しい男性なのでしょう。

 よく見ると、挿絵があります。夏服の女性が夜のベンチに座って、降り続く雪を見上げている絵です。主人子は女性なんですね。

 平仮名から思い浮かぶのは、平安時代の貴族でしょうか。 「私」ではなく「わたし」とする事で、雅な世界に誘われる予感がしないでしょうか? 大河ドラマ「光る君へ」が好きな私は、これだけで胸が弾みます。

 表題の「夏の雪」から皆さんは何を感じられるでしょうか。夏に雪は降りません。降るとしたら異常気象です。夏は暑いから夏なのであって、雪が降りようがないのです。

 と言う事は、夏に雪が降っていると言う事は異常事態です。彼女は「私は今、大変なんだよ!」と訴えているのです。

 しかも続けて「眼には視えない雪が降る」と書いてあります。眼に視えないと言う事は、誰にも気づいてもらえません。誰からも助けてもらえる当てのない彼女は、絶望の中にいます。

 次に「その雪は世の中の雑音を消し去ってくれる」「暗い過去の記憶を白く塗りつぶしてくれる」と続きます。雪は、冷たく冷えた彼女の心を象徴していますが、一方で消したい過去を塗りつぶしてくれるありがたい存在であるとも言えます。

 更に「そして、わたし自身も消し去ってくれる」と言って締めくくっています。

 最後の一文はとても衝撃的です。わたしを消し去るとは「この世から消し去る」と言う意味でしょうか。そのように受け止める方も多いと思います。最初に私もそのように感じたのですが、何度も読み返すうちに「過去のわたしを消し去る」という意味ではないかと思いました。

 過去にとらわれる事をやめて、新しい自分に生まれ変わって出発しようという、彼女の決意が込められている気がしました。

 皆さんはどう思いますか?

【ChatGPT3.5による解説】

夏に降る白い静寂


詩「夏の雪」は、対照的な季節のイメージを巧みに融合させた作品だ。この詩は、夏の熱気と雪の冷たさという相反する要素を通じて、内面的な葛藤と救済を描き出している。

最初の一行、「夏でも わたしの心に雪が降る」というフレーズから、この詩は読者を幻想的な世界へと誘う。夏という季節は通常、活気や生命力の象徴とされるが、その中で「雪が降る」とは、心の中の孤独や静寂を象徴しているのだろう。これは、外の世界の喧騒や温かさとは裏腹に、内面の冷たさや孤独感を感じる瞬間を表している。

次の行、「眼には視えない雪が降る」は、心の中の雪が実際には目に見えない存在であることを強調する。これは、他人には理解されない個人の内面的な苦悩や悲しみを象徴している。誰もが経験するが、言葉にできない感情の表現であり、その透明な雪は静かに、しかし確実に心の中に積もっていく。

次に「その雪は 世の中の雑音を消し去ってくれる」という表現が続く。ここでは、雪がまるで心の中の静寂をもたらす守護者のように描かれている。日常生活の喧騒やストレスから逃れるための手段として、雪は一種の浄化作用を持つと解釈できる。この雪は、外界からの侵入を遮断し、心の静けさを取り戻す手助けをする。

さらに「暗い過去の記憶を白く塗りつぶしてくれる」という一行は、雪が過去の痛みやトラウマを覆い隠し、心を清める役割を果たしていることを示唆している。雪の白さは純粋さと新しい始まりを象徴しており、過去の苦い記憶を消し去り、新しいスタートを切るための象徴として機能する。

最後に「そして わたし自身も消し去ってくれる」という締めくくりは、自己消滅の願望や、苦しみからの解放を求める心情を表している。雪に包まれることで、自己の存在をも消し去るという究極の静寂と解放の境地に達することを願っている。この一行は、自己否定や存在の無意味さを感じる一方で、それが同時に救いでもあるという複雑な感情を伝えている。

「夏の雪」は、現実と幻想、外界と内面、喧騒と静寂という二重性を通じて、深い人間の感情と対峙させる詩である。この詩がもたらす静かな雪景色の中で、私たちは自己の内面を見つめ直し、心の中に潜む静寂と対話することになる。その対話は、時に苦痛を伴うが、同時に心を浄化し、新しい視点を与えてくれる。

詩が描く「夏の雪」は、現実の喧騒からの逃避ではなく、心の中で静寂と再生を見出すための象徴である。この詩を通じて、私たちは内面的な雪の降る風景を描き出し、その白い静寂の中で、新たな自己を発見する旅に出ることができるだろう。

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