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再魔術化するテクスト──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評

第四回 カルトはわたしたちの間に(3) 倉数茂

0 統一教会はどういう宗教なのか

 前回のオウム真理教に続き、今回はカルト教団の代表例として統一教会(正式名称:世界平和統一家庭連合)を取り上げます。
 統一教会は海外からやってきた宗教ということもあり、オウム真理教とはまた随分違った性格を持っています。
 まず信者に神秘体験への傾きや、熱心な自己探求といった要素はあまりありません。
 統一教会研究の第一人者である櫻井義秀は、脱会信者へのインタビューを重ねた経験から、「若者達の特徴を一言でいうなら、育ちのよい素直な青年」(注1)としています。育った家族もごく普通であり、大きな問題や不幸な生い立ちを抱えていた人も少なかったのです。
 信者の手記を読み比べても、オウム真理教では幼少期からの存在論的な疑問への答えを求めて入信していくケースが多いのに比べて、統一教会の信者はどこか受動的に取り込まれてしまったという印象があります。宗教を求めていたわけではないのに、ちょっとしたきっかけで統一教会の施設に通い出し、そのままずぶずぶ深入りしてしまうというパターンです。そのようなことが起きるのは、統一教会が宗教団体だと明かさないまま勧誘しているからです。アンケートや占いとして近づき、親身に振る舞って警戒心を解いたところで、ビデオセンター、セミナーといった一連のプロセスで個人の認知を作り替えてしまうところに、統一教会の恐ろしさがあります。しかも勧誘する側も過去の犠牲者であり、それが働き蟻よろしく、システムの一部として誠心誠意新たな犠牲者を捕獲しているのだから、無間蟻地獄です。
 まず、簡単に教団の概要を見てみましょう。
 統一教会は1920年に平安北道定州(現北朝鮮)に生まれた文鮮明が、1954年にソウルで始めた宗教です。
 1958年に日本でも布教を開始し、1964年(昭和39年)に宗教法人格を獲得しています。
 若い頃の文鮮明については不明の部分が多く、正確なことは分かりません。16歳の時、祈祷中にイエスが現れ、人類の救済を託された、というのが教会の主張です(注2)。日本への留学経験もあり、抗日運動にも参加していたとされます。それが事実であるかは疑わしいにしても、この植民地下抵抗運動の系譜は実は重要です。
 後に述べますが、当時の朝鮮で大きな影響力を持っていた李龍道ら神秘主義キリスト教団との関わりも解明が待たれるところです。
 20代にはスパイ容疑で逮捕され、懲役5年の判決(「社会秩序紊乱罪」)を受けて強制収容所にいたところを朝鮮戦争時にやってきた国連軍によって解放されます。
 文鮮明は戦火の中、仲間たちと命からがら南下し、釜山にたどり着いて教会を再建します。この辺りの事蹟は、メシア文鮮明の若き日の苦難として神話化されています。
 いずれにせよ朝鮮戦争当時は、韓国にたくさんあった神秘主義教団のひとつに過ぎませんでした。
 日本での布教がどのように始まったのかも謎めいています。
 1958年7月日本名西川勝(崔奉春)が文鮮明の指令を受けて密航船で日本に渡ったところから日本統一教会の歴史は始まります。西川は捕まって大村収容所に入れられますが、紆余曲折あって笹川良一が身元引受人になることで釈放されます。西川は日本に育って――父は天理教の教会長だったとも――キリスト教信者になり、朝鮮戦争では従軍牧師だったというのだから、彼もまた、植民地主義と戦争と宗教とにもみくちゃにされ、流転していた青年の一人だったということでしょう。西川の元に、立正佼成会の青年幹部らが多数入信し、日本教会の基礎を築きます。
 1968年には日・韓・台の連携による反共産主義を謳う国際勝共連合が設立され、名誉会長に笹川良一が就任します。この頃培われた元首相岸信介との関係が、孫の安倍晋三にまで引き継がれたことは周知の通りです。

(注1)櫻井義秀・中西尋子『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』北海道大学出版会、2010年、204ページ
(注2)アメリカのテレビ局が文鮮明に、その時イエスは韓国語を話したのかと質問したところ、文鮮明が「そうです、ヘブライ語なまりのある韓国語でした」と答えたという滑稽なエピソードがあります。ちなみにイエスが話していたのはアラム語というのが定説です。

1 霊感商法と合同結婚式

 一方、統一教会の歴史はさまざまなトラブルの歴史です。
 1964年に作られた「全国大学連合原理研究会」は主に大学生を対象に布教を行うための組織で、全国の高校・大学内にサークルを作って活発に勧誘を行いました。教団活動に身を投じるため大学を中退する若者が続出したために「親泣かせの原理運動」と呼ばれて社会問題になります。
 教会は獲得した若い信者を、マイクロバスに乗せて、珍味やハンカチなどの巡回販売に送り出しました。ほとんど無給、夜はマイクロバスに泊まり、公園のトイレで身体を洗うといった生活に何ヶ月も従事します。そうした生活のために身体を壊すものも多数いたといいます。1980、90年代に大学生活を送った人なら、「原理研」に近づかないようにと大学当局から注意があったり、キャンパスで左翼学生と論戦しているのを見た記憶があるかもしれません。
 1980年代には霊感商法が社会問題化します。この時期になると若者だけでなく、財産のある中高年女性にターゲットを拡大し、先祖の怨念を騙って高額商品を売りつけるようになっていました。
 さらに1990年代には芸能人の合同結婚式がワイドショーで大々的に取り上げられます。
 霊感商法の摘発が本格化したのはようやく2007年になってからでした。2009年には関連の印鑑販売会社「新世」が摘発され、同じ渋谷にあった統一教会の本部も家宅捜索が検討されたものの、警察庁OBの政治家からストップがかかったとも囁かれています(注3)。
 こうした事態を受け、2009年2月教会はコンプライアンス宣言を行います。それ以降霊感商法はあからさまにやりづらくなったものの、韓国の本部に送金する必要から、信者からの献金ノルマはこれまで以上に厳しくなったとも言われています(注4)。
 統一教会には3つの大きな特色があります。他の宗教団体にも似たような部分はあるでしょうが、統一教会は規模と激しさにおいて突出しています。
 それはまず1)金銭への強いこだわりであり、2)政治領域への一貫した接近であり、3)性と血統への激しい執着です。順に見ていきましょう。

(注3)有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』大月書店、2022年
(注4)石井謙一郎「献金極秘文書が明かす変わらぬ体質」、『統一教会 何が問題なのか』文春新書、2022年

2 金銭への強いこだわり

 霊感商法は統一教会の専売特許ではありませんが、被害の約9割が統一教会によるものだといいます(注5)。統一教会のように大規模に霊感商法を行っている集団はありません。
 信者には絶え間のない献金ノルマがあり、財産のないものは、一般人を騙す事業に従事するように求められます。
 また統一教会とは何の関係もない地域の霊能者が起こした弱小教団を経済力で支配し、霊感商法のダミー団体として使うという信じ難いことまで行なっています。(北海道の天地正教。もともと馬頭観音などを祀るキリスト教とは一切つながりのない団体でした(注6)。)こうなると完全に詐欺集団の手口です。
 こうしたことから、組織の上層部が意識的に教団を巨大な収奪装置・集金マシンとして運営していることは明らかです。
 それは被害者の誘い込み方や信者の獲得の仕方からもわかります。
 櫻井義秀は、統一教会が信者勧誘や霊感商法で使うマニュアルを入手し、その内容から、教会が教えを広めるというより、明らかに取り込みやすい人(一人暮らし、学生など)を狙い、従順な働き手を作ろうとしていることを指摘しています。通常宗教が相手にするような悩みや苦しみを抱えた人よりも、コントロールしやすく、絞り取りやすい人を狙っているのです。
 入信すると、教団関連組織で経済活動をすることになりますが、そこには営業用のトークマニュアルがあり、教義とは関係の無い姓名判断や手相などが手段として使われます。手相を見て先祖の罪障が今後悲惨な結果をもたらすなどと脅して、印鑑や多宝塔を売りつけるわけです。
 占いなどを活用した路上での勧誘→ビデオセンターで教義をわかりやすく解説したビデオを見る→数日間のセミナーに参加して集団で感動体験を共有する、というように、入信への道筋はシステム化されています。全国共通のこのシステムによって安価かつ効率的に信者をいわば「生産」することができます。もちろんこれは、同時代に流行した自己啓発セミナービジネスと共通の仕組みです。
 こうした仕組みが完成したのは1980年代の模様です。信者たちは求道や救済について真剣に考える余裕もなく、ひたすらに販売実績を上げることを目指して日々を費やします。
 この辺りは、同じく教団による事業展開を行いながらも、信者たちに孤独で過酷な修行をさせていたオウムとは違うところです。
 統一教会の教義には、悪の世界である現世から資源(金銭)を引き上げ、神の側に渡さなければならない「万物復帰」という教えがあります。さらに日本は邪悪なエバ国でありアダム国である韓国に送金しなければいけないという考えが教義に組み込まれています。そのために信者たちは、自分たちが詐欺を働いていると知りながら正しいことをしていると信じられるのです。
 では送金された莫大な資金は何に使われているのか。1971年文鮮明はアメリカに居を移し、教団は国際的に事業展開をしていきます。つまり元々教団には強い現世志向、経済志向があり、それは「あの世」や精神領域ではなく、地上に文鮮明によって「統一」された「地上天国」を作るという野心と結びついているのです。
 しかし日本から送られる豊富な資金に頼って放漫経営に陥り、海外の事業は成功していないともいわれます。

(注5)有田前掲書
(注6)櫻井前掲書

3 政治領域への一貫した接近

 統一教会はずっとKCIA(韓国中央情報部)の影が囁かれる組織でした。KCIAは、1961年のクーデターで独裁権力を掌握した軍人朴正煕(パク・チョンヒ)を支えた諜報機関ですが、文鮮明はある時期からKCIAの庇護下にあり、独裁政権の傀儡であったというのです。
 1955年7月、文鮮明はソウルの名門女子大生といかがわしい関係を持ったということで逮捕されています(梨花女子大事件)。しかし3ヶ月ほどの拘留期間中にKCIAと関係ができたのではないかという説があります(注7)。
 この時期に4人の軍人が入会して幹部となり、軍と教会を結ぶ役割を担ったとされます。中でも最高幹部だったのが情報将校朴普煕(パク・ポヒ)であり、彼は退役後も文鮮明が海外の要人(中曽根、ゴルバチョフ、金正日)と会うときにはつねに付き添っています。
 アメリカ合衆国下院が1976年に発表した「コリアゲート」(KCIA のアメリカ政界工作)調査報告書である「フレイザー報告」には、朴正煕の腹心である金鐘泌がKCIA長官時代、旧統一教会を組織化し、政治の駒として使っていた旨が記されてあります。またKCIA は教団を通じて日本政界にも働きかけていたとされています。
 しかし統一教会の政治への接近を単純にKCIA に唆されたものと見るわけにはいきません。韓国軍事政権が倒れたあとも、統一教会は勝共運動に膨大な資源を注ぎ込み、政治家への便宜を止めようとしなかったからです。
 櫻井は統一教会の宣教方法に一般の新宗教とは異なる性格を見ています。大抵の新(新)宗教は、少なくとも初期には何らかの悩みを抱えている普通の人々に応えることで教勢を拡張していくのに、統一教会では日本布教の最初から、政治家や大学人に意図を持って接近していったというのです。1976年には「世界平和教授アカデミー」が設立され、多数の大学教員や文化人が関わっています。
 宗教には「世直し」というモチーフがあり、政治に介入しようとするのは珍しいことではありません。しかし統一教会の政治への欲望は群を抜いています。
 なぜ、そこまで政治に強くこだわるのでしょうか?
 統一教会の聖典である『原理講論』にはいずれ第三次世界大戦が起きて共産主義は滅亡し、ひとつの世界政府が樹立されると書かれています。信者たちが信じたのはそうした「世界の終わり」であり、文鮮明というメシアが君臨する「地上天国」だったのです。そこで乗り越えられるのは共産主義とともに、資本主義でもあるというべきです。
 文鮮明は、まだ正式に教団を立ち上げる以前、北朝鮮の監獄で友人に、いずれ世界は神のものとなり、国籍や人種に関係なく、誰もが好きな場所で好きなものを食べられるようになると語ったとされています(注8)。この原始共産制を思わせるユートピアには、文鮮明個人のみならず、共産主義と資本主義のはざまでもがき苦しみ、戦争の惨禍に晒されていた朝鮮民衆の夢が投影されているように思います。
 戦争の業火に焼かれる朝鮮半島を出発点に持つ統一教会は「世界観政党」ならぬ「世界観宗教」であり、中枢に世界革命の夢をビルトインされているのです。
 むろんこれは「国家の廃滅」という思想を持つマルクス主義をそのまま転倒させたものです。
 のちに幹部となるような初期の若手信者は、統一教会の魅力を、他の宗教にはない包括的で体系だった世界観・歴史観を持っていたところとしています。しかしこれは通常マルクス主義(唯物史観)の魅力として語られてきたことです。革命へと向かう「人類史的必然」に参画できるという確信がマルクス主義者を駆り立てましたが、初期の統一教会信者はこれとよく似ています。
 とはいえ「世界の終わり」に向けられた信者の情熱とは裏腹に、統一教会は機会主義的に有力政治家に接近し、その関係を教団の現世利益のために活用してきました。
 それが一番あからさまに現れたのが冷戦体制崩壊後です。
 ビジネス展開に成功し、教団規模も巨大化していた統一教会でしたが、東側という「敵」を失った結果、生き残りをかけて方針を修正していきます。具体的にはキリスト教的な千年王国思想が薄れ、代わって韓国の民俗宗教に近しいシャーマニズムや先祖崇拝の要素が増大します。研究者の古田富建はその変化を①霊界と家庭の強調、②「反共主義」から「民族主義」への移行、③「異端的キリスト教」から「脱キリスト教」への移行の3つにまとめています(注9)。「原理講論」のウエイトが下り、半分以上が霊界についての内容の教祖の談話集「天聖教」が03年に発刊されます。
 そして90年の金日成主席との電撃会談以降、北朝鮮批判はやみ、「民族的な和解と統一」を訴えるようになり、日本には従軍慰安婦などの戦争犯罪への悔い改めを求めるようになります。しかし主張は変わっても、保守政治家との関係が持続したことは明らかになっている通りです。

(注7)朴正華『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』恒友出版 、1993年
(注8)朴前掲書
(注9)「韓国キリスト教系の新宗教の祈祷院文化――清平祈祷院を通して見る統一教の巫俗化」(韓国・朝鮮文化研究会『韓国朝鮮の文化と社会』14、2015年)

4 性と血統への激しい執着

 このように統一教会は権力者との密接な関わりを梃子に、信者たちの労働力と財産を容赦なく収奪してきました。それは教祖一族の飽くなき欲望と壮大な救済史観とが渾然一体となったシステム故でした。
 しかし統一教会の異様さをもっとも明白な形で際立たせるのがその性と血統への激しい執着です。
 統一教会において最も重要な儀式が「祝福」とも呼ばれる合同結婚式です。入信者はこの「祝福」を夢見て献身します。なぜなら救済されて天国に入るためには、「祝福」を通じて身体を清められ、教祖夫妻の「子供」になる必要があるからです。
 合同結婚式はこれまで二十数回行われていますが、重要なのは1960年代の前半に行われた最初の数回でしょう。第一回、第二回で結婚した36組は特別の存在とされ、権威ある幹部グループを作っています。
 また合同結婚式は全部で7つある聖なる儀式の一部です。結婚式の前には聖酒式があり、参加者は文教祖の血が入っているともいう(酒樽に文鮮明が手を切って血を垂らすのをみたという証言がある)酒を口にします。また教祖が自分の手を新婦の手一人一人に重ねます(この部分が、文鮮明による性行為の代替ではないかという説があります)。
 さらにここでは引用を控えますが、新郎新婦の「初夜」も体位まで含めて細かなところまで指定されているのが目を引きます。これは性行為自体が聖なる儀礼とされているからです。
 これはすべて教義と関わりがあります。
 報道でも知られるようになりましたが、聖典『原理講論』では、旧約聖書のアダムとエバの物語を性的に解釈します(注10)。エバが神の戒めを破って「知恵の木の実」を口にしたという物語は、堕天使ルーシェル(ルシファー)との性行為のメタファーだとするのです。その後、エバは恐ろしくなってアダムを誘惑して交わります。これが統一教会の考える「堕落」の意味です。
 サタンと交わったエバから生まれた人類は、サタンの血筋を引き継いでいるために根本的に穢れた存在です。アダムもまたエバと交わったことによってサタンの穢れを引き継いでしまっています。故に現実世界はサタンの支配する領域になります。「性行為」によって罪(穢れ)が伝播していくという発想を記憶してください。これこそが統一教会原理の重要部分だからです。
 『原理講論』はアダムとエバ以降の人類史を神による救済の失敗の歴史として描き出します。2000年前、神は一人子イエスをつかわしますが、イエスは霊の救済には成功するものの、人間の肉体の救済には失敗します。なぜなら、彼は自分の母やマグダラのマリアたちと性交することで、罪のない子供たちを生み出すべきだったからです(注11)。しかしその機会はなくイエスは処刑されてしまいました。
 ここに救済とは、正しい血筋を持つ子孫を繁殖させることだという思想が現れています。しかしこれはキリスト教的でもユダヤ教的でもありません。むしろアジア的な血統(先祖崇拝)思想です。
 イエスが失敗した以上、神は再び自らの血筋を人間たちに散種しなければなりません。ここで再臨のメシアである文鮮明の出番です。彼だけは悪魔によって穢された人間の血を聖なる血筋へと「血統転換」する力を与えられています。しかし論理的に考えるなら――この点、『原理講論』は曖昧な記述に終始していますが――それは文鮮明教祖との性行為によるほかはないでしょう。
 なんという異様な教義でしょうか。けれどもこれは実は統一教会が編み出した教えではありません。理解するためには統一教会誕生以前の朝鮮に遡る必要があります。

(注10)このバイブルは、統一教会がある程度安定し、規模を拡大していく時期に、幹部でソウル大医学部卒の経歴を持つ劉孝元によってまとめられたものです。
(注11)朴前掲書

5 キリスト教異端の系譜

 実は統一教会が産声をあげたころ、朝鮮半島には自らメシアを名乗る宗教者が数十人いたのではないかと言われています。太平洋戦争から朝鮮戦争に至るあいだは神霊主義教団と呼ばれるキリスト教異端の最盛期だったからです。
 キリスト教が朝鮮半島に本格的に入るのは19世紀ですが、それまで半島では男性・知識人・支配層の宗教としての儒教と女性霊能者による巫俗(シャーマニズム)の二重構造が成立していました。
 巫俗はムーダンと呼ばれるシャーマンを中心とする儀礼信仰で、儒教の祭祀が包摂できなかった、親よりも先に死んだ子や、恨みを呑んで死んだ魂の供養を行うものです。ムーダンはシベリアとの関係も想定される、占い、招魂、病気治しなどを行う女性霊能者です。
 そこにやってきたキリスト教は、まず西洋文明とひとつらなりのものとして受容されました。キリスト教は遅れた社会と男性中心主義からの解放をもたらすものと期待され、キリスト教会も高等教育に力を入れたため(注12)、朝鮮半島の近代化はキリスト教徒に担われることになりました。
 1910年に日本に併合されると、独立運動でも朝鮮人キリスト教徒は大きな役割を果たします。対抗して大日本帝国も、教会に閉じ込めた信者を建物ごと焼き殺す(提岩里教会事件・1919年)など朝鮮キリスト教への攻撃を強めます。
 しかしながら1919年の三・一独立運動の敗北後、教会は保守化し、人々はより大衆的で終末信仰的な復興会に希望を求めます。復興会は平壌を中心に広がったムーブメントで、多数の人々が牧師を中心に長時間にわたって祈り、罪を告白し、神との合一体験を語りながら集団で熱狂へと高まっていく集会です。
 19世紀のアメリカでも、転々と場所を移動しながら情熱的な説教で聴衆を感動の渦に巻き込む伝導集会が大きな影響を持ちましたが、韓国でも、苦しむ人々はわかりやすい言葉で救いを説く復興師に傾倒していったのです。
 復興会はそれまで知識層の西洋受容の一面であったキリスト教を、大衆に下降させ、より内面と心情に基づく信仰に変化させました。と同時に、それは神秘主義への傾きを持つものでした。イエスが直接人間のもとを訪れ、語りかける。そう信じるとき、それはシャーマニズムと紙一重です。
 当時絶大な人気を誇った復興師として李龍道(1901〜1933)がいました。李龍道も学生時代反日運動に参加し何度も投獄されています。その後転身を経て、復興師に任命され、涙を流しながら何時間も語るような熱烈な説教で人気を得るものの、主流派教会を批判する言動も多く、やがて牧師の任を解かれ、自分の教会(イエス教会)を立てて活動します。
 李龍道は33歳の若さで結核のため死亡したため、詳しい主張はわからないのですが、神との合一を説く神秘主義の傾向を持っていたこと、スウェーデンボルグの影響を受けていたことなどは確かなようです。さらにイエスが親臨したと称する柳明花という霊能者を受け入れました。直接李と接点があったかは不明ですが、10代の文鮮明がこのイエス教会に通っていたことは明らかになっています。
 李龍道の死後、その周囲にいた金百文、白南柱、黄国柱などが異端宗派を設立していきます。彼らの主張は、朝鮮半島にイエスが再臨するとし、ときには自分がそのイエスだと説いた上で、人類が堕落したのはエバが不適切な性交を行ったからだとするものでした。これらの宗派は「血分け」と称して信者との性行為を行ったとされ、「混淫派」と非難されました。この金百文の記した著作が『原理講論』の下敷きになっていると目されます。つまり、文鮮明の統一教会は、1930年代から40年代にかけて興隆した神霊主義異端のひとつなのです。

(注12)延世大学など今の韓国の名門大学にはキリスト教会が設立したものが少なくありません。

6 シャーマニズムと「恨」

 ここまで来れば合同結婚の意味は明らかでしょう。
 すなわち合同結婚は、まずメシアの子種を受けた新婦が、次に夫と交わることによって救済を感染させていく儀式です。それにより、夫婦は初めて肉として救われ、「真のお父様・お母様」(教祖夫妻)の「子ども」になり、聖なる血筋を受け継ぐことができるのです。
 合同結婚でも、1960年に行われた最初の2回では、実際に文鮮明が新婦と交わったのではないかと推測されています。もちろん人数の拡大によってそのようなことは不可能になりましたが、儀礼にその痕跡は残っています。
 人類に罪を導き入れた第一のアダム、霊の救いには成功したが、肉の救いには失敗した第二のアダム(イエス)、そして韓国に現れる第3のアダム=文鮮明が悪魔の血で汚れた人間の血を神の聖なる血と交換する。これが統一教会の教えの中核です。
 1949年に北朝鮮の監獄で文鮮明と知り合い、のちに統一教会の幹部になったが、やがて離反し、告発の書を書いた朴正華という人物がいます。彼はまだ20代の文鮮明から監獄で「血分け」の儀式について説明を受けたと書いています。そこにはすでに再臨のメシアがまず6人の人妻と交わり、さらにその人妻が他の男と交わって救いを広げていくこと、さらにメシアは性経験のない処女を選んで結婚し「真のお父様・お母様」になって永遠に罪のない子供たちを産むというアイデアがあったそうです。
 監獄から出た文鮮明は、積極的に教えを説き、周囲に信者たちを集めていきます。当時の教団は文鮮明が何時間も説教を続け、興奮した信者たちが激しく泣き叫ぶという高揚した雰囲気のもとにあり、集団の生活も信者たちが共同でブロマイドを制作し、ソウルの街で売り歩いた金によって支えられていました。動乱期ならではの熱狂に支えられた融合的コミュニティが存在していたということでしょう。朴正華が描く、次々と信者と深い仲になっては、激怒する妻から逃げ回る若き文鮮明の様子はまるでコメディのようです。
 異端神霊教団・統一教会における朝鮮シャーマニズムの痕跡に「恨」があります。「恨」とは不遇の人間が抱える切なさ、苦しさ、恨みといった感情ですが、子を残さずして死んだ人間はそのような「恨」を持っているとされます。シャーマンであるムーダンの大切な仕事は、そうした死者の「恨」を解き、霊を鎮めることです。(むろん日本の怨霊信仰が思い出されます)。
 通常のキリスト教の観点からは、イエスが人類の救済に失敗したという主張は不可解ですが、朝鮮シャーマニズムの価値観からはそうではありません。巫俗では非業の死を遂げた英雄を神として祀りますが、イエスは未婚のまま若くして死んだ哀れな神なのです。その満たされない思いを解消するために、信者は神の子孫となり、先祖供養をしなければなりません。
 文鮮明の1970年の説教にこうあります。「イエス様の恨とは何か。家庭を成すことができなかったことが恨なのです。宗族を形成できなかったことが恨なのです。(中略)この恨を解いてあげなくては、人間の救援はなされないのです」(注13)。
 統一教会が霊感商法の一環として先祖の「恨」を解くという発想をより積極的に押し出すようになるのは、冷戦崩壊後ですが、もともと「恨」の思想を内在させていたと見るべきです。

(注13)「イエスの恨と人間救援の完成」、『文先生み言葉選集』37巻(古田富建「韓国の死霊信仰と鎮魂(「恨プリ」)文化――イエスの鎮魂と死後結婚」雑誌『現代宗教』東京堂出版、2006年)より再引用

7 帝国の夢と「負の現人神」

 合同結婚で結ばれた夫婦の子供は、「祝福2世」と呼ばれる特別な「神の子」です。その子供たちは罪から清められた血を持ちます。
 そしてそうであるからこそ、文鮮明の教えが虚偽であると認識することは深刻な危機になります。「祝福2世」にとって、自らの起源は文鮮明にあるからです。肉体的には実の父母から生まれたのだとしても、本質においては文鮮明の種を受けて生まれてきたのが自分なのです。
 この「祝福2世」の立場から文鮮明の虚妄を鋭く告発したテクストがあります。激しい怒りと痛切な悲しみとが渾然と絡まり合い異様な強度を生み出している禍々しいテクストです(注14)。安倍元首相暗殺事件から一週間も経たないうちにウェブZINEに発表されました。
 筆者であるmimei maudetは次のように記します。

  1945 年までの極東には、 紛れもなく、 父なる現人神を中心とする八紘一宇の世界があった。 「一宇」 とは 「一つの大きな家」 という意味である。 そう考えてみると、 これを統一協会風に言いかえたものが 「天一国」 だったのではないか、 という疑念が湧く。 別の言葉をつかえば、 文鮮明が金百文の模倣者であったのと同じように、 統一運動とは八紘一宇の一つの反復であり、 戦後の日本が勝手に蓋をしてしまった極東の戦争を継続させる強い意志だったのではないか、 という疑惑である。

 ここには重要なことが書かれています。文鮮明の誇大妄想的な人類救済計画は実は大日本帝国の夢想ではなかったかというのです。
 文は「負の現人神」(mimei)として、極東の島国が取り憑かれていた「帝国」の夢を、引き受け、反転した形で地上にもたらそうとしました。夢見られた帝国とは、神聖家長が支配する永遠のイエであり、人々は大日本帝国臣民が皆平等に「陛下の赤子」であったように、本当の「お父様・お母様」の子供となります。世界のすべてが神のもとに「復帰」し、国々は統一されて、歴史は最終地点に到達します。
 それは大日本帝国に蹂躙された朝鮮半島の歴史的「恨」を解くこと、つまり家を立て、子孫を残すこと、おのれの血統がどこまでも広がっていくことでもありました。
 オウム真理教は家族の絆を断ち、家を出る(出家)ことを求めました。他方統一教会はいずれ世界大に広がる「本当のお父様、お母様」の家に入ることを求めます。しかしその家に、女性の主体性のための場所はありません。性は、お父様に支配され、管理されます。それは戦前の朝鮮半島の人々が日本国籍とされながら、平等な人権を与えられなかったのとも似ています。

(注14)「父、文鮮明のこと──負の現人神」 https://ezdog.press/my-father-sun-myung-moon.html

8 性と家族をめぐる闘争

 統一教会の問題がマスコミでクローズアップされたあと、どうして保守派や右派が激昂しないのかを訝る声がありました。統一教会は朝鮮半島に出自を持つ、極めて韓国中心主義的な教義を持ちます。日本はエバ国として、アダムである韓国に仕え、奉仕しなければならないという教えが説かれています(宇宙のあらゆる事柄を、男女二元論のどちらかに振り分け、女側を劣位とみなすのは統一教会の基本的な発想です)。普段韓国を批判している論者であれば、統一教会と自民党との癒着にもっと怒ってもいいはずですが、実際には、保守側の怒りの声は驚くほど盛り上がらず、中には擁護するメディアもある始末です。
 どうしてこのようなことが起きるのか。
 考えられるのは、日本の保守派も統一教会的な欲望に深く絡め取られてしまっているのではないかということです。とりわけ性と家族というテーマにおいて。
 ソ連崩壊後、統一教会は反フェミニズムや純潔教育を声高に主張するようになります。
 戦術論から言えば、共産主義という「敵」を失って、組織の維持と拡張のために新たなイシューが必要だったからという面はあるでしょう。しかしここまで論じてきたことから明らかなように、統一教会にとって、性の支配は教義の中核にある根本的な欲望です。
 1999年の改正男女雇用機会均等法施行以降の数年に盛り上がった、右派や保守派によるフェミニズムやジェンダー平等への攻撃をバックラッシュと言います。バックラッシュはさまざまな保守勢力――その中には宗教団体も多数――のネットワークによるものですが、統一教会はそこでもメインプレーヤーのひとつでした。反共から、反フェミニズム・反性教育への移行は統一教会に限ったことではなく、ゼロ年代以降の右派のトレンドでもあったのです。その中では性教育は共産主義の陰謀といった言説も多数語られました。
 統一教会の教義には、暴力の傷跡が多重に刻まれています。
 まず帝国日本による植民地主義の暴力であり、次に冷戦体制下の熱戦であった朝鮮戦争の暴力です。
 統一教会の起源にある神霊主義異端教団はこの暴力と動乱の時代と切り離すことができません。この混乱の中で見出されたのが「血分け」、すなわち性の根源的な力だったのです。初期の統一教会もそうした異端教団のひとつとして性の力を体現していました。そこには多数の女性信者がいましたが、彼女たちはそれぞれの親子関係や夫婦関係の中で傷つき、そこから逃れたいと願っていた人たちではなかったかと想像します。
 統一教会が解き放った性の力は家父長的秩序を破壊し、一瞬だけ女たちを解放したのかもしれません。彼女たちは罪を清める能力を根拠に、自分から男たちを選んで交わることができたはずです。(文鮮明を助けた年上の女たちがそのように振る舞っていたと朴正華は語っています)。しかしそれは次の瞬間には、文鮮明という父=夫に絡め取られ搾取された挙句に捨てられます。
 そしてある時期から、統一教会は性のアナキズムを抑圧し、その痕跡を抹消して、ひたすらに性へのコントロールを強めていったように思えます。それは自分たちの起源を否認することです。性は家父長的秩序を蝕み、権力を腐食させる。独裁体制を、男女の二元論的秩序と支配関係を転覆してしまう。
 統一教会では罪も救済も性行為を通して広がっていくと考えます。同様に保守派の言説にも、疫病のように性の乱れが広がっていくというイメージがあります。
 この疫病や感染のイメージには、性への過剰な執着と裏腹の恐怖が込められています。
 そもそも共産主義もしばしば感染のイメージで語られていました。普通の人たち、妻や娘たちが、目に見えぬところで、密かに、偽装した共産主義に、フェミニズムに感染し、病んでいく(実際に偽装勧誘を行っているのはカルト教団の方なのですが)。実際には性革命を牽引したのはアメリカやヨーロッパであって社会主義圏ではなかったのは常識です。もし共産主義の計略といったことを本気で信じているのだとしたら、陰謀論に近い認知の歪みを感じます。
 イエの中に性を封じ込めておかなければという危機意識において統一教会と右派は一致します。性を掌握しておくことによって血統と家父長制は守られるのです。
 結局、本当に恐ろしいのは、政治家や保守派の人々が、統一教会にも通ずる家族観・性愛観を持っていたことかもしれません。

9 自民党の「イエ」信仰

 筆者のような人間には、なぜ保守派の政治家や右派が、イエ制度の崩壊をそれほどまでに恐れるのか感覚的に理解できません。政治家の思惑をよそに、現実ではイエも家族制度もかなりルースなものに変わってきていると思うからです。
 もちろん家族のありかたは、個人的経験や思い入れの部分が大きく、なかなか一般化できないことはわかっています。しかしそれにしても一部政治家や宗教右派の主張はあまりに実情から乖離しているように思えてなりません。
 テレビキャスターでもある社会学者安藤優子は、博士論文の書籍化である『自民党の女性認識 「イエ中心主義」の政治志向』(注15)で、自民党内部の「イエ中心主義」の形成について分析しています。安藤によれば自民党は二つの理由から、家父長的な「イエ」観念に囚われているのです。
 ひとつ目の理由は、1970年代から80年代にかけて、福祉国家化と支出抑制という矛盾する要請に応ずるため、国家による支出を限定し企業や家族といった集団に多くを期待する「日本型福祉モデル」を構築したこと。このモデルでは、性別役割分業に基づく「家庭」観が前提になっています。その家庭像は、単に伝統的な価値観を引き継いだだけではなく、西洋流の「いき過ぎた個人主義」や、福祉依存の「英国病」を避けながら、経済成長を継続していこうという趣旨のもと、意図的に選択されたものです。そのための理論武装には、女性の「母性」喪失を批判する香山健一「日本の自殺」(学習院の教授であった著者が、『文藝春秋』1975年2月号に発表したもの)や、日本独自の家族や集団のあり方を評価した村上泰亮ら(『文明としてのイエ社会』)が利用されました。
 ふたつ目の理由は、自民党議員自体が、党を「大きなイエ」としてイメージするよう習慣づけられていることです。この場合、1人の有力政治家のもと、利害と情緒によって結ばれた「派閥」がイエにあたり、さらにこのイエが連合して自民党という「大イエ」が形成されます。さらに個々の議員は個人後援会というイエ型組織の長でもあります。そこでは利害と情実が一体になった濃厚な空気が生まれ――議員を「オヤジ」と呼ぶような――家父長の権力を支えます。さらに世襲議員には、先祖代々の地盤と権力を引き継ぎ維持する使命を持った家長としての役割もあります。このような仕組みは、結党以来、左派政党に対抗して近代的な組織形態を模索していた自民党が時間をかけて形成してきたもので、小泉政権以降、官邸の権力強化が進んで派閥は弱体化したとも言われますが、後援会システムは健在で、世襲化はますます進んでいます。
 安藤は、直系子弟ばかりでなく、夫から妻や親族などへ地盤(後援会)と看板(イエ)が継承されるケースも含めて「血縁継承」と呼び、過去の3回の総選挙の当選議員を調査しています。その結果わかったのは、自民党衆議院議員の約4割が血縁継承であることでした。とりわけ女性である場合は、候補者個人の評価よりも、どのような「イエ」に連なっているかが重視されます。その意味で、女性は「イエ」の付属物なのです。男性であっても首相の座を狙えるような有力政治家となると、ほとんど名門政治家の「イエ」出身であることは周知の通りです。
 こうした政治的イエ制度の問題は、未婚化、核家族化が進み、パートタイマーや、非正規労働者など、イエ的な職場からも排除されている人々が増加している社会の現状と大きく乖離してしまっていることです。むしろ福祉にしろ、労働政策にしろ、家族ではなく個人を前提にしたより平等で包括的な制度が求められています。しかし二重三重のイエ制度の内部にいる政治家にはそのリアリティがうまく掴めないのでしょう。
 このように自民党内部では、半世紀前に作られた「イエ」信仰が今も再生産されています。おそらく制度の上でも、個人史のレベルでも、あまりにも自明のものになっていて、社会との乖離が意識されないのだと思われます。
 こうした自民党の「イエ」信仰に、いわば外からつっかえ棒を与えたのが、冷戦体制崩壊後、「伝統的家族」の維持に焦点を移した右派勢力や宗教右派であり、統一教会だったのです。しかしこれまで見てきたように、統一教会の「家族」観は保守的であることを超えて妄想的です。

(注15)明石書店、2022年

10 これからの「性」と家族

 政治の世界と異なって、現実社会の方で性愛–家族–血統の絡まり合いはゆっくりと解きほぐされつつあります。日本でも韓国でも、フェミニズムは一定の地歩を得て、LGBTQなどのセクシャルマイノリティの存在も認知されるようになりました。今後も議論は行ったり来たりをくりかえすにしても、総体としては、そうした人々をいかに法的に包摂するかに移っていくほかありません。人は、自分の人間関係を、家の存続や生殖のためにではなく、アンソニー・ギデンズの言う「純粋な関係性」(お互いの感情的満足にのみ基づく関係性)のために選択するように変化しています。我々の日常世界で家や血統の占める面積はゆっくりと小さくなっていきます。
 保守派はその動向に神経を尖らせているわけですが、しかしながらそこで見逃されていたのは、性の解放が、同時に性からの解放でもあった点です。つまり、人々は以前ほど、性愛に重きをおかなくなっているのではないかということです。
 『原理講論』では、生きとし生けるもの、さらには物質世界の全てが、性的二元論の原理に従っているとされています。陰と陽、雄と雌、陽子と電子というように被造物は二元性の原理に従うのです。そしてこの世界そのものが、遍在する神が自分自身と行なった「授受作用」(性行為)から「繁殖」してできたものだとさえいいます。
 もちろんこうした性的二元論、自然の源に性作用を見出す発想は、日本神話を例に出すまでもなく、神話や民俗にとってはありふれた発想です。
 しかしすべての人間が男女のどちらかであるという認識さえ、流砂のように崩れつつあるのが現代です。性は二元論的なものではなく、もっと複雑で多様なものだとみなされつつあります。
 性にまつわる観念を研究している歴史家のトマス・ラカーによれば、18世紀に至るまで性が「二種類」であるという考え方は一般的ではありませんでした(注16)。
 人間は一種類であり、男と女の違いは「性差」ではなく、完成度の違いと考えられていたというのです。2世紀の高名な解剖学者ガレノスは、女性では、男性なら外につきでている器官(ペニス)が、生命の熱が足りないために内側に引っ込んでしまっている(ヴァギナ)と述べました。16世紀の解剖図も、女性器を意識的にペニスとよく似たものとして描いています。
 しかし18世紀に人々は女性を「不完全な身体を持った」男性ではなく「絶対的に異なる対立者」と見るようになりました。人類は男と女という2つの集団に分割され(その境界に位置するようなセクシャルマイノリティは透明にされ)、最初から異なる身体を持つ生き物とされました。女性は身体ばかりでなく、性質や性格においても男性とは異なる特性を持つとされ、妻と母という社会的役割にふさわしく作られたとされます。
 このような300年続いた男女二元論体制は今大きく揺らいでいます。性はふたつきりではないし、性に関心を持たない人間(アセクシュアル)もいるという認識が広がってきました。
 人々はますます性に特別な意味を見出さなくなっています。性は管理されなければならない(勝手に性行為してはならない)という家父長的な命令は、人は性的でなければならない(セックスと生殖は人間の本質である)という考えと結びついていました。しかし現在という時代の特徴は、むしろ性にこだわらない多様な人間関係の模索にあるように思います。
 人間の生活から性がなくなることはあり得ませんが、フロイトの世紀であった20世紀とは異なり、性への強迫的な関心は薄れていくだろうと筆者は考えます。統一教会の教えはますます時代錯誤になっていくということです。
 統一教会には、性と戦争の時代であった20世紀の特徴が刻印されています。それは暴力と家父長制の異様なアマルガムです。それだけで日本社会からの退場を促すのに充分です。政治と統一教会の関係を断ち切り、被害者の救済を進めること、社会の内側の家父長性を拭い去ることが求められています。(第四回了)

(注16)『セックスの発明 性差の観念史と解剖学のアポリア』(高井宏子・細谷等訳)工作舎、1998年

▶第五回「コミューン主義の系譜」は下記のリンクから。

▶倉数茂。1969年生。日本近代文学研究・小説家。著書に『黒揚羽の夏』(ポプラ社、2011年7月)、『私自身であろうとする衝動―関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ』(以文社、2011年9月)、『名もなき王国』(ポプラ社、2018年8月)、『忘れられたその場所で、』(ポプラ社、2021年5月)など。

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