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2021年10月の記事

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過去記事は有料です。10月の記事を格納しています。 ①【文芸批評時評・10月】デジャヴュから歴史へジャンプせよ 左藤青 ②【文芸時評・10月】『文學界』から干されたオレがなぜか…
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村上春樹の「文章」と書くことの恥ずかしさ

フィクションの感触を求めて(第一回) 勝田悠紀  すこし基本的なところから考え直してみたいという気持ちがある。  「文学」という言葉に不思議そうな顔をする人は多い。近所のラーメン屋や蕎麦屋で居合わせた客や店の人と話していて、大学で文学部というところに通っているなどと言うと、一体それは何をするところなのかと訝られる。といっても、別に彼らがいわゆる文学作品を読まないとは限らない。むしろ小説を読むのが趣味だとか、俳句をやるのだがとかから会話が盛り上がることもあるのだが、それでもしば

耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――

第一回 日本語ラップ批評宣言 韻踏み夫 ひとまず「日本語ラップ批評」と言ってみたものの、そんなものが果たして実際に存在しているのかは分からない。しかしながら、そのようなものの必要性はたしかに感じられる。日本語ラップは、多くの者の興味をひき、時にその期待に応え、あるいは裏切りながら、しかし三十年以上の豊かな歴史をつむいできたのは事実なのだ。ひとは、ヒップホップのことを理解もできないが、無視もできないでいる。その困惑の積み重ねが、さしあたり「日本語ラップ批評」というものであると言

『文學界』から干されたオレがなぜかまた文芸時評をやっている件について(第四回)

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デジャヴュから歴史へジャンプせよ

文芸批評時評・10月 左藤青 文芸誌を買うというのはほとんど博打である。 何冊も買えばなかなか高価だし、かさばるから本棚のスペースを圧迫する。そのくせ、この手の雑誌(文芸誌や思想誌や美術批評誌)に載っている文章ははっきり言って玉石混交だ。面白いと思える文章や特集に出会える機会はきわめて稀少である。 だから、この『文学+』の企画——毎月の文芸誌に掲載された評論について論ずる——に参加していないかぎり、僕がこの類の雑誌を買うという「賭け」に投じるのは半年に二度・三度あればい