69GLAYのこと

20年以上好きでい続けているものを振り返ったら自分史になった/GLAYと私


※これは、GLAYファンになったときから現在に至る個人的なものなので、飛ばし気味に読んでくださって構いません。そして曲のことはほとんど書いていないので、曲について掘り下げたかった人は、別で検索した方がよいかと。

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振り返れば音楽に無頓着な10代だった


やがて来る
それぞれの交差点の迷いのなか
立ち止まるけど
それでも 人はまた歩き出す


ある日、テレビから流れてきた「BELOVED」の歌詞。
ドラマ『ひと夏のプロポーズ』を観たときだった。
きれいな旋律ときれいな日本語、太いけどどこか甘さの残る声。
これを歌っているのは誰なんだ。
後日、それがGLAYというバンドの曲だと知った。

中学、高校と、尾崎豊とか久保田利伸とかレベッカとか聴いていた。でもめちゃくちゃハマっていたわけではない。どちからといえば、音楽は友達づきあいの過程にあった。誰かが「この人の曲、いいよ。聴いてみて」と、カセットをつくってくれた時代。自分は、その流れで音楽を聴くことの方が圧倒的に多かった。

「このバンドの歌が好き!」
「この人そのものが好き!」
「この曲何万回リピートしても好き!」
そういうことが無かった。


聖子ちゃんじゃないけど、ビビビッときてしまった

そんな私が、社会人になって突然GLAYに鐘が鳴った。「かっこいい」とはちょっと違っていた(ごめん)。

それまでのアルバムを聴いた。そして分からなくなった。旋律はとてもストレートに聞こえたけれど、その歌詞は色んな要素があって私には複雑に思えた。

たとえば「生きてく強さ」で、“努力”という歌詞をさらっと歌っていた。「バンドでも“努力”を歌うのか」と、当時のバンドへの私の勝手なイメージを完全に覆す歌詞にひっくり返りそうになった。そうかと思えば「BURST」のような曲もあるし。そして、当時作詞と作曲はリーダーのTAKUROがほぼ担当していると知り、さらに驚いた。

こうして地味にGLAYファンになった。生で聴いてみたいという願望は、ちょっとあった。でも相当な田舎に住んでいた私にとって、ライブに行くことはかなりのハードルの高さ。そもそもチケットは電話をかけ続けて取る方法しか知らなかったし、遠目で応援する程度でやり過ごしていた。彼らの情報を得るのは書籍やテレビ。住まいが山奥すぎて、ラジオが入らなかったのが辛かった。

そんな少ない情報の中でも、曲と共に彼らの人となりを知ることに。不思議な4人だと思いながら、“個”のバランスの良さにまた惹かれていった。

しばらくして、あの「HOWEVER」現象(みたいなもの)が起きた。そこからメディア露出は一気に加速。地味に応援していたバンドが、こんなことになるなんて想像していなかった。さらなるその先のことも。それでもまだ、飛び出してライブに行こうという気にはなっていなかった。

「CDで聴ければいいか。テレビでも聴く機会があるからな」。
そんな具合だった。

気が変わったのは、1999年の正月ごろ観たテレビの歌番組で、まだ発売前だった「Winter,again」を聴いたときだった。

この人たちのライブに行きたい。
2度目の鐘が鳴った。なんだか二段階認証みたいだな(笑)。

“凛と鳴る雪路を急ぐ”

このフレーズが、西日本生まれの自分には新鮮で。目の前に、真っ白な厳しい雪国の情景がすぐ浮かんだ。


都合がつかずに夢のまた夢になっているけれど、函館でのライブに一度は参加したいと願っている理由は、これをつくった人たちの原風景を見たいのと、これをつくった人たちが故郷で音楽をかき鳴らしているのを見たいのと、そんな中で自分がライブを楽しみたいのとがあるからだ。

いつか絶対に行くんだ、函館に。


HAPPY SWINGER となって初めて手にしたチケット

一番チケットが取りやすいのは何だろうかと考えて、すぐにファンクラブ「HAPPY SWING」に入った。いよいよ自分、本気出してきたぞ(笑)。

初めてチケットを取ったのは、1999年7月31日の「GLAY EXPO '99 SURVIVAL LIVE IN MAKUHARI」(幕張メッセ駐車場特設ステージ)。世間で言う20万人ライブだった。自分がまさか、ライブ参加だけのために遠く千葉の幕張まで行くなんて。「頭おかしくなったんかな?」と考えるぐらい歴史的なことだった。

だから仕事をがんばった。どうしても行きたくて。とにかくギリギリまでがんばった。
でも、会社から休みの許可はもらえなかった。
私がチケットを使うことはなかった。

行きたいという子がいるかもしれないと、友達や知人に連絡を取ってみた。偶然、ファンだけどライブに行ったことがない子を見つけた。でもさすがに数日後に千葉までは行けない、とのことだった。代わりに、次は一緒にライブに行こう!と約束した。初めてGLAY友達ができた。

一方で、連絡を取ったうちの一人から「私、GLAY大っ嫌い」とキレられ、続けて「まさかと思うけど、あんた日本中のみんながGLAYのライブに行きたいと思ってんの? 好きな人がいっぱいいるとか思わないでくれる?」と言われたことは今でも忘れられない。そんなことは思っていなかったのだけれど、私の言い方が悪かったのだろうか、彼女はひどく立腹していた。

後で知ったのは、彼女があるバンド(ラルクとかではないです)のファンだったということ。しばらくは、そのバンドの曲を聴くと彼女の顔が浮かんで困った。自分は好きなものに執着しちゃうザ・牡牛座なので、全否定してきた彼女の言葉が堪えただけなのかもしれない。

ただ、推しのミュージシャンやアイドルを応援する人たちのことを尊重できる大人になれたらいいなと、そのとき漠然と思った。

この頃、GLAYはとんでもなく大きなものに膨らんでいた。けれど私は、まだライブに行けずにいた。その膨らみがパンパンになっていることとは関係なく、とにかくライブに行ってみたかった。

初めてのライブは2000年のヘビゲツアー

翌年「GLAY ARENA TOUR 2000 " HEAVY GAUGE "」のチケットを手にし、休みが取れ、ようやくライブ初参加となった。実はこの前後に解散についての山場があったこと、JIROと金沢ライブのこと(割愛。検索すれば出てきます、たぶん)などは、後で音楽ライター・田家秀樹さんの書籍で知った。私はこのツアーで初めてライブを経験したため、今までと雰囲気が違う云々など諸々のことを知らなかったのだ。「GLAYはロックバンドか否か?」という論争が巻き起こっていたらしいことも。

とにかく、生で聴くことのパワーはもちろんのこと、ステージ側だけじゃなくて観客もステージを作る側なんだと分かったこと、そして雑な言い方で申し訳ないけれど「ライブって、何もかも忘れてバカになれるんだ!」と感動したことだけ覚えている。

それは、たまたま隣になった、黒づくめの服にブルーのメッシュツンツン頭のおねえさんが、「ごめん、私、ライブがはじまったらテンションが上がって暴れすぎて、あなたに肘が当たったりするかもしれない。そのときはごめん」と話しかけてきたせいもある。ドクロをいっぱい付けた格好でそんなこと言うもんだから。

そのおねえさんとスタンディングして、拳をあげて、ジャンプした。

GLAYに教わったことがいっぱいある

その秋、結局3度ライブに行った。ビギナーズラックでファンクラブ限定ライブにも当選し、期せずして沖縄のダンスクラブ松下(現・ナムラホール)まで行くことに。鹿児島の離島に住む友達と、沖縄で待ち合わせして旅行までしてしまった。20代、パワフルだったなあ(遠い目)。

整理券を持ってひとり並んだ私の隣に、女性がひとりで並んでいた。
「ひとりなの?」と尋ねられた。彼女は「大阪からきた」とのこと。
国道58号線沿いに、オドロオドロシイ人の波ができていた。渋滞でたびたび止まるタクシーのおじさんが、窓を開けて「今日は何があるのねー?」と聞いてきた。

そこには、私のような、もっさい人間がいっぱいいたと思う。

2000年から2008年頃までは特に、「何がいいの?」とか「どうせファンは、ロックとかバンドとか知らん奴らなんだろう」とか、散々周りから言われてきた。それ、知ってないといけないのか?と思っていたけど、口にはしなかった。面倒くさいから。

「誰のライブに行くの?」と聞いてくるから答えただけなのに、
「えー、GLAYのファンって本当に居るんだ。幻かと思った」「GLAYって、まだバンドやってたんだ」と、何度言われただろう。

「幻じゃないですよー」「ライブ、楽しいですよー。一緒に行きますか?」と、笑ってやり過ごした。

自分は、実際に彼らのライブに出かけ、この目でこの耳で、体全部で体感して、それから他のミュージシャンのライブにも行くようになった。なんなら演劇方面も。

だから、突きつめて「ライブは楽しい。その中に感動だって怒りだってあってかまわん。グッズがダサくてもかまわん。ロックだろうがポップだろうが演歌だろうがクラシックだろうが、なんでもかまわん。婆さんになっても爺さんになっても、バカになって体で楽しむのがライブじゃないか」という考えに至っていた。

「ダサいぐらい何だよ! 我慢しろよ!!」
2013年朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で、リアルにこの言葉を聞いたとき、クドカン最高!!!!!と思った私の気持ち、分かる人いるだろうか。
楽しいことは、ダサくていいんだ。


先述のGLAY友達とは、彼女が遠方に引っ越すまでの約10年、一緒にライブに参加した。その子が仕事の関係で引っ越したのが、千葉だったのも何かの縁だろう。2011年7月30・31日、幕張メッセ国際展示場での「HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜We Love Happy Swing〜」には、二人で参加。20万人ライブに行けなかった人間にとって、12年越しの幕張ライブ(国際展示場だけど)は感慨深かった。「ようやくこの地に立てた」という思いが去来して、オープニングから感情が揺さぶられた。彼らの姿が涙で滲んだ。


この先もずっとライブに行き続けたい

気づけば、HAPPY SWINGERになって20年以上経ってしまった。他のミュージシャンのライブにも行くけれど、ほぼ毎年行っているのはGLAYのライブだけ。これからもGLAYと同じ船に乗っていたい。夏祭り、学祭の延長みたいなところに居たい。ずっとライブに行き続けたい。そして、なぜかリリースする曲のキーが年々高くなっている気がするので、たまには低音(個人的にはTERUの低音が……、低音が好きなんだ)がビリビリ聴ける曲もどうかお願い。

先月予定されていたイタリアのヴェネツィアでのライブは、アレがナニでアレして当日中止になった。でも「できることを考えてみる」と、翌日、土田康彦さんの工房での無観客ライブを配信してくれた。

5月からの「GLAY DOME TOUR 2020 DEMOCRACY 25TH “HOTEL GLAY GRAND FINALE”」が無事開催されるよう、私は祈るしかない。ちなみに京セラドームは日程に入っていない。おそらくジャンプ禁止問題だろう。PayPayドームが日程に入っていないのは……集客問題か、それとも名前問題か(冗談です)。みんな、東へ行け!


アルバム「REVIEW II ~BEST OF GLAY~」発売

明日3月11日(水)、25周年記念のベストアルバムが発売される。4人それぞれが選曲・プロデュースしたベスト盤4枚。個性が爆わかりの4枚だな、これ。



私事で恐縮だが、このひと月で、夏までの仕事が全部吹っ飛んでボー然とたたずんでいる(フリーランスはつらい)。でもがんばる。がんばるよ。バイト探して、もうちょい、生きる術を探してみる。これを聴きながら。

ああ、書いたらスッキリした!


*追記
近ごろ、メディアで“ライブハウス”という言葉が違う面でクローズアップされているせいか、「いい歳してライブに行く人、どうなの!? 家族を放って遠くのライブになぜ行くの?」と言っている人を見かけるのがとても悲しい。早く世界全体、収束しないかな。

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