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アンダーグラウンド

10年ほど前、場所は十三だったと思うが、私は一度だけ、渡辺文樹監督の映画を観に行ったことがある。

渡辺文樹監督は、町中に怪しげな看板を立てて宣伝し、公民館などで自主映画を上映するスタイルの監督である。作品には『御巣鷹山』や『腹腹時計』などがある。

私は、20代の前半頃、十三で渡辺文樹作品の上映があることを知り、この機会を逃すべからずと、仕事帰りに立ち寄った。

私は、不安だった。この時、私には恋人もおらず、孤独なロンリー(重複している)だった。そのロンリーな精神を抱いたまま、十三の地に降り立った。十三では、ストリップショーを観たことがあるが、あまり面白いものとは思えなかった。

そして、私は調べたその上映場所へと、一抹の不安を抱えながら、向かって行った。仕事帰りなので、途中入場になるが、経験してこそが華である。

私は道に迷った。冬で、寒々しい夕闇が曇天を伴っていた。私は、心細かった。側に、愛する人がいれば、きっとこんな気持にはならないだろうと、そう思っていた。二十代の、恋人のいない悲しみは、夜の海よりも暗い。私は、十代の終わりも、二十代も、碌な青春ではない。いや、素晴らしい青春を送っている人間など、いるのだろうか。青春は、薄暗い、仄暗い地下道そのもののはずである。

私は、コンクリートの壁が続く不気味な道を歩き続けた。いつ、たどり着くのかわからない、心は、人恋しさで弾けそうだった。そして、明かりが灯る民家立ち並ぶ町中に入ると、そのあまりの人気のなさに、悪夢を視ているのかと思えた。

上映が行われる建物が見えてきた。そして、噂に聞く、明らかにその場に似つかわしくない、スーツ姿の男たちが何人かいた。渡辺文樹の映画上映の際に現れるという、公安警察だろう。
私は、当時馳星周の本を愛読していたので、その光景に目眩を覚えた。馳星周の本は、全て読んでいた。彼の作品の主人公は、九割の確率で目眩を覚える。
パイプ椅子が並べられた会場に入ると、既に上映は始まっていた。無論、映写機を回すのは監督自身である。映画の中身はよくわからなかった。私は今も馬鹿であるが、二〇代の頃はウルトラにバカであり、女好きの間抜けである。監督は役者も兼任していたが、演技は下手だった。然し、異様な熱量である。
私は、感動を覚えながらも、最後にパンフレットを監督の奥様から買い求めた。直接、売り子をされているのだ。
会場を後にする時、公安に睨みつけられた。私は、馳星周の小説の主人公だった。

然し、映画の内容は覚えていない。ある種、見世物小屋的な面白みこそが、渡辺文樹の作品の醍醐味なのかもしれない。
十三は、一層に暗くなっていて、私はこれからの未来にも目眩を覚えていた。

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