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陽キャでスパークしてた高校時代と、陰への憧れについて

先日、卒業いらい(20年近くぶりか)に高校時代のバスケ部友達に会って脳みそがスパークする感じがあった。自分が自覚している陽キャ要素の原液を感じた。当時どんな感覚で陽キャをやっていたか、近年になってくると、もはやおぼろげな記憶と化していたが、久々に細胞がざわめき、コレコレ〜!!!となっていた。

陽キャと一口に言えどもさまざまな種類があると思うけど、スクールカースト上位とか、イケてる一軍的なニュアンスを含む場合が多いが、私はそれとは少し違って、箸がころげてもおかしいというやつの極みみたいなヤツだ。行事で大ハリキリしたり、同窓会の幹事をやるけど、部活でスタメンじゃなくて補欠だし、見た目がキラキラしてるとか勉強の成績が良いわけじゃないので、誰からも嫉妬されず憧れもされないゆえの無敵感。生まれ持った明るさと友だちが好きという強い感情のみでやらせてもろてます。というタイプだった。

すでに多くの友人と再会してきたここ一年半ではあったが。(恋愛に紐付いた大懐古キャンペーン)今回のメンツの爆発力は他の追随を許さないレベルだった。部員の中でもひときわユーモアとノリのよさの純度が高いメンツだなと後になって気付いた。一人では出せないこのスパーク感。これは本当に組み合わせによるもので、それをいつも様々な話をしあう友だちYちゃんに伝えると「世界ですね」的な返事が返ってきてそれなとなった。

高校時代の恋愛を振り返って頭がおかしくなり小説を書くようになったのが1年半前なのだけれど。それをやってるとき、どうしても反省の感情が大きくなってしまう。それは、若かりし頃に好きだった人のことを、その時、その瞬間を見つめておけばよかった。思い込みで突っ走りすぎた、みたいな反省があるからだ。当時は冷たいとか騒いでたけど彼にも彼の思いやり方があり、わかりやすく愛情をたくさんくれていた。なのに、自分の好きの感情が過剰すぎて「足りない!!!」となっていたよね。みたいなね。自分よがりというかね。それはそれで青春だったといえばそれまでだけど。

そんなぐわんぐわんと荒波のように不安定な恋愛と同時進行で。日々安定的に存在していた部活での自分の姿。これ抜きには反省を語れないのでは?と今回のスパークで感じた。最近まで、この分野の自分をだいぶ忘れてたけど。こっちはこっちで10代の自分にとっての本分だったのだ。これだけ毎日スパーキン!!してたらなかなか難しいと思うよ。今だからこそ冷静に反省できてるけど、当時の自分が「自分に集中する」みたいな状態になるってだいぶ難易度高いと思う。静けさが必要になってくるものだしね。

当時の自分にとって、一人一人の内面世界があることを認識するなんてことは、かなり難しかったと思う。それはまだ幼くて自他の境界がまだ曖昧だったからでもあるだろうし。多感な時期でもあり、常に迷いがあったとしても俯瞰して、静かな世界でそれをとらえるという所業は無理だっただろう。恋愛で好きだああああああ、ってなるのも、友だちとあまりにもくだらないことで笑い転げることも、いろんなものを吹っ飛ばす力があって、一つ一つに悩み右往左往してしまう感性をかき消していたように思える。そういう単細胞で野蛮な部分。静けさの対極にあるもので。私の性質的にかなり強めに存在しているものだと思い出した。

もちろん自分にも繊細な部分はある。何かがおかしいと。ふと我にかえる時がある。その時に静けさと集中で、自分や、他人が、心の中にもっている大切なものについて見つめている。スパークしてるときとは「世界」が違う。今は何かを書いているときとか、内面世界について語れる友達との会話や、そういう作品を読んだりみたり、文章に触れたりする中でその世界に行けると徐々に認識できるようになったのかもしれない。多分だけど。だからなのか。高校を卒業してから、スパークな自分に気付いて恥じている時期もあった。反動といっていいのか。とても思慮深い人や、感情に振り回されず常に軸が定まっている人や、何物にも動じず現実を見つめる淡白な人に憧れたりする期間が長くあった。(無自覚だとはおもうけど、恋愛的に好きになる人みんなそれなんだよな。友人や知人のなかでもこの性質に憧れて惹かれる人が一定数存在する)

でも自分はそれじゃない。一周回ってようやく認めてあげてもいいかもしれない。でも、そーゆーのに憧れるなかで理解が深まったり、自分自身だってたまには静けさを手に入れることもできる。その世界と無縁なわけではない。自分の中にも持っている。静かな世界を。だから、両方が自分なんだろう。いまは、それにようやく気づいているような気がする。スパークな自分も大切にしながら、静けさも諦めずにいたい。

(文章を書く人、作品を作る人。たくさん見る。出会う。Instagramで。Twitterで。そーゆー人たちに憧れる。私はすごく飽きっぽい。自己表現をしたくてあがいてる。作品を作り続けている人をみると嫉妬してしまう。自分の世界を持っている人たちだ。そういう人のことを好きだけど、そういう人たちは私みたいな中途半端なヤツは好きじゃないんだろうなと勝手に仲間はずれの気持ちになる。リアルをかなりエンジョイしてるくせに、こっちくんな!と追い払われそう。現実が息苦しいからこそ創作や自己表現の世界に救いを見出している人がこの世にはたくさんいて。だからそう思われても仕方ないが、自分が強欲なことを認めてどっちもほしいんです・・!と泣きながら走り続けるしかない)



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