ヤンキーが暴れると怒られる、メンヘラが暴れると怒られない。

父は家族へのモラルハラスメントは上司が異常だったからだと説明した。
私への暴力とモラルハラスメントは
祖母にはもっと酷いことをされていたからだと説明した。
母は私が高校を退学したい、死んでしまうと
伝えると卒業はあなたのためだからと言った。
私はお前たち(家族)のせいで人生が壊れたと家族に言った。
私の周りは暴力を振るって良い理由をみんな持っている。

暴力した理由は神のみぞ知ることだが、
父の言うように理由は社会や家族にあるのかもしれない。
しかしそれでも暴力の正当化に使わないでほしい。
もしその理由で暴力が正当化されるのであれば
頭の中で無尽蔵に作り出せる被害者意識で
肯定された暴力が無限を出し続けて良いことになる。

短気ですぐに手を出すヤンキーと
超スピードの被害者意識で暴力を正当化して
攻撃するメンヘラの違いがわからない。

なぜすぐに人を殴るヤンキーは怒られるのに
すぐに人を攻撃するメンヘラが許されるのかがわからない。

そのとき共感を呼ぶ大義名分を
持ち出すのか持ち出さないのかの違いに見える

ヤンキーもメンヘラも
まず先に感情、次に行動。
感情の理由付けをヤンキーは感情(ムカついたから)で行う
=>「ムカついたから殴った」
メンヘラは論理的になぜ暴力が許されるのかを説明する
=>「あなたの攻撃に今までずっと耐えてきた…本当に辛かった…(略)
だからボコボコにされて当然だよね?(意訳)」
メンヘラも本当はムカついたからってだけなんじゃないの?
理由がないと攻撃できないから理由をつけているように見える。

こんなことを言うのはよろしくないんだろうけど
生きるのが大変な時代だから行き過ぎた感情も出るよ
人の理性は無制限に暴力性を縛れるものではない。
ぼくの見てきた暴力はたまたま振るわれたものではない。
なぜなら繰り返しているからだ。
しかしみな反省は「次から暴力を振るわないようにする」だ。

どうしようもないぐらいにお前は暴力的なんだよ。
どうせまた暴力するよ。
すぐに感情を抑え込もうとするけど難しいと思う。

自分の感情を社会の中で許される形で表現するための
経験を積んでこなかったツケがきている。
その経験を大人になってから積むのはとても恥ずかしい。
経験とは挑戦と失敗と成功だ。
大人になってからリアルににじみ出る子供な失敗をたくさんしなきゃいけないだから。

感情を抑え込んだ人間を責める気はない。
なぜならご飯を食べてトイレに行って寝るだけでも大変だからだ。つらいからだ。


ヤンキーとかメンヘラとかざっくりしたカテゴリで話してすまん
「メンヘラでも色々いるよね?差別!」みたいな感想を想定して書くと
伝えたい意図を伝えるためにボリュームが膨大に膨れ上がって伝えたい意図が伝わらないからだ。

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