東京消費 #1 包丁 「杉本刃物」 sandz
学生時代の話。「料理ができれば、大好きなあの人に振り向いてもらえるはず」と考えた僕は、自炊を始めることにした。
当時はありあわせの調理器具を使っていた。包丁はどこにでもあるような安物。その切れ味の悪さとは裏腹に僕の片思いはバッサリ……。残ったのは細やかな料理の腕と、一人で食べきれない量のレシピ、それから自炊の習慣。手段だったはずの料理は、気が付いたときには目的になっていた。
切りにくい包丁、プラスチックのまな板、ペラペラのフライパン。彼氏のいない独り身には、生活を充実させるだけのお金がある。すべては日々の「おいしい」のため、調理器具と食器を一新することにした。
「包丁」という言葉は、中国の「庖丁解牛」という四字熟語に由来する。時は春秋戦国時代。牛を捌く料理人の丁の仕事を見た君主は、その見事な技を褒め称える。このエピソードが転じて、「庖丁解牛」は優れた技術を称える四字熟語となった。
切れない包丁では技も生きない。まずは包丁を買い替えよう。
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検索と探訪の末にたどり着いたのは、東京・築地場外市場にある「杉本刃物」という包丁屋だった。法人の設立こそ1948年だが、もともとは刀鍛冶という話だから、かなり古くから刃物を商いにしているようだ。
決め手はお店の立地。多くの料理人が出入りする築地で包丁を商いにするということは、プロフェッショナルに支持されているはず。そう読んだ。
築地場外市場は、狭い路地を人々が行き交い、雑多な雰囲気。店舗はこじんまりとしているものの、店頭に並ぶ包丁の種類の多さに圧倒される。
日本料理包丁に西洋料理包丁、中華料理包丁など、用途によって形状もさまざま。店内にもずらりと並ぶ包丁、包丁、包丁。薄暗い店内では職人が眼光鋭く包丁を砥いでいる。
「すみません。包丁を探しているんですが……」
意を決して職人に話しかけてみた。鋭い眼光がそのままこちらに向けられる。
「料理を始めたばかりで、一番使いやすいものを……」
包丁を置き、職人がゆっくりと店先に出てくる。無言のまま手に取ったのは刃渡り180mmの牛刀、いわゆる万能包丁だった。
「野菜も肉も、一般的なものだったらこれ1本で足りますよ。錆びにくい特殊合金だから、扱いやすいしね」
職人の声は、通販番組でスパッとトマトを切る人とは正反対の種類のものだった。他にもいくつかの包丁を手に持たせてもらったものの、結局、最初に勧められた牛刀を購入した。
「使えば使うほど切れ味は落ちていくけど、店に持ってきてくれたら1時間ほどで新品同様に砥ぎますから」
砥石さえ買えば自分で砥ぐこともできる。だけど僕は定期的に店に通っている。郵送サービスもあるみたいだけど、なぜか店に行きたくなる。
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杉本刃物で買った牛刀を使い始めて8年が経とうとしている。お店で砥いでもらった回数は、もはや数知れない。
つい先日、砥いでもらった包丁を受け取った際に、新品のときよりも刃渡りが短くなっている気がした。
「これって段々短くなっていくんですか」と尋ねると、職人は同じ刃渡りの商品と僕の包丁を並べて「やっぱり、砥いでいくとね」と言った。
「じゃあ、最終的には刃がなくなってしまう?」
「そういうことになりますね。でも、これならまだ10年は使えますよ、心配しなくたって」
8年通って初めて、職人の笑顔を見た気がした。
包丁は字義どおりの消耗品。刃渡り180mmの同じ商品も、日常的に使い、ひとたび砥ぎ始めれば、この世に1本として同じ形状のものがない固有の包丁となる。だからこそ、愛着が湧くし、使えなくなるまで大切に使おうと思える。
ふと思った。料理人の丁さんは、自分で包丁を砥いでいたのだろうか。それとも、稀に笑みを浮かべる職人が丁さんの仕事を支えていたのだろうか。
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写真:Yoko Mizushima
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