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耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――

第一回 日本語ラップ批評宣言 韻踏み夫

 ひとまず「日本語ラップ批評」と言ってみたものの、そんなものが果たして実際に存在しているのかは分からない。しかしながら、そのようなものの必要性はたしかに感じられる。日本語ラップは、多くの者の興味をひき、時にその期待に応え、あるいは裏切りながら、しかし三十年以上の豊かな歴史をつむいできたのは事実なのだ。ひとは、ヒップホップのことを理解もできないが、無視もできないでいる。その困惑の積み重ねが、さしあたり「日本語ラップ批評」というものであると言えるかもしれない。
 ライターの磯部涼はかつて、あるところでこう言っていた。「若くて、新しい表現方法をもったラッパーが続々と登場する一方で、日本のラップ・ミュージックに対する批評は停滞していると感じます」(注1)。たしかに、日本語ラップ自体の(磯部は「日本語ラップ」という呼称自体の不適切さを指摘もしているのだが、ここではあえてこの言葉にこだわってみたい)豊かさに対する「批評の貧困」とでも呼ぶべき現状は、いまだに続いている。むろんそうした状況に介入しようとする書き手がいないわけではないが、ここであえて次のように解釈してみなければ、話は始まらないのかもしれない。つまり、日本語ラップ批評はすでに存在しているが、その読者が存在しないのだ、と。日本語ラップ批評を立ち上げようとするならば、その者は、最も鋭敏な日本語ラップ批評の読者であらねばならない。これをこの連載のテーマとして提示しておきたい。
 さて、「日本語ラップ批評」という言葉は二通りに解釈可能である。日本語ラップの批評ととらえるとき、たしかにそれは数少ないのかもしれない。他方でそれを、日本語のラップ批評だと理解するならば、つまり日本の視点から(主にUSの、世界の、そしてまた他の日本の)ラップ実践を批評的に見ることだと理解するならば、それはそのまま「日本語ラップ」という営みそのもののことであると解釈することが可能になる。ここにおいて日本語ラップと日本語ラップ批評は分かちがたく結ばれる。
 したがってここではまず、日本語ラップ批評の最も基礎的なテクストをあらためて定め、それを読解することにする。その前提を確認するためには、日本語ラップ研究において他の追随をいささかも許していない磯部の決定的な仕事の数々を参照しておかねばならない。磯部によれば、日本におけるヒップホップ実践が始まった八〇年代からすでに、主には、二つのヒップホップ理解がありえた。「それは文化系か不良系かという属性の違いであり、サブ・カルチャーかポピュラー・カルチャーかという志向の違いであり、ヒップホップをニューウェーブとして聴くか、ブラック・ミュージックとして聴くかという文脈の違いでもあった」(注2)。さらに別のところでは、八〇年代における活動拠点の対照性から、「ピテカン」的なものと「ホコテン」的なものとも言い換えられ(注3)、また、これを受けて大和田俊之は「ポストモダニズム」と「ファンダメンタリズム」ともしている(注4)。
 二つの潮流は、九〇年代に表立って対立し、論争が起こるわけだが、それが重要なのは、そもそも「日本語ラップ」というジャンル名の由来ともなっているからである。九〇年代には、m.c.A・T「Bomb A Head!」、EAST END×YURI「DA.YO.NE.」、スチャダラパー×小沢健二「今夜はブギーバック」などのヒットがあり、「Jラップブーム」が起きたが、それをフェイクとする陣営は、真の日本のヒップホップ実践として、「Jラップ」に対抗的に「日本語ラップ」という呼称を用いたのである。つまり、「日本語ラップ」という語には、「本場に認められるような日本語ラップ」(MICROPHONE PAGER「改正開始」)というようなニュアンスが込められているのだ。
 このとき磯部の慧眼は、ジャンル自体(日本語ラップ)の誕生が、そのままジャンルの歴史(日本語ラップ史)の誕生と時を同じくするという倒錯性を見逃さないのであり、そうした言説性の次元を暴き出すのだ。つまり、歴史は「歴史化という欲望」を必要とするのであり、書かれたものは「歴史の正統性をめぐる争い」にかけられる(注5)。そのような力学を、磯部は丹念な調査によって明らかにしている。それによれば、「Jラップ」のルーツを探るとして、近田春夫やいとうせいこうらを取材した『Jラップ以前』(後藤明夫編, TOKYO FM出版, 1997年)なる書籍に対して、RHYMESTER宇多丸は、それと別の系譜がまったく欠落していると批判した。またそれだけにとどまらず宇多丸は、不良系、ストリート系の先駆者CRAZY-A、DJ KRUSHらとの座談会を『JAPANESE HIP-HOP HISTORY』(千早書房, 1998年)の一冊にまとめ、対抗的な歴史のナラティヴを立ち上げようとしたのであった(注6)。
 歴史と欲望という磯部の研究を敷衍して、ここでは批評と欲望ということを考えたい。あえて大仰に言えば、そもそも、批評とはそのような意味における「欲望」を賭けることで成立する文章のはずだからである――引くのもためらわれるほどであるがあえて、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(小林秀雄「様々なる意匠」)。日本でヒップホップを実践することの困難は、ラッパーたちにそのような批評的自意識とでもいうべきものを強いたのである。
 さて、磯部の研究はさらに、二つの特権的なテクストを拾いあげることになる。ひとつは、最も初期の日本におけるヒップホップ理解を示した、近田春夫といとうせいこうの対談「日本語でやるならラップっきゃない!」(注7)である。これまでのポピュラー音楽史に対するヒップホップの革新性が語られるのだが、論点をいくつか拾ってみれば、ラップという形式が可能にするのは、歌では解離してしまわざるをえない思考と言語の「速度」を接近させることである。それは「現実」を「肯定」し、「おとぎ話」的な「夢」でなく、「勇気」を与えるものである。そこで言われる現実とは、八〇年代日本的現実、つまりポストモダン的消費社会のことと言ってよく、「オートクチュール」の終焉であり、「コンビニエンスストア」的創造性である(以上近田の発言)。
 加えて、決定的な発言を残すのがいとうである。ヒップホップとは、「人のものを勝手に盗るという“盗みの文化”で、盗まれたほうもあまり気にしてなくてさ、盗んだほうも盗んだくせに「オレがナンバー・ワンだ!」って言う(……)」。これを別のところでは、ポストモダニズム思想的に「ブリコラージュ」と説明してみせたりするなど(注8)、たとえば椹木野衣『シミュレーショニズム』と通じる発想だと言うことはできる。しかしそれだけならば、大したことはない。
 なぜこれが注目されるべきか。ここには、自らのラップ実践をいかに正当化するのかという「欲望」が明らかだからである。そこにおいてこそ、日本語ラップ批評が始まろうとするのだ。言い換えれば、日本語ラップ批評は、(USの)ヒップホップ自体を解釈し、そのうえに自らの実践を定位させるという二重の運動において、成立したのだ。簡単な理屈ではある。ヒップホップ自体が「盗みの文化」であるために、日本人であるいとうがヒップホップを盗むことも正当化される、というわけである。その理屈の内実がどのようなものであるかよりも、ここでは、「正当化の欲望」とでも言うべき動機の存在こそが重要なのだ。
 しかしながら、そのデッドロックは政治的なものの領域において明白となる。きわめて政治的なアーティストであるパブリック・エナミーとKRSワンの登場について、いとうはこう振り返っている。

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