愛がとまらない
『仮面ライダーブラックサン』を鑑賞し、このドラマシリーズに抱いた感想としては、とにかく、
①シャドームーン演じる中村倫也が素晴らしい
②ルー大柴の演技はついつい真似したくなる蠱惑さに満ちている
③70年代ファッションが良い
④ビルゲニア演じる三浦貴大が良い
という美点、と、
①時代を交差させすぎて、鑑賞意欲が削がれる
②南光太郎はキャラ造形で失敗しているため、西島秀俊の無駄遣いになっている
③怪人の造形が残念すぎる……
という悪点が入り交じる感じだった。
ちなみに、私は下段の③で使用した、すぎる、という言葉を嫌悪している。最高すぎるっていうのは最高と同義ではないのか?とか、そんな風に思っちゃう。
全体的に役者さんは熱演しているが、ストーリー構成が複雑(複雑ではないのだが、とっ散らかっている印象)で、ドラマという特性か、謎を小出しにしてくるので、そのあたりが問答無用に引き込むものならばよかったのだが、やはり冗長に感じてしまった。
『仮面ライダーブラックサン』は大人のライダーとして作られて、私が幼い頃にTVでやっていた『仮面ライダーブラック』は、とにかく怪人が怖かったのを覚えている。クモ怪人は、トラウマ級の怖さだが、そういえば、私が幼い頃に映画で公開された『仮面ライダーZO』もまた、痺れるくらいの恐ろしいモンスターパレードで、約50分という時間の中でとんでもない世界が展開されていた。
『牙狼』の雨宮慶太が監督を手掛けている。
『ゼイラム』などでも、また気持ちの悪い敵キャラクターを造形している。
この作品には、3体の怪人が登場するのだが、そのどれもが恐ろしいのである。
私は、7歳くらいの時にこの映画のムック本みたいなものを親父に買ってもらい、貪るように読んでいた。
今思えば、それが私にとって恍惚とした変態怪物造形への憧憬に結びついているのかもしれない。親父、なんてことをしてくれたんだ。あんた、ビッグコミックとかも乱雑に置いていたよな。そこで『浮浪雲』とかよくわかんないながらも読んでたし、黄桜かなんかの広告で、河童がイヤラシイ生き物だって思い込んでしまったんだぞ。
怪人は、蝙蝠男、蜘蛛女、そして究極生命体ドラス、である。最後にいきなり厨二病的な二つ名のキャラクターになるが、ドラスはかっこいいのだ。
問題は、前者、特に蜘蛛女である。
蜘蛛女は怖い。確かに、これは雄を食べそうである。
でも、よくよく考えたら繁忙期はこれくらい怖い顔の人、男女問わず多いよね。
そしてドラスであるが、ドラスは究極生命体であり、変身したりするが、元々は愛されて(よーく育てよ~的に)生まれた生命体であり、創られた子どもなのである。
この幼心を顕現するかのように、後半最終決戦中くらいに、何故かレリーフ状で登場するのだが、このデザインは、私の幼心にぐさりと刺さり、爾来、永久に抜けぬ棘と変化して、今私が自分のプロフィール写真にしている彫像を造らせたのである。
これは、現代アーティストの方に作っていただいたので、直接には私が作ったわけではないが、ここでもまた、私にはこのドラスこそが究極生命体であり、私の人生のテーマである両性具有者的な姿に見えたからに他ならない。
自分の趣味本の表紙として使うために作っていただいたので、暫くしたらきちんとレイアウトしてもらい、本にしたい考えである。
とにかく、ドラスのレリーフ姿というのは、とんでもなく私のハートを撃ち抜いてしまっていて、やっぱり、そういう意味で、この映画のムック本を買い与えてくれた親父に感謝しかないわけである。
ちなみに、私は劇場公開時には行っていない。
この本は、確か多分京都の高島屋とか、そういうところで買ってもらった記憶……。施設には、まだ煙草の自販機が置いてあって、広告部分に「たばこは心の日曜日」って書いてあったような……と、探したらありましたね、「たばこは心の日曜日」。
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