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蝙蝠か燕か 没後弟子の矜持/西村賢太

西村賢太氏の『蝙蝠か燕か』を購入して読む。

方方の書店を巡ってようやくゲットしたが、発売は2月で、まぁ、置いていないものである。5〜6書店(それも、比較的大型)を回っても見つからない。然し、作中で本人も書くように、数千部しか出ていないようだから(故津原泰水氏も初版3000部だとか書かれていたが、大抵の文芸作家はそのようなものなのだろう)、新刊書が出ても印税が数十万とか百数十万とかそんな世界である。

今回の『蝙蝠か燕か』は表題作含む三作が掲載されていて、その全てが師である藤澤清造にまつわる話であり、エッセイに近い匂いだ。
西村賢太氏は芥川賞でブレイクして、それ以前の1990年代から始めていた藤澤清造の没後弟子道から、段々と軸がブレていっていることに対して、『芝公園六角堂跡/狂える藤澤清造の残影』という作品において、自分自身が慊りないとして、自分への怒りを込めて書いていた。今作は西村賢太氏にとっては別格の作品だそうである(そう、あとがきに書いてある)。


そして、2010年代後半から再び藤澤清造に関しての著作を多く書き始めた。
要は、芥川賞受賞からのテレビ出演や有名人との付き合いなど、野垂れ死に(と、いうのも私のような門外漢が言うのは甚だ慊りないようだが)した藤澤清造の本質とは真逆であり、そのことを後ろめたく思っているわけである。
藤澤清造以前は田中英光に傾倒して、ここでもン百万とかン十年の月日を英光に当てていたわけであるが、それがとある失態で不意になって、次に見つけたのが藤澤清造なわけである。藤澤清造は西村賢太氏が発掘しなければ間違いなくここまで有名にならなかっただろうが、西村賢太氏は方方の関係者の話に依ると、テレビに出たい、有名になりたい、だの、自作とは異なる相当なミーハー的野心があったそうなので、師への思いのどこまでが真実なのかわからない。人によっては藤澤清造を利用しての成り上がりかと思うようだが、正直ここまでどマイナーな作家に大金を費やし、何千時間も注ぎ込むのは、やはり私淑している心があるからだとは思われるが……。

然し、どマイナーだからこそ手垢がついておらず、ある種幻想をもたせるにたる存在なのかもしれないし、今となっては永久に不明だが……。

そうして、『蝙蝠か燕か』は、ある種、没後弟子としての生き様の集大成と再出発を描いた作品である。

西村賢太氏は、2019年から藤澤清造没後弟子として再起動リブートして、藤澤清造の著作の刊行に奔走する。確かに、2020年とかそのくらいのときに、急に藤澤清造の本が2冊くらい刊行されていたので、なるほどなぁと読んでいて思った次第。

『藤澤清造追影』の表紙は藤澤清造本人の写真であり、これは西村賢太氏がどこぞの文学誌から持ってきたものだと思うが、このトリミングの仕方が生首みたいだと書いていた。この写真を部屋に飾っている西村氏はなかなかアバンギャルドであるが、藤澤清造の写真はこれ以外に2点、計3点しか私も見たことがない。無論、西村賢太氏のお陰で拝見できた写真である。
生首と言えば、三島由紀夫の生首写真も有名だが、その世評的な差は天地の開きがある。

太宰治などのようにどの時代でも読み継がれる作家とは異なる藤澤清造だからこそ、講談社文芸文庫などにアタリをつける辺り(駄洒落じゃない!)もクレバーである。今作は前半では藤澤清造の書籍刊行や自作に関しての校訂作業などを書いていて、物語の面白みはないが、書籍や作劇、古書にまつわる話などの面白みはある。

彼は、作中では、藤澤清造の七尾の墓の掃苔のために移動費で2000万円(月に一度の祥月命日などでの東京⇔石川の新幹線代や宿泊費用など)、書籍や肉筆資料、掲載雑誌の入手のために2000万円合わせて4000万円ほど使ったと書いており、そして、既に四半世紀刊行されることのない藤澤清造全集のために、2000万円を注ぎ込む予定だったそうだが、合わせて6000万円、とんでもない男である。
その2000万の内、『根津権現裏』の初版(まぁ、初版しかないのだろうが)の献呈書き入れ本などは、推察するに300万円〜500万円ほどで持ち主から譲り受けているようで、まさに藤澤清造キチ◯イである。

だからか、ニワカ読者に対する怒りが凄まじく、まぁ、たしかに藤澤清造に関しては西村賢太氏が№1である。

作家に対して、常人とは異なる情熱を持ってして接する人は多く、西村賢太氏の言うところの『人生を棒に振る』とはまさにこのことで、そのバロメータとして金銭というのは重要な指標である。
金が全てではないが、6000万円の愛情を注げるかと言われてたら、太宰治だろうが、なかなか出てこないだろう。
まさに没後弟子である。

然し、本人としては自分の没後弟子が現れた場合、完全な異常者として訴えることもやむを得ない的な感じで、その自分を棚に上げる感じがらしさを感じてとてもいい。このあたりの客観的な捉え方が、西村賢太氏の一流のエンターテイメントは書く資質を表しているだろう。

『蝙蝠か燕か』は、コロナを扱っており、緊急事態宣言で七尾に行けない時の話など、こちらとして笑えるが、本人には切実なのだなぁと思った次第。

今巻においての3作は、今までの物語性は排除されており、物語として面白いものは遺作であり未完でもある『雨滴は続く』に譲られているが、藤澤清造に関しての改めての決意表明、そして没後弟子としての矜持に関しては、特に表題作には濃厚に描かれている。

然し、それは西村賢太氏の読者ならば死ぬほど、それこそ耳にタコが出来るほどに読まされてきた言葉と事実のオンパレードであるから、目新しい楽しさ、面白さは一切ないし、長年のファンであるならば楽しめるが、これを初見の人間が読んで評価するかといえば、やはり彼自身の書くところの独りよがりに過ぎないのであろう。少なくとも、ファン以外の読者は相手にしていない作品であるし、残りの二編は正直藤澤清造への復帰のリハビリのようで、名作とは言い難い。

もはや、書くべきことはもう出涸らしなのであろうし、いよいよ書かなかった父親のことしか後がなかったのだと思う。孰れは書いたのであろうが、もう読めることはない。
蝙蝠か、燕か、何れにせよ、本作の結びで書かれている通り、氏は迷子であることの強みの文学を、その身を持って証明してみせたのだろうと思う。




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