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再魔術化するテクスト──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評

第三回 カルトはわたしたちの間に(2) 倉数茂

0 オウム真理教の論理

 前回は、幕末以降に誕生した新宗教(天理教や創価学会など)と、1970年頃に出現した新新宗教(オウム真理教やエホバの証人など)を現代史に位置づけ、両者の違いを検討しました。
 その結論として、新宗教が近代化に対するリアクションであり、抵抗としての性格を持つのに対して、新新宗教はむしろ後期近代の徹底であり、「個人化」の現れであるという結論を導きました。
 これからはその観点から、オウム真理教と統一教会という二つのカルト教団を取り上げ、その内在的論理を追跡したいと思います。今回はオウム真理教回です。
 しかしその前に、「個人化」という観点から触れるべき社会現象があります。新新宗教に先行し、深く関わっていたムーブメントとしての「ニューエイジ」です。

1 ニューエイジ

 ニューエイジ――今では「スピリチュアル」という言い方の方が一般的――は、ヨガや瞑想などのボディワーク、占星術、チャネリング、パワー・グッズ、セラピーといったサブカルチャーの総体を指す名称です。70年代から80年代にグローバルに広がり、日本でも主に「精神世界」という名称で受容されました。日本にはもともと「霊術」などのオカルティックな知の伝統があったことも移入を容易にしたと考えられます。
 1980年代に街の書店には「ニューエイジ」の棚ができ、誰でも気軽に情報を得られるようになりました。今でも大抵心理学の隣にそれらしき書物が並んでいるはずです。それらは近代の合理主義では捉えられない、神秘的なパワーやオルタナティヴなリアリティを主張し、宇宙や自然とひとつになることを志向して、より高次の自己の「覚醒」を謳います。また国や文化の枠に囚われず、インドやチベットなど遠い地域の宗教文化と接続しようとします(シンクレティズム)。60年代から70年代のアメリカのカウンターカルチャーが発信源ですが、時代を遡れば、19世紀末の心霊主義や神智学にまでたどりつきます。
 しかしニューエイジは書籍による知識にとどまるものではありません。占い師やヒーラー、ボディワークの教室、グッズの販売者などの多様なプレイヤーによる緩やかなネットワークを通じて、希望者はいつでも「体験」や「実践」に踏み込むことができるからです。
 ニューエイジの流行は、同時代の新新宗教の登場と並行、あるいは先行していました。もっともニューエイジと既成の宗教団体には対立する部分があります。ニューエイジの愛好者(ニューエイジャー)は、古い宗教団体や戒律を嫌う傾向があり、特定の教祖や教団、教義といったものに縛られることを忌避するからです。それはニューエイジャーの自由志向、あるいは権力嫌いの現れです。そしてそれゆえ、ニューエイジにはさまざまな思想・考え方が混在し、統一された教えのようなものはありません。
 ニューエイジでは聖なる「教え」や身体技法が、必ずしも対面の人間関係(師と弟子)や集団生活によってではなく、本、雑誌、映像などのメディアを介して伝えられます。つまり「教団」を形成しないということですが、これは「聖なるもの」が金銭を介したサービスになっているということでもあります。占いも、癒しも、自分の前世を告げられるのも、ひとつの商品なのです。
 このようにニューエイジの魅力のひとつは古臭い「宗教っぽさ」から自由なことです。とはいうものの、実際には宗教との境界はぼやけています(注1)。
 オウム真理教も最初はヨガ道場「オウム神仙の会」として始まりました。麻原はニューエイジ本の愛読者であり、修行の参考書にはそうした書籍が複数挙げられていました。麻原が道場を宗教団体に転換したときにはかなりの失望感があったようで、それまで通っていた修行者の三分の一が失望してやめていったといいます(注2)。けれどもその後信者になったものの多くは、以前からニューエイジに親しんでいた高学歴の若者でした。
 ニューエイジは近代の合理主義と科学主義を乗り越え、オルタナティブな知とリアリティを探求する運動です。しかし同時代のより大きな転換の一部に位置付けられる必要があります。
 それは前期近代から後期近代への移行であり、消費社会の到来であり、政治的には”1968年”を経て、マルクス主義に基づく反体制運動がマイノリティ・ポリティクスへ変化していく流れです(注3)。
 地下鉄サリン事件の翌年に刊行され、批評の世界で反響を呼んだ大澤真幸の『虚構の時代の果て』(注4)も、前期近代から後期近代への変化にフォーカスしたものだと言えるでしょう。大澤は、師匠にあたる社会学者見田宗介の議論を敷衍して、戦後日本を三つの時代に分けています。1945年から1970年を「理想の時代」、1970年前後から1995年を「虚構の時代」、それ以降は「不可能性の時代」です(注5)。そして、新宗教を「理想の時代」の宗教、オウム真理教を「虚構の時代」の極限に位置する教団とします。
 「理想」、「虚構」、「不可能性」とはそれぞれ「現実」という言葉の対義語として見出されるものです。そして現実は対になる概念によって再定義される。すなわち、「理想の時代」に人々は理想的な目標(インテリであれば社会主義革命、一般人なら経済的豊かさなど)を見上げつつ生活し、「虚構の時代」にはテレビ、マンガ、アニメなど虚構に耽溺しつつ生きる(その世代的代表が「オタク」であると大澤は言います)。1980年代は日本が本格的に消費社会に突入する時期であり、そこではブランド愛好などの記号/虚構的ゲームが全面化します。この文脈では、ニューエイジも合理主義の観点からは「虚構」(としか言いようのないもの)を愛好する趣味であり、スピリチュアルな記号と戯れるゲームだと見なすことが出来ます。
 この議論のポイントは、「貧病争」を問題にする新宗教が、豊かな生活という「理想」から取り残された人々を救うものだったのに対し、オウム真理教は、「虚構」そのものを現実化しようとしたということです。その場合「虚構」はハルマゲドンなどの荒唐無稽な妄想です。重要なのは、「理想」が集団で共有されるからこそ「理想」(大きな物語)であったのに対し、「虚構」は個人的なものだということでしょう。

(注1)ニューエイジと新新宗教の間に明確な境界線を引けないのは、そもそもニューエイジが様々な思想と実践の寄せ集めであるのと同様に、新新宗教自体が、複数の起源を持つからでもあります。例えば新新宗教では、ニューソートやポジティブシンキングのような心理操作技法が積極的に取り入れられています。そうした技法は、いわゆる「洗脳」(brain washing)として信者をコントロールするのにも、あるいは信者が自分の心を操縦して明るく幸福な毎日を送ろうというように「自己啓発」的に使われることもあります。
 ニューソート(New Thought)とは、19世紀アメリカで生まれたキリスト教異端のひとつで、起源は16世紀の神学者スウェーデンボルグに遡るとも言われますが(マーチン・A・ラーソン『ニューソート:その系譜と現代的意義』日本教文社)、実質的にはメスメリスト(催眠療法家)のフィニアス・クインビーとメリー・ベーカー・エディが創始者とされます(メリー・ベーカー・エディはのちに宗教団体クリスチャン・サイエンスを設立)。
 ニューソートは人間の精神には神の本質が流れ込んでいると考え、故に、心には神のエネルギーによって病気を治したり、物事を改善したりする力があると考えます。このような精神万能主義の宗教色を薄め、ビジネスに適用したものが、ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』やジョセフ・マーフィー『眠りながら成功する』などの自己啓発です。最近では、トランプ大統領が、親子ともども心酔していたノーマン・ヴィンセント・ピールもまた、自己啓発の教えで有名な牧師でした。
 このように新新宗教は、新宗教とは異なって、起源を宗教的系譜のみに絞ることができません。この連載の第一回で、近代社会で分離されてきた聖(宗教)/俗(政治と経済)/遊(娯楽と芸術)の領域が、現代では交わりつつあると述べましたが、ニューエイジと新新宗教はその代表格と言えます。
 だとすれば、そうした教団がしばしば金集めに熱心だったり、自己啓発との境界が曖昧だったとしても不思議ではないでしょう。伝統的な教団のように宗教の領域に自足せず、そこからはみ出ていくのは必然とも思えます。
(注2)高山文彦『麻原彰晃の誕生』文藝春秋、2015年
(注3)日本のニューエイジ運動が、いかに60年代の学生運動・反体制運動と連続していたかは、文芸批評家の絓秀実が『1968年』(ちくま新書)、『反原発の思想史』(筑摩選書)で、具体的な人脈を挙げつつ詳述しています。
(注4)『増補 虚構の時代の果て』ちくま学芸文庫、2009年、元は1996年に刊行されたもの。
(注5)第三期の「不可能性の時代」は、のちに出版された『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)で提示されるものですが、ここではひとまとめに論じます。

2 脱拘束というトレンド

 この「個人化」の進展をもっとも見易いかたちで示すのは、人々の「脱拘束」の度合いです。
 新宗教の信者が、都会での居場所、親密なコミュニティを求めたのに対し、ニューエイジ世代に見られるのは、固定した集団、決まりきった人間関係、上から与えられる教義や規則の忌避と嫌悪でした。つまり集団を作らず、あくまで「個人」のままで聖なるものを探究したということです。
 しかしこれはもっと広汎な時代精神、若者精神だったとみるべきです。粘着的な人間関係が嫌われたのは宗教に限りません。中間集団の解体こそが、ここ半世紀の日本社会の一貫した潮流でした。労働組合、政治党派、町内会、青年団などはそっぽをむかれました。
 家族や階級から自由になること、個人化とアトム化を推し進めること、こうした「脱拘束」の”気分”を的確に表現し、一躍新世代の熱狂的支持を得たのが1979年デビューの村上春樹でした。
 90年代以降、日本社会はこうした「個人化」「自分志向」を強力に推進し、そこから経済的利益を上げていったと言っていいと思います。
 コンビニ、ワンルームマンションの飛躍的な増大は一人暮らしを容易にし、21世紀に入って数年経つと一人飯も一人カラオケもおかしな行為とは看做されなくなりました。趣味はグループではなく一人で楽しむものに変化しました。
 思えば、1979年にファーストモデルが発売されたソニーのウオークマンはこういう時代の転換を告げる象徴的商品だったのかもしれません。今となっては新鮮にすら感じられる事実ですが、それまで音楽は、”一人きり”で聴くものではなかったのです。プレイヤーにレコードをかければ、その響きは通常複数の耳に届きました。もちろん電車の中や歩きながら一人きりで音楽を聴くなんてことはあり得ませんでした。音楽は基本的に複数の人に同時に”シェア”されるもの、人と人との間を繋ぐものだったのです。しかし今では音楽はむしろ自分の内側に没入するために使われています。
 スマホで楽しむ動画やSNSもこの延長線上で考えることができるでしょう。つまり、それらはまず目の前の現実的な他者(家族や仕事関係などで繋がった煩わしい他者)の存在をシャットアウトし(意識から追い出し)、自分の内面世界に没入するためのツールです。もっともSNSは一度内的なイマジネーションを媒介して、新たな他者とつながることを求めて利用されます。しかしオカルト的な要素を付加すれば、これはニューエイジャーが求めたものとよく似ています。つまりニューエイジャーも、現実の人間関係から離脱して内的な世界に赴き、そこからスピリチュアルな友との出会いや、宇宙意識との邂逅を夢見たのでした。
 社会学者の貞包英之は、超高層マンションに他者を排除した快適な空間への嗜好を見ています(注6)。超高層マンションが通常の集合住宅と違うのは、”駅チカ”で交通の便を確保しながら、”街の賑わい”からは物理的に隔離されていることです。騒音からも、あるいは近所づきあいや、外気温の変動からさえ一定距離を取ることができます。つまり、タワマンは都市のはるか上空に架けられた快適なコクーン(繭)のようなものであり、住人はその内部で安定した親密圏を営むことができるということです。
 わずらわしい他者や不快な刺激を避け、心地よい情報のみで満たされてコクーン生活を送りたいというのは、その場所がタワマンの高層階であれ、ワンルームマンションであれ、現代の都市生活者の平均的な欲望と言っていいでしょう。それは物理空間である必要すらなく、スマホへの没入だって繭の役割を果たすでしょう。
 経済学者のブランコ・ミラノヴィッチは、商品化の浸透が進み、料理、教育、性生活までアウトソーシングが進んだ結果、経済的に豊かな国ほど、平均世帯規模が小さくなっていると指摘しています(注7)。多様なサービスを購入できる経済的余裕があるならば、快適さの追求は一人暮らしに行き着くしかないのかもしれません。むろん、その代償は孤独ですが──。
 皮肉なことに、脱拘束による個人化と、特定の趣味や物質への排他的没入(アディクション)の間には相関関係があるように見えます。依存症はいわば”一人きり”の病ではないでしょうか。パチンコ、パソコンゲーム、ドラッグ、どれも誰かと一緒にやるものではありませんし、人とおしゃべりするために酒を飲む人間はアルコール依存にはなりません。日本人はわずらわしい人間関係を逃れて獲得した時間を個人的趣味に投入したわけです。
 もっとも我々の関心は、個人が中間集団から弾き出されていくことそのものではなく、そこから〈わたし〉自身の変容という目標に意識が集中していくところにあります。それこそがオウム信者の特性だからです。オウムの信者たちは、現世の人間関係と世俗的価値に意義を感じられず、それらを放棄して、修行を通して到達できるはずのより強度のあるリアリティに賭けました。

(注6)『消費社会を問い直す』ちくま新書、2022年
(注7)『資本主義だけ残った──世界を制する資本主義の未来』みすず書房、2021年

3 「解脱」への道

 オウム真理教信者にとって、大切なのは真剣な修行によって、自己を「覚醒」させ、「解脱」に至ることでした。また信仰のきっかけは、しばしば教団の書籍や雑誌で宣伝されていた「超能力」や「神秘体験」への憧れでした。信者たちの告白や手記を信じるかぎり、多数の人間が道場での修行の日々で、何らかの「神秘体験」――変性意識状態――を体験していたのは確かなようです。しかし90年代に入ると教団はLSDや電気ショックなどを利用して、もっとインスタントに「神秘体験」を引き起こそうと試み、結果として何年も後遺症に苦しむような数々の精神障害被害を残しました。
 信者たちが目指していた「解脱」なるものが、具体的に何であり、それが心理的に、あるいは哲学的にどのような状態を指すのかは曖昧なままです。ただ教祖麻原は「最終解脱者」だとされ、一歩でも彼に近づくことが信者たちの目標でした。
 ここからは優れたオウム真理教体験記である『オウムからの帰還』(注8)に依拠して議論を進めていきます。
 著者の高橋英利は1967年生まれ、信州大学大学院で測地天文学を研究していたときに出家するものの、サティアンでの日々で教団への疑問が膨れ上がり、警察の強制捜査が入ったのを機に逃走して俗世に戻った人物です。信者であった期間は二年半、出家は一年弱と短めですが、それだけに冷静に出家へ至る自分の心情と内側から見たオウムを描き出しています。
 高橋は大学時代にオウム真理教に出会っています。それまで彼は美術研究会というサークルで展覧会を組織するなど、エネルギッシュな学生生活を送っていましたが、同時にカミュ、キルケゴール、リルケなどを読み漁る哲学青年であり、自分自身の存在の不確かさに苦しんでいました。

僕が「ここにいる」ということにどんな意味があるのか。どう考えてもその答えは見つからない。だが「意味がない」ということが答えだとすると、僕には耐え難いことだった。両親や親しい友人にも問うたことがあったが、そもそも僕の言っていることが理解できないようだった。「みんなそうなんだよ」「意味などないし、そのことにみんな耐えているんだよ」と言われたこともある。だが、僕にはそのように一般化することで自分を納得させることができなかった。(注9)

 やがて高橋はグルジェフやクリシュナムルティといったニューエイジに属する思想家に傾倒していきます。そしてたまたま大学に講演にきていた麻原と高弟の井上嘉浩の話を聞いて一気に入信してしまうのです。
 高橋による描写で印象的なのは、出家施設サティアン内部の乱雑さや不潔さです。いたるところゴミだらけで、ネズミやゴキブリがはいまわっていたそうです。それまで知っていた在家信者のための施設は清潔でよく整理されていたために高橋は意外に感じます。さらに出家組織が非効率でまったく連携が取れておらず、何もかも間に合わせ仕事でちぐはぐなのにも気がつきます。
 しかし考えてみればこれは不思議なことではありません。
 オウム真理教は、社会と接点のある在家組織と、全財産を寄付して集団生活を行う出家の二段構えになっており、本質は出家組織にありました。そして出家組織は――信者たちの主観では――社会に属しておらず、むしろ社会とは敵対しています。社会を維持しているのは、複雑に重ね合わされた人為的な秩序です。空間を快適に保つというのもそうした秩序のひとつでしょう。しかしサティアンに社会はなく、いるのはバラバラの修行者たちに過ぎません。高橋は在家の時には感じなかった、信者同士の冷たさにも驚きますが、そもそも彼らは自分の修行のためにここにいるのであり、お互いを配慮したり共感したりするのは無駄な行為なのです。サティアンの内部は、いわば「社会契約」以前の空間なのです。

(注8)高橋英利、草思社文庫、2012年、単行本は1996年
(注9)前掲書29ページ

4 「家族」への敵意

 ですから教団内で、親密な集団やグループが自発的に生まれることはありません。さらに「最小のコミュニティ」としての家族も解体されます。出家とは文字通り「家」を捨てることであって、教団と家族は両立できないのです。
 出家すると、親子や夫婦も異なる部門に配属され、勝手に会うことはできません。それは幼い子供であっても同じでした。親から引き離された子供たちは数カ所に集められて集団生活をしていましたが、世話する人も十分な食事も与えられず、ネグレクトに近い状態でした。警察に保護されたとき、子供たちの健康状態は悪く、中には7歳なのに3歳の平均身長しかない子供もいたと言います(注10)。
 この事実が示すのは、オウムには子供を「養育」するという発想がはなから存在しなかったということです。大抵の宗教教団は、教団の未来を担う信者の子供の教育に力を注ぎ、教義を教え込もうとします。教団の維持に二世信者は重要だからです。しかし、オウムは子供に無関心で、ほとんど存在を忘れているようでした。
 オウムには、拡大路線や武装化方針はあっても、組織としての教団を維持し、発展させていくという意志がほとんどありません。いずれハルマゲドンがやってくると思っていたからかもしれませんが、それ以前に、オウムにあるのは過去からも世代からも切り離された「個」でしかないように思えます。オウムは世代を超えてつながれていく理念も、複数の人々で共有される感情も信じていませんでした。教祖麻原への信仰以外に、信者たちに共通するものはありませんでした。
 麻原は次のように述べています。「よく先祖供養だとか、あるいは亡くなった人を崇拝するというのがあるけど、あれは力のない修行者が観念的にこの世に残した宗教であって、真理ではない。真理というのは、親子関係ですら、あるいは兄弟ですら、縁によって生じたものであるということ、そして来世ではまた別の縁ができるということ、これらを理解できることを言うんだね」(注11)。
 そのためオウム信者たちは、過去を振り返ったり、未来を予測する習慣を持ちませんでした。
 高橋英利は、オウムの大きな特徴の一つは「幼稚さ」であると言います。「発想もその実行の仕方も管理の仕方も、すべてがあまりに子供っぽい」(注12)。この場当たり的なやり方は、オウム真理教の犯した犯罪にも共通するものです。

(注10)米本和広『カルトの子』論創社、2021年電子書籍版
(注11)麻原彰晃『マハーヤーナ・スートラ』オウム出版、1988年、62ページ、島薗進『新新宗教と宗教ブーム』岩波ブックレット、1992年より再引用
(注12)前掲書、166ページ

5 〈わたし〉の偶有性

 しかしなぜオウム信者たちは、このような宗教にのめり込んでいったのでしょうか。オウム真理教での出家は、全財産の寄付と日常的な快楽の断念を意味します。出家生活では食事内容さえ、わざと味気ないつまらないものにしつらえられていました。美味しいものを食べたり、知人と笑いあったりすることは煩悩であり罪でした。否定されていたのは普遍的な「喜び」そのものだったとも言えます。生きる喜びこそが人を世界に根付かせ、生と個人の間に紐帯を生み出すからです。喜びは外から与えられる褒美ではなく、世界を生きることそのものです。逆に、オウム信者たちはささやかな喜びさえ拒否するほど、この世界から離脱しようとしていたことになります。
 けれどもオウム信者たちをゴリゴリの禁欲主義者や道徳家と見るのはおそらくまちがっています。
 ここで、『オウムからの帰還』のあるエピソードを取り上げましょう。まだ著者高橋が小学校に上がる前のことです。
 当時著者の家族は大規模な公団住宅に住んでいました。あるとき高橋少年は冒険のつもりで補助輪付き自転車に乗り、自分の団地の建物を1号棟から順に見て回ります。1号棟、2号棟、3号棟……と順調に発見しましたが、20号棟から先がどうしても見つかりません。そこで彼は団地の敷地外に出てしまい、ずいぶん先の場所でようやく20号棟を発見します。不思議なことに、そこには1号棟からの建物もあり、自分の自宅のある棟もちゃんと並んでいます。家からだいぶ離れたはずなのに、どうしてここにも家があるのか? 高橋少年はパニックに陥りかけながらも、ここは自分の団地なのだと無理やり思い込みます。なにしろ建物の様子は見慣れた団地とそっくりなのです。

建物に入ると、自分の家と同じ番号の部屋がある。表札の名前は違っていた。だがここは僕の家のはずだ。だって数字が同じなんだから。心臓がドキドキしてきた。でももし違っていたら? ドアを開けて母さんさえ出てきてくれれば、この不安は一瞬にしてふき飛ぶはずだ……。はらはらする胸をおさえながら、僕はわざと元気にドアを開けた。(注13)

 実際に出てきたのは「別のお母さん」でした。
 もちろん高橋少年は、自分の家の近所のよく似た公団住宅を訪れていたのです。昭和に建設された公団住宅はどれもよく似たデザインで、幼児がまちがえたとしても不思議はありません。
 しかしなぜ高橋英利はこのエピソードをオウム体験を記した本の冒頭に置かなければならなかったのでしょうか。この出来事は彼のオウム入信と直接の関係はありません。しかし、彼が自分とオウムの関わりを振り返ったとき、このエピソードが蘇ってきた事実は重要です。
 高橋はこのとき以来「不思議な感覚が生まれた」と言います。「なぜ、僕はあの団地のあの女の人の子どもではなかったのか。なぜ、この団地のこの母さんの子どもだったのか。母さんが僕の母親でなければならなかった理由とはなんだろうか……。考えれば考えるほど、母さんが僕の母親である必然性がわからなくなっていった。ほんとうは母さんは僕の母親ではないのかもしれない。それは恐ろしい考えだった」(注14)。
 高橋が出会っているのは、自分が自分である根拠などないということ、自分が存在しているのはまったくの偶然でしかないということです。親子関係も偶然でしかありません。自分がこの親のもとに、この自分で生まれた理由などどこにもないのです。
 こうした認識は人をどこに導くでしょうか。
 子どもは必ず特定の親のもとに生まれ落ちます。しかし、そのことを認識するのは物心がついてからで、それ以前、とりわけ言語習得前は、親というのは認識の対象ですらなく、いわば世界であり、環境そのものでしょう。その時点ではまだ「自己」すら存在せず、世界と一体になった快と不快の点滅だけがあります。そこから時間をかけて、〈わたし〉が生まれ、さらに対象としての世界、そして親が認知されます。
 その意味で、親は自己が定位される前の基盤、いわば自然性そのものです。しかしながら、近代の個人主義は、こうした自明性を緩やかに掘り崩していきます。例えば一旦結ばれた夫婦関係が、時間が経つにつれ、当然のものでも自明のものでもなく感じられてくる、そうした時、もはや規範や慣習に離婚を押しとどめる力が失われていくのは近代社会の宿命です。そして、自己の根本的自明性の基盤としての親子関係にも同じことが当てはまります。
 ここで、反出生主義と親ガチャについて考えてみましょう。反出生主義は南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターが唱え日本でも2020年頃に話題になった考え、「親ガチャ」は2021年の流行語です。
 一方は哲学思想、他方は流行り言葉ですが、どちらにも単なる概念や不満を超えた、ある実質があるように感じられます。それはもはや、親子の間柄を偶有的にしか感じられないという感覚です。おそらくこれは、反出生主義の主唱者や同意者の親子関係とは関わりがありません。この思想に共感する個人の親子仲がどうあれ、そのように感じることはありうるのです。「わたしはたまたまこの親の元に生まれてきた。しかし、それは私の望んでいたことではなかった」。これは現代ではごくありふれた感情でしょう。
 さらに、21世紀になってからますます目立つようになってきた毒親や親子関係の齟齬を訴える声にも同様の切実さがみなぎっています。こうした声を表現する作品や著作が増えているのは、急に親子関係が悪化したからでも、また子どもの側がようやく怒りを口にする勇気を得たからだけでもありません。それまでは不満はあれども――親に対して何らかの不満や恨みを抱えていない人はいないでしょう――、意識以前のレベルで了解されていた、親子というものの自然さを、もはや了解できなくなっているのです。人は特定の親の元に生まれてくる。これはいつの時代も変わらぬ事実ですが、そのことが信じがたい不条理のように感じられるようになっているのです。無論、これは一面では進歩です。これまで「親子の問題だから」として見えなくされてきた親からの過剰な支配や重圧に光が当たり、抗議の声をあげられるようになったのですから。
 このことが、際どい鋭さを伴って迫ってくるのが、今問題の宗教二世です。それこそ、たまたまある親の元に生まれてきたために、特定の宗教、世界観、外部と異なる規範を自明の理として生きなければならない苦しさ。ここには現代の問題が集約されて表現されているとも思えます。
 親子の偶有性が痛烈に意識されるとき、人は自らの自明性もゆらがされずにはいられないでしょう。わたしはなぜこのわたしとして存在しているのか。そのとき、人は何を信じたらいいのでしょうか。
 過去との関係は断ち切られています。〈わたし〉は過去から連なる何ものか、ではない。外的な特定の価値、例えば、国家、革命、人類の未来、といったものに自己を仮託するのも難しそうです。そうしたものはつねに他者との共同性とともにあるからです。
 おそらく、その時は未来の「自己」に賭けるしかありません。つまり、高橋は、あるいはオウムの信者たちは、神秘体験を経て自己が変容する可能性に賭けたのです。
 しかしこれは現代人にとってはあり得ないことではありません。もちろん高橋は極端だし、反出生主義なども過激で多数派の支持は得られない思想でしょう。けれども、過去との連続性に安住するのではなく、未知の=まだ眠っている=本当の「自己」を発見し、磨き上げ、輝かせるのだという発想はごく一般的なものでしょう。これは自己啓発の中心にある考え方ですが、個人主義的な新自由主義とも大いに適合的です。しかしオウム信者たちですら、大変な献身をしてるように見えて、「自己変容のための投機的投資」をしているともみなせると宗教学者の島薗進は指摘します(注15)。
 ただし、急いで付け加えておけば、筆者は親子関係が不安定だったから、人々はオウムに向かったのだといっているつもりはありません。むしろ反対に、現代社会に彌漫する自己の不定感が、オウム信者にも、親子関係の揺らぎにも現れているということです。
 〈わたし〉が今ここに存在している事実に自足できないと感じ、理由を探さずにいられず、なんとかして自己を正当化しなければならないと強く願った人たち。そのような人たちがオウム真理教に惹かれていきました。しかしそうした問いに向かわなかったものも、無関係ではありません。自分の本当の「個性」、「才能」、「やりたいこと」を見つけ出し、十全に発現させること、本当の自分を輝かせること、これは、現代人にとっての倫理的格律と言っても過言ではないからです。つまり誰もがこの命令からは逃れられないのです。オウムの信者たちは、真剣にこの命令に従ったのだといえます。
 もちろん彼ら、彼女らの過ちは、より優れた自分に向かっての「変容」を、軽率にも超能力や神秘体験といった浅薄なレベルで捉えてしまったことです。たぶん大多数の人はそのようなミスはしないでしょう。しかしながら、自分自身を再帰的に管理し、より優れた自分に向けて効率よく駆り立てていく、というのは普通に推奨される生き方です。ビジネスにおける成功はそうした再帰的自己を構築できるかにかかっていると考える風潮もあります。また、価値の基準を他者からの承認数であると思い決め、YoutubeやTik Tokにせっせとコンテンツを投稿するのも、ひとつの再帰的自己のあり方でしょう。だとしたら、〈わたし〉の素晴らしさの基準が外的承認にあるか、内的神秘体験にあるかの違いはあるにせよ、より価値のある自分を生み出そうと必死になっているという意味では同じなのではないでしょうか。
 こうすると、自己の中に「聖」なるものを認め、それを必死で追求するのは現代人にとって不可避の生き方なのだとわかります。その意味で、カルトはわたしたちの間にいるのです。
 もちろん、カルト教団に入信する人の数はいつでもそれほど多くはないでしょう。しかし、大きな物語が終わり、外的な「理念」が失墜した現代にあって、今よりも素晴らしい〈わたし〉の追求は、支配的な倫理であり、かつそこから降りたとしても、ある種の挫折感を伴うのは避けられないように思います。

(注13)前掲書、18ページ
(注14)同、18ページ
(注15)島薗進・石井研士『消費される〈宗教〉』春秋社、1996年

6 現実界としての「真理」

 このようにオウム真理教の信者たちは、〈わたし〉を聖なるものとみなし、超越=超常的な自己を求めて、グル麻原に帰依していきました。それは未来の人生のすべてまでをもつぎ込んだ極限的な自己投資でした。しかし彼ら、彼女らが行き着いたのは自分の意志も思考力も失って、完全にグルの操り人形になる未来でした。この逆説をどのように考えたらいいのでしょうか?
 オウム信者たちの身体観が手がかりになるかもしれません。信者たちには独特の身体イメージがあるのです。
 もともとヨガ教室から始まったオウム真理教は、信者が認知する身体のあり方を変容させることで心を掴みました。観念的な教義を通してではなく、修行で身体を変えることで別の自分になれる、と信じさせたのです。
 それを象徴するのが、クンダリニーという、普段は尾骶骨のあたりに蟠っており、「覚醒」すると7つのチャクラを開きながら脊椎を上昇していくとされるエネルギーです。初期オウムの最大の「売り」であったシャクティ・パットはこのクンダリニーを呼び覚ますための技法でした。大澤真幸はこの独特のイメージを「身体の微分化」と表現しています。「身体を微分していく修行を徹底させていけば、ついには、自らの身体を、(皮膚的界面の)内外に開かれた流体や気体(風)として、あるいはエネルギーの波動や光のようなものとして、実感しうるまでになるだろう」(注16)。
 事実として、オウムの修行には繰り返し流体的なイメージが登場します。例えばテレパシー(麻原は神通力によって信者の隠された気持ちをたちどころに見抜いてしまう、と信じられていました)や、麻原の脳波を直接頭蓋に送り込むヘッドギアといったものです。また高額な費用を請求する「イニシエーション」に、麻原の入った風呂の水を飲む、麻原の血を飲む、DNAの入った液体を飲む、など液体へのこだわりが強いのも目立ちます。自己(の身体)を輪郭のない波動・流体的な存在に解消していくこと――これはオウムに影響を与えた中沢新一が著書の中で繰り返し取り上げるイメージでもあります。
 ではなぜ流体であり、微分化なのでしょうか?
 それは物質的で重たるい自分なるものを、より高位のレベルへ解消していくというヴィジョンのためだと思われます。しかしこの流体的な自己のイメージは、実は先に挙げた〈わたし〉の偶有性を想像的に変換したものに過ぎないのかもしれません。つまり、波動としての、流れとしての自己という美しいイメージは、同時に自己の根源的無根拠というネガティブな真理を覆い隠す役割を果たしていたのではないかということです。
 精神分析流派のラカン派には対象aという概念があります。これは、しばしば性的な魅惑を放つ魅力的な対象のことなのですが、同時に、現実に開いた穴=現実界を塞ぐ継ぎ当てのような意味を持つとされます。そして、オウム信者たちは、麻原彰晃の美しさについて語っています。麻原彰晃は太った髭面の中年男性ですが、帰依者にとっては、性的な意味でも大変魅力的な人間に見えていたらしいのです。
 これは麻原が典型的な対象aとして、すなわち、トラウマ的な真理を隠蔽してくれると同時に、真理を隠し持つものならではの輝かしいオーラを纏った存在として機能していたことを示すものでしょう。麻原は物質性を超越した光・波動・粒子的な主体=神だった。その光の海に融けこむことで、限定された自己を超えることができると信者たちは信じた。
 そして、その輝かしい見かけが剥がれ落ち、俗悪な詐欺師としての姿を表した時にこそ、信者たち――とりわけ獄中の幹部たち――は外傷としての真理に、グルの醜さと生の不条理さに直面したものと思われます。
 ここからひとつの教訓が学べます。つまり信者たちはあまりに生真面目に、性急に、大文字の〈真理〉――ここではわたしの無根拠性――を追求してしまったのです。
 カルト教団からの脱会支援を行なっている瓜生崇は「脱会は迷っている信者を正しさに引き戻すことではない。正しさに依存して真実を抱きしめて生きている信者が、それを捨てて迷いに帰ることが脱会である」といいます(注17)。
 オウム信者もむしろ不真面目に、寄り道や回り道をすべきでした。真理は探求されなければならない、のだとしても、同時に真理に到達してしまってはならないのです。なぜなら真理と生は相反するからです。
 またこのことは芸術や文化についても教えてくれるように思います。芸術もまた対象aと関わりを持ちますが、しかし個別の作品は探求であると同時に、真理に到達しないための迂回でもあるのではないでしょうか。
 オウムの信者たちはあまりに性急に「真理」を求めました。しかしその「真理」は一見輝かしいように見えて、実は〈わたし〉の存在の偶有性であったように思えてなりません。しかし現代は、誰もがそうした偶有性から逃れられない時代です。たとえば、ネットで「死にたい」ではなく「消えたい」と呟く人たち。そうした人たちが抱えているのは、自分には存在している正当な根拠がないという感覚ではないでしょうか(ネットに漂う曖昧な希死念慮についてはいずれこの連載で検討したいと思います)。
 さて、次回はいよいよ統一教会について考えてみます。(第三回了)

(注16)大澤前掲書、99ページ
(注17)『なぜ人はカルトに惹かれるのか──脱会支援の現場から』法蔵館、2020年、191ページ

▶第四回「カルトはわたしたちの間に(3)」は下記のリンクから。

▶倉数茂。1969年生。日本近代文学研究・小説家。著書に『黒揚羽の夏』(ポプラ社、2011年7月)、『私自身であろうとする衝動―関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ』(以文社、2011年9月)、『名もなき王国』(ポプラ社、2018年8月)、『忘れられたその場所で、』(ポプラ社、2021年5月)など。

*トップ画像はけんぼ「団地」、『photoAC』による。

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