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100週連続投稿記念:コツコツ投稿で変わったこと

こんにちは。
毎週1つ投稿をはじめて、今回が100個目となりました。

なんと、約2年近くも続いているみたいです。
(1年は約52週間らしい)

なぜ100週も続けられたのか?
100週続けて変わったことは?

について書きます。

1. なぜ100週も続けられたのか?

1-1. 「週に1回」は私にとって、無理のない頻度だったから

社会人3年目ともなり、良くも悪くも周囲が見えるようになり、「これってもしかしてこういうこと?」を共有するため。

最初は、思ったことを言葉にする練習のために、スタートしました。

いつのまにか、週のはじめに投稿するという習慣になっていました。

なぜ習慣化したか?というと、単純に「週に1回」が負担じゃなかった、に尽きると思います。

かつては、毎日投稿をしていた時代もありました。
当時は、ツイッターのように、リアルタイムで気持ちを吐き出していたので、ネタ切れに苦しんでいました。

今でも、いくつもいくつも言葉があふれるときもありますが、SNSとの向き合い方が少し変わり、リアルタイムで吐き出すことの重要性が低くなりました。

あくまでも、今感じたことを共有するというよりも、最近感じたことを投稿してみるという感じ。

たくさん思うことがあったときは、ひたすら下書きに貯めています。
タイトルに思ったことを書き留めただけの大量の下書きがたくさんあります。
常に何かしらのストックがある状態だったので、ネタ切れにも困らずに続けられています。

1-2. 内容・形式を縛らなかったから

本当は読者の目線に立って、シリーズ化しているものは、ハッシュタグをつけたり、冒頭に数字を入れたりするといいのかもしれませんが、内容・形式ともにルールを設けていません。

(一部の投稿で、丁寧にやっていた時期もありましたが、今はすっかり途絶えています。笑)

きれいじゃなくてもいいから、ありのまま。

週に1回ありのままの言葉をつづるという単純なルールになっていったので、一貫性は気にせずにやってます。笑

だから、内容も唐突だし、どんどん日記が増えていく感じ。

ごちゃっとしているかもしれませんが、当時の投稿は私にとって宝物です。

1-3. noteを投稿する目的がはっきりしていたから

私は、自分の気持ちを言葉にするのが得意じゃないです。
そして、言語を扱うのが、苦手。

上司には、文章を書くと冗長と言われます…

文章の冗長さや日本語力が100週の投稿で上がっているか、と言われると自信はありませんが、
とにかくその時の自分を記録することはできていると思います。

自分が気が付いたこと、等身大の自分を記録する、気持ちを言葉にできるようになる…

noteを通してなりたい姿が明確になっており、他の誰でもなく自分のために書いていることが続けられる要因だと思います。


1-4. 何より、言葉にすることは楽しいし、救われるから

100週投稿を通して思うことは、毎週の投稿が全然飽きないということ。
ハートやコメントをもらえると、この世界のどこかにいる誰かとつながれた感じがしてとてもうれしいです。

特にこの半年は、適応障害で思うように自分をコントロールできず、もがき苦しみました。
暗い投稿がいまだに続いているような気がして、読んでいる方には、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、そっと暖かいコメントを残してくれた方にとても救われた気持ちになりました。

言葉にすると、あ、そういうことか、と新たな一面も見つけることができるし、頭がすっきりします。

毎週毎週、noteの投稿を通して、私は頭と心の棚卸をしているのかもしれません。

2. 100週つづけて変わったことは?

2-1. 自分の気持ちの変化がとらえられるようになった

気持ちが上がったり沈んだり。
たった1年でも、実は振り返るといろんなことがあります。

普段だったら、忘れてしまいそうな感情も、振り返ってみると記録されてあり、「こんなこと思っていたわ」と思い出すこともしばしば。

2-2. 自分の気持ちがわかるようになってきた

自分のことなのにわからないの???
というツッコミがきそうですが、自分のことが一番わかりません。

でも、noteで自分の気持ちを言葉にしようと決めてからは、自分のことを観察するようになった気がします。

どうしてこの出来事にモヤモヤしたんだろう?
実は、こういうことが自分は好き・嫌いだったんだ!

気持ちを深堀してみたり、俯瞰してみたり。

自分のことがわからないあまり、一度、心がぶっ壊れてしまったこともありました。
心が壊れるまで気がつけず、阻止もできませんでしたが、それでも、自分を見つめなおすことはできており、続けている意味はある、と思います。

2-3. ストレス発散になる

イライラしたことを公共の電波に流すのは、いかがなものか、とも思いますが、めちゃくちゃストレス発散になります。

私が心がけていることは、ストレスの原因になった出来事・人物をディスらないこと。

どうしたら教訓としてポジティブに受け入れることができるか?
相手の立場に立つとどう感じるか?

を考えてみると、自分の立場ではありえない!と思うことが理解できる場合もあります。

もちろん、許せないときもありますが、次はどう対処すべきか?を考える良い機会になっています。

イライラが新たな学びになると、完全にはポジティブになれなくても、少し気持ちが収まります。


あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございました!
ぶきっちょな日本語ですが、これからも自分らしく、投稿を続けることができればと思います。


次週は、夏休み明けの出来事について書きます。
夏休み明けって憂鬱になりますが、少し自分のご機嫌の取り方が分かった(気がした)ので、まとめてみます。
#新しい靴 #美容院 #おいしいもの

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