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わたしの原点映画、初恋の相手。


もしもアナザースカイの1コマように、目を細めて遠くの空を見つめながら「これが私にとっての原点ですかね・・・」と大事な映画を語るとしたら。

もし、もしも語るとしたら私は間違いなくスタジオジブリの『耳をすませば』について滔々と話し始めるだろう。

(どんな妄想!!というツッコミぜひに。この間の北川悦吏子さんのOAがかっこよすぎてつい、、、すんません)


「人生に転機をもたらした映画」とかそういう類のものではなく、物心つく前の、そもそもの価値観を成した映画。

『耳をすませば』を初めて観たのは小学1年生くらいの頃だったと思う。金曜ロードショーで放送していた時に何気なく観て、当時すでにりぼんっ子だったオマセ野郎の私の感性にどストライクした。この映画がきっかけでお母さんに頼み込んでバイオリンを習い始めたくらいだ。

先週金曜ロードショーで放送があったところを、録画を忘れたまま、うかうか酒を飲んで華金を過ごしてしまい、ほろ酔いながらTwitterで流れてくる耳すまツイートを目にした瞬間、一気にアルコールが抜けた。

私も金ロー観ながら、全国のみんなと耳すまのときめきを共有したかった。どうにもこうにも悔しくてAmazonで念願のDVDを購入した。

近藤喜文さんに想いを馳せれば3000円など全く惜しくもないのに、むしろこの十数年何を躊躇っていたのだろう…喜んで購入させていただきたもう!という心意気でポチッとした(『耳をすませば』は、近藤さんの最初で最後の映画監督作品である)。

少し社会にお疲れ気味で童心に帰りたいときや青春特有の甘酸っぱさを感じたいとき、救いを求めるように何度も何度も観てきたから、ストーリーは頭に入っている。

せっかくならば「この映画の何がここまで私を惹きつけるのか?」というところを知りたくなって、胸きゅんポイントを箇条書きで書きながら観ることにした。

結果、箇条書きのメモはノート7ページにも及んだ。


下記が一部抜粋のもの。。。

・ゴスペルのカントリーロードと聖蹟桜ヶ丘の夜景で始まるOPは至高。もちろん、雫作詞のカントリーロードもいいけれど(落ち込んだときに聴く)。
・束になって置かれた読み終えた数十冊の本、わかる。捨てられないよね。
・眩しい太陽を見上げて「いい天気~」と口に出してしまう雫、わかる。
・「やなやつやなやつ」からべたぼれになる、女子が恋に落ちる典型パターン。はい。
・受験勉強しながらもつい本を開いてしまう雫、現実逃避でしかない、わかる。
・保健室の高坂先生はコナンの声。すきや。
・麦茶直飲みしたり、ラッコのマーチを食べながら読書して涙する雫、飾らないズボラ女子なところが好感持てる。
・エルフの叶わぬ恋、見つめ合う二人、ロミジュリばりの切なさかよ。
・自分で書いた歌詞を照れながら友達に見せる雫。「ふるさとって何かわからないから、正直に自分の気持ちを書いてみたの。」
・失恋して目を泣き腫らした夕子のズタボロさ。女は恋で如何様にも変わる。そして夕子から電話をもらって「今すぐ行くから」と駆け付ける雫との友情。中学生にとっては親友の失恋が一大事。(今もか・・・。)
・言わずもがな、歳を重ねてもなお、音楽を愛でるおじいちゃんたちとのセッションシーン。なんだかんだココが一番すきかも。
・「お前、詞の才能あるよ」好きな人が自分の才能を信じてくれる、地球上最強の自己肯定ワード。
・聖司くんのイタリア行きに「おめでとう」と祝いの言葉をかけながら物憂げな雫。「私なんて」と比べてしまう雫。わかる、つらい。
・「平気だよ。全然眠くならないもの。」好きなことは努力に感じない。
・「私、書いてみてわかったんです。書きたいだけじゃだめだ。もっと勉強しないとダメだって。」「書いてみてわかったんです」というところが肝・・・。
・クレモナから帰ってきた聖司に「私、背伸びしてよかった」という雫。

・・・もう、共感の嵐。殴り書きが止まらなった。

そして気付く。

「私の初恋相手、聖司くんだったやん・・・?!」

26歳にして、衝撃の気付き。


「好きなタイプは?」と聞かれると、苦し紛れに「頑張ってる人」と答えることが多かった。

すると「みんな頑張って生きとるわ!」と返されることもあり、うーんそうかぁ…と好みのタイプを妥当な言葉で言い当てるのって難しいなぁと思っていた。

夢追い人、向上心がある人、Sっ気がある人、一緒にいて高め合える人、知らない世界を教えてくれる人・・・そのすべてをひっくるめて「頑張ってる人」に集約させてしまっていたけれど、すべては天沢聖司が持っている要素だった。あ、あと声フェチでもある。

うん、これからは「好きなタイプは天沢聖司みたいな人」と答えることにする。


小さい頃から大好きな映画だけど、こんなにもシーンの一つひとつまで意識を集中させて観たのは初めて。

メモを取りながら、当たり前のことなんだけど「なんとなく好き」の裏には必ず理由があって、そこには自分が今までもこれからも大事にしたいものが詰まっている気がした。


大人になってからジブリ作品を見ると、子供の頃とはまるで違う新鮮な感想を持てるから楽しい。微力ながら、作り手の意図にまで想像力を働かせることができる。

『耳をすませば』は確かに子供の私にときめきを与えてくれ、人格形成に多分な影響を及ぼした。

じゃあ、大人になった私が今見る理由は?戻れない過去を懐かしむため?いや、きっと違う。

近藤喜文さんは、宮崎駿さんは、スタジオジブリは、何を伝えたくて命懸けでこの映画を作ろうとしたのか。

真意は定かではないけれど、私は雫が地球屋の前で、猫のムーンに語り掛けるところにこの映画の大人に向けたメッセージの真髄がある気がした。

「君、かわいくないね。私とそっくり。どうして変わっちゃうんだろうね。私だって前は、ずーっと素直で、優しい子だったのに。本を読んでもね、この頃、前みたいにワクワクしないんだ。こんな風にさ、うまくいきっこないって、心の中で、すぐ誰かが言うんだよね。かわいくないよね。」


テレビ画面に向かって「ヘコむことは誰だってあるっ・・・!」と雫を抱きしめたくなったけど、それは置いておいて、「どうして変わっちゃうんだろうね」は大人なら誰でも感じたことがある葛藤ではなかろうか。

私は、ある。

新入社員の時は、先輩によく「ピュアだねぇ」とか「フレッシュだねぇ」とか言ってもらってその時は「???」だったけれど、今の私が当時の私を見たら、きっと学生気分の抜けない、なんてピュアなやつなんだ・・・と恥ずかしげに思うだろう。

変わったことが悪いとは思わない。でも、もうあの純粋な気持ちで人を見ることはできないのかもしれないと思うと少し寂しい。

自分も人も、切ないほどに気付かないうちにどんどん変わっていってしまう。


だがしかし、ジブリはオトナ特有の苦悩をそのまま放り投げるなんて冷淡なことはしない。

雫がムーンに語りかけるシーンのすぐ後、アトリエで聖司くんが自作のバイオリンを雫に見せながら、こんなやりとりがある。


雫「すごいなあ。よくこんなの作れるね。まるで魔法みたい。」
聖司「お前なあ、よくそういう恥ずかしいこと、平気で言えるよな。」
雫「あら、いいじゃない。本当にそう思ったんだから。」


素直じゃない自分を「かわいくないよね」とムーンにぼやきながら、雫はやっぱり素直だった。

「あら、いいじゃない。本当にそう思ったんだから」と照れる様子もなく言うところが、素直以外の何物でもない!聖司くんから見たら、なおさら素直に(そして可愛く)思えたんだろう。

大人になると、守りたいものは増えるし客観的に余計なことを考えてしまったりプライドもそれなりに生まれてしまったりして、素直に生きることが難しくなる。


でもきっと、人はいつでも素直になれるし、素直になれる人と一緒にいた方がいい。

みんなの前でいつも正直でいられなくたっていいから、弱音が吐けて、励まし合える友達や恋人がほんの何人かいればそれで幸せ。そんな人たちはおそらく、自分の目には見えない旨みや弱みを見つけてくれる。

私も中学3年生の雫に励まされながら、なるべく自分に素直に生きていたいし、自分をさらけ出すことを許してくれる人をうんと大事にしたい。


耳すまの興奮冷めやらぬ今日は、女友達ふたりと「好きなタイプをジブリキャラで例えると?」という話で盛り上がった。

一人はトトロのカンタ(「傘を貸したことをおばあちゃんに誇らしげに話さないのがいい」)、もう一人はもののけ姫のアシタカ(「完璧なのに滅びる山々を見ながら弱みを見せるのがいい」らしい)ということだった。

来週、この子たちと約1年ぶりの合コンに行くのだけれど、私たちの狙いがカニバルことはなさそう。(好きなタイプをジブリキャラに例えるの、元カレを知らない友達の嗜好も一気に具体化されてくるのでオススメ!)

26歳の恋の相手は、三次元で見つけたいと思います。


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