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新しい神さま②

 

 近頃、両性具有者が描かれた芸術に凝っているからか、それを題材にした物語を書いているわけだが、それも、私の好む物の起点から流れ出たひと筋の道の通過点だろう。様々なものに興味がある。それは、文学も映画も漫画もアニメーションも、所謂オタク気質に触れたるものの全てである。そうして、こうして文章を書き付けるようになって、その過程において、様々な作家が自身の中に濾過されていった。初めは、何とはなしに読んでいた小説というものも、自らで書くようになると、所謂文豪と呼ばれる人々の凄さというものが、身に染みてくる。あのような頭は私にはない。現に、大正昭和の文豪たちは、圧倒的に一高、東大である。語彙力が違う。地頭も違う。今はパソコンが簡単に翻訳してくれるから、自分が何か神にでもなったように思うけれども、一切、それは間違っている。私は、パソコンから離れて原稿用紙を渡されたのならば、それを塵紙としてしか使えないだろう。物語を書き付けることなどできないだろう。遥か古の作家たちは、腱鞘炎に悩まされなかったのだろうか。部屋に置かれている、数人の小説家の全集を見て思うた。現代の作家は、タイプのしすぎで、指が痛くなるのだろうか。私は、津原泰水の書いた、『バレエ・メカニック』という小説を、こよなく愛している。美しい小説である。それは、近未来、今と変わらない、少しばかり世界を異としたSFの物語で、父と娘の、美しい物語である。夢を見ているような文体で、忽ちに惚れた。私は、あのような小説が書きたいと思った。そうして、そこから、美しい文体に焦がれて、他にきれいなきれいな文章を書く作家はいないものかと、読み漁った。久世光彦を愛した。谷崎潤一郎を愛した。川端康成を愛した。彼らのことは、みんなはもう識っていた。大文豪たちだから。無論、私も名前は識っていた。けれど、識っていただけで、ただの知識でしかないのである。実際に読んでみると、その美しさに奮わされる。谷崎潤一郎はすごい作家である。漢語、ひらがな、句読点無し、カタカナ、様々な文体を試している。実験実験、又実験である。そうして、日本の美しさが見事に拾い上げられている。掬い上げられている。川端康成は妖しの作家である。語彙は、少ない。しかし、これもまた見事な文章である。子供の書くような文章である。しかし、新感覚派として、それは頭ではなく、心で解く文章である。情景が、軽やかに頭に浮かぶ。二人の作家、耽美派、新感覚派。そのどちらも、日本語の神さま。私は、どちらの神さまを師にするのか、秤を胸に抱いた。川端康成に傾いた。
 全集を読んだが、『東京の人』に、特に惹かれた。新聞小説で、長い長い、川端康成最長の小説である。そこには、川端の書く、無垢の娘、野生の娘、虚無の男、空白の町、情景の美しさ、全てが揃っていた。『古都』、『眠れる美女』、『みづうみ』、『伊豆の踊子』、『山の音』、『雪国』と、代表作が多い作家だけれども、私は、この『東京の人』をこよなく愛している。自分の書く小説も、感覚を大事にしなければと思った。そうして、物語は、本当には無くても良いのではないかと、そうも思えた。そうとも思えたけれど、日本の文学は、世界の文学と違い、文体をこねくり回し、一行を削るのに心血を注いでいる、だから世界には通用しないのだと、そういう揶揄の言葉もあって、私は、長い物語を書けないこともあって、心が迷うのだった。文体か、物語か、まだ、誰にも認められてもいない野草が、花のつもりになって化粧に迷った。泣き声が聞こえた。私は、はっとして、ベビーベッドを見つめた。声が、天上の聖楽である。はっと、心の底が掬われる。私は、慌てて席を立って、そこに駆けつけると、息子の顔を見つめた。真っ赤である。まさに、赤ん坊である。さては、先程の毒の乳が効いてきたのか。頭を振る。馬鹿な妄想!馬鹿な妄想!そうして、恐らくは粗相をしたのだろうと、ベビーベッドの横に備え付けてある小箱から替えのおむつを取り出して、思い出したように、先程沸かした湯の元へと向かった。湯を白い茶碗に注いで、少し冷ますと、そのままベッドまで運んでいく。もう随分と、温くなっている。そうして、泣き続ける息子のおむつを取ってやると、カボチャのお粥のような大便をしていた。私は、まだ乳しか取らない赤ん坊の便が黄色いことなど、識りもしなかった。息子は、自分の粗相で不快になっていたわけだ。直ぐさまおむつごと尻を上げて、その下に新しいおむつをセットする。そして、足を上げて、便に汚れた尻を尻吹きできれいに拭いてやる。そうして仕上げに、脱脂綿をお湯につけて、それを使ってかぶれないように丁寧に拭いてやった。そうしていくうちに、すっかりと清潔なお顔になって、静かになる。おむつをセットすると、もう落ち着いて、うとうとと、微睡み始めている。私はほっとして、少しばかり酸性の匂いを発するそのおむつをくるくると丸めて、塵籠に入れた。そうして、息子の顔を見下ろす。白目を剥いている。生まれたばかりの頃、左右非対称の眦で、眇目かと思えたが、しかし、赤子はそのようになることが多いそうだ。すべて識らないことばかり、それどころか、触れなければ識りようのないことばかり。
 ほーほけきょ。どこからか、鶯の鳴き声が聞こえる。鶯。美しい日本の野鳥。丁度桜の花も満開で、どこかで羽を休めているのかしら。幹を冒険する芋虫でも捕まえて、孵ったばかりの雛に与えているのかしら。鳥の親の気苦労までもが身に染みるようだが、しかし、妄想に過ぎない。あれはただの求愛を唱う若鳥なのかもしれない。私の友人に、野鳥を捕まえてきては籠に入れて、じっと閉じ込めて飼う男がいた。以前、その友人は私の住んでいたアパートの向かいに住んでいた。日本では、法律で野鳥を飼ってはならない。私は友人がそのような罪を犯しているのを知って、彼を窘めたのだが、彼はそのような注意はどこ吹く風で、
「昔は、雀も、菊戴も、そういう自然の野鳥を売りに来る鳥屋すらいたんや。それほど深い罪を犯していることに当たらへん思うね。」
と、そう強気で言う。私は、妻の趣味で小鳥を二羽迎えたが、それは南米産のマメルリハという鳥で、小さな鸚哥である。青い羽で、まさに幸せの青い鳥そのものだが、性格は好戦的で、鳥籠の中で、小さな諍いを常に起こしている。しかし、忘れっぽい性格で、すぐに仲直りしては、羽を触れ合わせて眠るのだ。それは、ちょうど恋人のようで、私も妻も、その光景をこよなく愛していた。しかし、マメルリハは法律でも赦されている。鶯は赦されていない。彼が鶯を飼っているのを見たことは無いが、一度彼の家の扉をすり抜けて、鶯の声が聞こえたのだ。外で聞く鶯の声そのままで、日本独特の玉音に聞こえた。私はインターフォンを鳴らして、お前の家から聞こえてきたよ、鶯を飼っているのか?と問うた。
「いや、お前の空耳と違うか?」
とだけ答えて、いそいそと彼は逃げるように自室へと向かった。そうしてまた、暫くすると、鶯の声が聞こえてくる。彼は、美しいものを美しいものとして、置いておけないのである。彼にとっての芸術は野鳥であり、それを愛でることで、幸福たろうとする。彼のその幸福の緑の鳥は、しばらくはアパートの薄い扉越しに、私の耳を慰撫してくれていたが、しかし、その声がある時を境に聞こえなくなった。さては放したのだろうか、それとも、鶯は春にしか鳴かないのものなのだろうかと、私は一度だけ、西日の差し込む部屋で思ったことを覚えている。真っ赤な夕日だった。死の色に思えた。答えはその僅か数日後にわかった。私は芥を捨てようと共同芥捨場に向かい、密閉型のスチール製の芥箱を開けた。すると、野鳥の死骸があった。緑の身体で、まだ白骨化していないが、しかし、半分が腐っていた。鶯だった。陽に当たらないから、手の中で転がすと、羽の裏側は砂金をまぶしたように美しい萌黄の反物だった。私は、その亡骸を掌につつんだ。自室に戻り、何枚ものティッシュでくるむと、しかし、埋めてやるまでの感傷はない。そのままアパート近くの雑木林まで向かい、一本の大きな橡の前に立った。そして、木の裾のに、そのきれいで美しい、掌に温まったティッシュを棺にして、鶯の浄土とした。屍体が見えぬように、ポケットティッシュを数枚取り出して、その上にはらりとかけた。それから、帰り際、何度も振り返る。すぐに蛇が食うだろうか。猫が遊ぶだろうか。友人は、それからも何羽もの野鳥を飼っていた。あの芥箱置き場に、何度か猫が集っていることがあった。あれは今思えば、彼の捨てた芸術で遊んでいたのかもしれない。雀や鶯の、美しい骨が詰まった芥箱である。美しいものを美しいものとして置いておけないのは、私も一緒だった。

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