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モネ展in2023 行ってきた(ひとりごと)

お久しぶりです。ぶんぶんです。

本日はポルトガルと全く関係ない話です。
いま絶賛開催中の上野の森美術館でやっているモネ展に行ってきまして。
自分用のメモがてら、ひとりごと呟いとこうかなと…。

あとモネさんたちの似顔絵の域を超えたオリキャラ的な似顔絵(妄想の産物)が途中ちょこちょこ出てくるので、苦手な方はブラウザバックでお願いします…。

今回の展覧会、メジャーどこで言えば展示している作品「すべて」がモネの作品ってとこだと思うんですけども。
個人的には、初期のモネさんの作品が見れちゃうとこがオススメポイントだと思います。
ここ数十年間でやっているモネ展に通ってますけど、案外、モネの睡蓮は日本にやって来ることが多い気がするんです。
あと国立西洋美術館の常設展でモネさんの睡蓮みれますし。まぁモネの睡蓮全部制覇したいとかそういう気持ちがない限りは、けっこう観れる機会あるよねって話です。

ただモネさんの初期の作品が中々日本では観れない…!


それこそパリのオルセー美術館とかに行かないと観れない。行けたとしても、初期の頃の作品って、現地でも1、2点観れたらいい方で、まじで全然観れない。(常に美術館に展示しているわけではないから)

今回の展覧会に来ている作品だって、フランクフルト(ドイツ)やジュネーブ(スイス)、デン・ハーグ(オランダ)にとかに行かないと観れない作品たちがけっこう集まっていますからね。行くしかねぇ。

あと今回展示されてる作品の多くは、超有名美術館に収蔵されているわけじゃないから、個人で観に行こうとしたら、まずツアーじゃなくて個人でホテルや飛行機予約しないといけない。しかも行ったとして、現地でウロウロ地図片手に「えーん、この美術館どこにあるんだよぉ~」と半泣きで探すレベルのマイナー美術館だから。今回やってきた作品たちは、なかなか観れるもんじゃないですよ!
今ならそんな苦労しなくても、上野に行けば観れますからね。最高ですわ。

え??いや、そら宝くじ1千万とか当たったら、現地へ観に行きますよ!
でも、当たってないからね!宝くじ!!


さて、そこで今回のモネ展で個人的に「観れて死ぬほど嬉しい~(´;ω;`)」だったベストワンの作品をご紹介します。「昼食」です。↓

「昼食」クロード・モネ 1868-69年 シュテーデル美術館、フランクフルト
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Claude_Monet_-_The_Luncheon_-_Google_Art_Project.jpg

注目は制作された年です。1868-69年。
モネさんがまだ20代の頃に描いた作品ですね~
ちなみにこの絵の中の赤ちゃんのモデルは、モネさんの初息子ジャン。
あ、ちなみにこのジャン。超貧乏なときに生まれた&親の許可なく恋人のカミーユと結婚した等々ありまして、ジャンくんの洗礼式のときにモネとカミーユのご両親が出席しないというイレギュラーな状況だったので、名付け親に親友バジールさんがなっています。(洗礼式:キリスト教圏でキリスト教に入ります~ってときに教会で「洗礼名」をもらうんですね)

初期の頃のモネさんとバジールさんの、エピソードがぐうかわすぎて生きるのつらい。

ちなみにこの息子の洗礼名…。
バジールさんのフルネームは、ジャン=フレデリック・バジールなんですけどね…わかります?

バジールさん、親友の息子に自分と同じ洗礼名つけちゃってるんですよ!!!?

どこまで仲良しやねん!!!これが公式(事実)ってエグすぎる!!

仲良しのようで、あれ?モネさんもしかしてバジールさんのお金目当て?の疑惑がある相関図


お次に絵の中の女性は、たぶん妻のカミーユがモデルをやっていることでしょう…( ˘ω˘)
この頃のモネさん超貧乏で、カミーユしかモデルやってくれる人がいなかったからね…きっと、この中の女性全員カミーユがモデルしてたんじゃないかな…。知らんけど…。←

あとこの「昼食」という絵は、ちょうど初期頃のモネさんの集大成を詰め込みましたーーっって感じの作品ですよね。
この頃のルノワールやシスレーやバジールの仲良し4人組の相関図が面白すぎるので、突貫工事で書いた相関図を載せときます。↓

庶民派グループの印象派 なんとなくわかった気になる相関図


印象派ってよく1つにまとめて「印象派~」って言われますけど、印象派は印象派の中でも、マネさんとかのブルジョア(お金持ち)グループと、モネさんとかの庶民派(そんなにお金ない)グループという2つのグループに分けられるよな~って個人的には思っておりまして。その関係性がめっちゃ好きです。

マネさん派のグループはブルジョア出身で構成されているんで、なんというか背景が暗くて一部にスポットライトが当たったかんじのカッコイイ系の絵が多いイメージです。(マネさんがベラスケスとか好きでしたしね。)
ただ後半、モリゾさんがマネの弟と結婚するので、モリゾも庶民派グループのタッチに近い、家族の風景などの心温まる名画を多数制作しているので、両グループ共に、いい影響を与えあっているその関係性もSUKI…。

ブルジョアグループの印象派 なんとなくわかった気になる相関図
あとピサロ父さんは、印象派のパパ。好き。

モネさんが描いた「昼食」は、そのブルジョアグループの特にマネさんの影響が強く出ていますよね。
この頃 20代のモネさんは、親の反対押し切って都会に出てきて、マネさんという超カリスマレジェンドに出会って、憧れて。マネさんの背中を追っかけていた時期だったこともあるので、ところどころに「マネさん、まじリスペクトっす!!」という描き方をしているのが伺えて、面白い。

あとモネさん、ドラクロワも好きでしたよね~
パリに上京したての頃、バジールさんと一緒にドラクロワのアトリエの近くで、窓から見える巨匠の姿を二人でキャッキャッ遠巻きに見ているエピソードとか好きすぎる。

そんなモネさんでしたが、1868年~1869年頃は、マネさんリスペクトっす!!っていう姿勢だけじゃなくて、もともと絵を描くきっかけを与えてくれたブータン先生伝授の戸外制作にも意欲を燃やしていた時期でもあったので、うまいことマネさん風(及びクールベさん)の画風を加えつつ、ブータン先生から教えてもらった「陽の光」を描くぜっていう技法も使われていて、こういう作風は初期ならではって感じがして好きです。

モネさんが自分の画風を模索しながら、若い頃に学んだことの集大成をぜんぶ詰め込んだぜ!!っていう作品。それが「昼食」。



なんというか…、この頃のモネさんの作風は光と影、相反する2つの画風が入り混じっているのがうかがえて、みていて楽しい。

睡蓮っていう連作にたどり着くまでに、若い頃の画風模索期間がなければ、「光を追う」という睡蓮の画風まで絶対たどり着けてないわけですから。この作品があっての「睡蓮」なわけです。この頃に吸収した表現がモネさんの中で咀嚼されて、社会情勢とか周りの出来事とかと入り混じって、化学反応を起こして、そして晩年に「睡蓮」という近代絵画へ繋がる新しい技法へ繋がっていくんだ~と思うとワクワクしますね。

そんな劇褒めしたこの「昼食」っていう作品、当時の官展では、どスベリ(落選)したんですけどね…。


当の本人は「絶対成功する!!!大ウケですわ!!」ってドヤ顔で出品してたけど、結果はどスベリしたっていう…。(後年の評価はモネ展で言っている通りの評価なんですが、当時はいうほどあんまり評価されなかったていうか…。)

いやモネさんの気持ちもわかりますよ。
簡単にモネさんが「昼食」を描くまでの流れをご説明しましょう。

まずモネさんが上京したてのときに、この絵(↓)を描いて官展で大ウケしたわけです。

「緑衣の女(緑のドレスを着た女)」クロード・モネ 1866年 ブレーメン美術館、ドイツ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Claude_Monet_-_Camille.JPG

これが官展の審査員や批評家にウケて、モネさんめっちゃドヤ顔します。

ドヤァアアアアアア…


まぁ、この絵、当初出す予定だった絵が官展の提出期限に間に合わなくて、急ごしらえで制作した絵だったんですけど、まさかの大当たりだったわけです。
新聞にも載っちゃって。

モネさん、上京して初の

モテ期キターーーーーーッ

いける!?有名画家への道イケるんじゃね!?!!?

みたいな感じで。
大はしゃぎですわ。相変わらず貧乏だったけど、この絵は売れたし、おかげで少し絵の依頼がきたりもして、前年度よりは収入増えたし。

ちなみに当初出す予定だった絵は、かの有名なこれです。↓

「草上の昼食」クロード・モネ 1865-1866年 オルセー美術館、パリhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Le_d%C3%A9jeuner_sur_l%27herbe_1865-1866_Claude_Monet.jpg

この絵は結局、気に食わなくてお蔵入りとなりました。
やる気満々で描いた超ビックサイズの野心作が…(´;ω;`)

あと倉庫に丸めておいてたので、保存状態が悪く、裁断する羽目に…。
あとこのときのモデルに、カミーユさんとバジールさんがいます。
バジールさん、どこにでもいるな…。

そして、翌年の官展です。

モネさん前年度は大注目作家だったわけですから。
新進気鋭の画家は次になにを描くか!?みたいな雰囲気の中で、モネさんは前回お蔵入りだった「草上の昼食」の第二形態なる野心作を出品します。

どの辺が野心作だったかとえいば、当時は今ほど外で絵を描くっていう風習?がなくて、戸外制作している画家はモネさんの周りにはけっこういたんですけど、世間的にはけっこう変人扱いされるレベルだったので。
「え!!?これ外で描いたん!?!?」みたいな新しさがあったわけです。

あと絵画のモチーフが今までにないモチーフばかりだったのも革新的でした。(陽の光、一般庶民の生活風景などなど…)

マネさんだって当時はじめは、「草上の昼食」っていう画期的な作品を描いてるのに、実際に外では描いていなくてアトリエ(室内)で描いてたんで、モネさんのリアルに外で絵を描くぜぇ~スタイルは「うそやん、この子…」っていう見方だった。
(後にモネさんの頑張りを見続けた結果、マネさんはそのすばらしさを認めたました。)

だからこの頃のモネさんが描く絵はほんとに画期的だった。
スキャンダルおこしたマネさんですら、やらなかった技法で、しかも超特大サイズで描いたんですから。
そりゃあもう、目はギンギンなわけですわ。

これで俺は有名画家に駆け上るんじゃぁーッ

うぉああーーーーーーーーーーーーー!!

みたいな勢いで。官展に殴り込みに行ったわけです。

若いっていいですね~
はい、そんな感じで描かれた「庭の女たち」は、これです。

「庭の女たち」クロード・モネ 1866年 オルセー美術館、パリ 
https://www.musee-orsay.fr/en/artworks/femmes-au-jardin-807

結果発表!!官展に入選したのか!?

ドーーーーン!!!


……官展に入選しませんでした。どスベリしました。

もうね、モネさん。この時、めっちゃ不貞腐れましたわ。手紙残ってますわ。バジールさんとかに「もうイヤにゃん」とか書いて送ってましたわ。(ニャンは言ってねぇ)
まぁ息子おるしな…。ここで名を挙げて、カミーユさんと息子に楽させてあげたい気持ちMAXよな。

それに前年度、あんだけ急ごしらえの絵で、皆にワッショイワッショイされて、「え?急ごしらえの絵でこんなワッショイだったら、今回の誰もやったことがない野心作を出したら俺はどうなっちゃうのーー!?」ってドヤ顔で作品出した結果、みんなガン無視とか…。
そりゃクるよね。精神的にね。毎晩さ、きっと眠れなかったよね。
ヤクルト1000 あげたい。

でも若い時ってなんか、周りがやってないことを「革新的ぃいいフゥゥゥッツ!!」って、やっちゃうときってありますよね。
で、大人になってから気がつくんですよね。

「あ、周りがやらないってことには、それなりの理由があるんだ…。」
…みたいなね。気が付けよ俺。手遅れか。みたいな。


今回のモネさんの「庭の女たち」を描いた戸外制作も、たぶんまじで誰もやらなかったことだったんだと思います。
いやチョコチョコ小さいサイズや個人的な楽しみで描いていた画家はいたんですけど。官展という画家の登竜門的な公式の場で、しかもビックサイズでは誰もやらなかったんだと思う。


当時の画家の意見①
「普通に外で絵を描いたら、光源がどこにあんのかわかんなくなって、デッサンとかなんか色々狂わない?」

当時の画家の意見②
「てゆーか、描きにくくね?」

当時のパリにタイムスリップしたらのインタビュー資料(妄想)

若かったモネさん、さぞ色々な人から冷水を浴びせられたでしょうね…。

ドンマイ、モネさん。正露丸あげようね。(胃薬かな)

しかしモネさんは、めげなかった。
たとえバジールさんに「俺、才能無いんだニャン」などの愚痴手紙や、「親父に仕送り止められたニャン(27~28歳・既婚・子持ち)」「絵の具を買うお金ないからお金貸して欲しいニャンニャン」とか、そういう内容の手紙を送っていたとしても!!

モネさんは、あきらめなかった…!!


(だがバジールさんとはケンカした…!!(笑))

モネさんなりに考えた結果、最初の大ウケした作品(「緑衣の女」)と自分なりに信じて積み重ねてきた画風(陽の光を描くという戸外制作での技術)を上手いことミックスして、

新しい表現ができないか…!!


そう考えた結果が、今回、上野に来ている作品「昼食」だったんじゃないかな~と個人的に思っております。↓(再掲)

モネさんがどういう流れでこの絵を描いているのかがわかると、だいぶ絵の見方が変わって面白くないですか?

あと本物みて、今回驚いたのはこの絵、誰も笑ってないところですかね。
画集とかだと、表情まで読み取れなかったんで、勝手に脳内変換してて、
微笑ましい昼食の一場面なのかな~って思ってたんですが。
実際に絵をみてびっくり。
ちょっとまって。この絵、なんか不穏なんですけど。

お母さまと思われる女性、なんかめっちゃ表情、寂しげ…。
唯一、赤ちゃんは笑っているか…?でも本物観たときは、もうちょっと口角上がってなかったんだよなぁ…。


それで後ろの二人は、まじでなに??ハウスキーパーさんの表情が、まじでなにか企んでそうな微笑みをしてて怖いんですが。

ていうかハウスキーパーさんは、まだそこにいるのわかるけど、もう一人の外套の女性は、まじでどのポジションなのよ?ってなりました。

この場面で、空いている席はあと1席しかないわけです。
はじめは、この謎の女性が座るんだと思ってましたが、よくよく考えたら、残りの1席って普通、旦那さんが座るのでは?と思いまして。
食卓の上に新聞がありますし。(当時、新聞は男性がよく読んでいたものなので)

あと食卓の上を見ると、料理や卵にも手をつけてないし、赤ちゃんの皿にはなにも乗ってないし。そこから推測するに、まだ食べ始めてないみたい。旦那さんが席につくのを待っているのかな。

で、この問題の外套の女性はぜんぜん食べる気配ないんですよね。
表情もなにか意味ありげに虚ろですし、外に出る用の外套と手袋は付けたままだし。なんかベイビーを見下ろしてるし。残りの1席は旦那さんが座るものと考えると、この女性の座る席、まじで無いやん。

じゃあ、なんでこの外套の女性 そこにいるの??

って不思議に思いましたが、謎は解けませんでした。
こんど調べるか…。

ただふと、この絵を見てたら
未来のモネ一家みたいだなって思いまして。

カミーユさんが生きていた頃に、百貨店経営していたモネの絵のパトロンがいたんですが、そのパトロンが経営破綻してその妻と子どもたちがモネの家に上がり込んでくるって話があります。パトロンの妻は、後にモネさんの2番目の妻になる、アリスです。
カミーユはこのあと体調崩して、亡くなってしまい、続いてアリスの元夫も亡くなるので、最終的にモネさんとアリスさんは結婚するんですが、
その結婚するまでの間、つまりカミーユが生きていた頃は、2家族屋根の下、一緒に暮らしていたんで、きっとこんな感じだったんだと思うんですよね。(アリスの夫は別居していた)
カミーユが息子にご飯をあげて、それを居候のアリスが見ている…みたいな。
当然この絵を描いていたときは、モネさん一家は、まだアリス一家とは出会ってないので、ほんとこの話は妄想で、好き勝手言ってるだけなんですけどね。

あと、モネさんは基本的にはカミーユさん一筋だったんで、ドロドロした昼ドラみたいな関係性でもなかったとは思うんですが。(通説ではカミーユとモネの息子は2人いますが、アリスとモネとの間に子どもはいないとされています)

ただ、なんかこの頃のモネさんは将来こういう感じの家族ができるって知らなかったはずなのに、将来の未来図っぽい作品残しててすごいな…とは思いました。

長くなっちゃいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
気が向いたら、他の作品のこぼれ話しようかな。
とりあえず本日はここまでで…

ご興味ある方、ぜひ上野の森のモネ展行ってみてくださいね。

あ、モネ展のお土産売り場(ショップ)が、

土日祝は死ぬほど混んでたんで要注意です!!


ではでは~

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