天体物理学者カール・セーガン

カール・セーガンという天体物理学者がいた。

彼が生きた時代は20世紀で、私が産声をあげた時には既にこの世界の住人ではなかった。しかし彼が司会を務める科学ドキュメンタリー“コスモス“を見て私はサイエンスという世界の虜になった。私のような人が世界中にいて、その中の誰かがきっとまた人類の尊大な活動を受け継ぐであろう。そして、また次の世紀に科学の神秘のバトンを繋いでいく。

カールセーガンは番組の中で語った。「人類は遺伝子の2000倍ほどの情報を詰め込める脳という貯蔵庫に飽きたらず、外の世界に本や動画としてこれまで積み重ねてきた叡智を蓄えて次の世代に繋げることを発明した。これこそ人類が歴史上為した最大の発明と言えよう。」

科学とは何世代にもわたる共同作業であり、自分が何かを発見した時には、何世代も前に道を切り拓いた偉大なる先人のことを想い、心から感謝すべきだ。

カール・セーガンという科学者はアインシュタインやファラデーやクリックや王道の科学史に必ず出てくるような科学者と違って、誰もが知る派手な発見をしたわけではない。米国科学アカデミーに入会しようとしたら業績が足りずに拒否されたという話もある。

しかし私は思う。サイエンスという世界は何も偉大なる真理を発見した成功者たちだけの世界ではない。多くの人にsense of wonder(世界の神秘を感じる瞬間)という生き甲斐を与えたり、未来を担う“小さな科学者たち“にサイエンスの門を通る手助けをする。そういう事はサイエンスのもうひとつの側面だ。

彼は番組の中で、この地球という星が、そしてそこに住み進化してきた生命が、そしてその中の我々人類が、いかにかけがえのない美しい存在であるかを、宇宙や生命の成り立ちという歴史を語りながら強調していた。

人類の生や死を便利にしてくれる“技術的科学“ばかりが取り沙汰されている現代において、私がこの世界を理解しようとする“芸術的科学“に対する愛を童心忘れず大切にしているのは、小さい頃に見たこのカール・セーガンの番組の影響を多分に受けている。

それが正しいと決めつけているわけでもない。そして私は科学の研究をやめて文学に行った人間である。専門的な科学の世界も知らずに何をわかったような事を言うみたいに思う人もいるだろう。それは仕方のないことだ。

しかし、私はそういう全体的な事を置いておいて、改めて私の人生に“サイエンス“の在りかたたる哲学と、この地球・自然・生き物の美しさ、そしていかに生きるということが神秘的なことなのかを教えてくれた一人の恩師に感謝をしたいのだ。

カール・セーガン。自由な精神と豊かな表現力で、誰もがサイエンスという世界の魅力に触れることができるよう尽力した科学者。地球外生命体がいるという一見スピリチュアルな仮説を、科学的な確かな証拠をもってして初めて証明しようとした科学者。sense of wonderを科学という力を使って追いかけ続けた科学者。彼に関する色んな事を話したいが、私の筆は気まぐれなので、今日は具体的な事は書かずじまいになりそうだ。

↓のカール・セーガン“コスモス“をぜひ見て貰いたい。きっと色んな方にとってとても有意義な時間になることを約束する。

空を見上げれば限りない漆黒の闇と、そこに幾らか空いた穴がある。宇宙と星は遠く、そして未知だ。カール・セーガンが信じようと努力したように地球外生命体は本当にいるのであろうか。この広大な宇宙だ。この地球のように生命を宿す条件と幸運にめぐまれた星があったって何も驚くことではない。そういう事を真面目に考えることは何よりも有益で有意義な営みだ。

カール・セーガンはどうして地球外生命を信じ、そして誰よりも必死にそれを科学的に説明しようとしたのか。

子供の頃に読んだSF作品に受けた童心をいつまで経っても忘れられなかったのであろうか。

それとも、地球外生命のある星を見つけ、我々人類に向けて「あの星を見てみろ。ああ、私たちの唯一の故郷である地球はなんて美しいのであろうか。」そう言いたかったからであろうか。