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ライオンハートな映画、『獅子王たちの夏の最后』

獅子座、それは王になる者たちの星座ー。

なーんて感じの映画が、ヤクザ映画の『獅子王たちの夏』、そしてその姉妹編の『獅子王たちの最后』の2本である。
今日は7/23、明日から獅子座である。獅子座、というと、ライオン、であり、やはり、ライオン、というと、百獣の王、であり、SMAPであり、そして、スコール・レオンハートである。

監督は高橋伴明、主演はどちらも哀川翔ー。哀川翔、と、いえば、最近、黒沢清の『蛇の道』がセルフリメイクされて、それは観ていないが、オリジナルの主演だった。そして、その続編の『蜘蛛の瞳』でも主演だが、『蜘蛛の瞳』は最早濃度が濃すぎて、私には全く理解できなかったが、然し、『蛇の道』はなかなかダークな設定、かつ、SF的な匂いも持つホラー・サスペンスで、まぁ、こちらも意味不明な箇所が散見されるが、良い映画である。

で、『獅子王たちの夏』、だが、これは、まぁ、同じ7月に産まれた獅子座の男、一人は哀川翔、もうひとりはそのまんま東ー、あ、違った、的場浩司(そのまんま東も出てるよ!)、この二人の男のヤクザヒストリーで、二人は冒頭、浜辺で出会うのだが、その後は基本的に後半まで交わらない。後半で交わるのも、ある種の観念的な交わりであって、二人で何かする、的な話ではない。

哀川翔パートは基本的にトレンディドラマテイスティで、たくさんSEXが描かれるし、基本的にチャラい。情けないヤクザである。然し、的場浩司パートは、昔ながらの任侠的な世界である。嫁さん一筋で、そのせいであてがわれた情婦を抱かずにインポ!と罵られる。
然し、的場浩司はかなりストイックなキャラクターで、家族思いで、仁義などを重んじる。その姿は、哀川翔と対比されて、後半ある種の神格化が図られる。

的場浩司は、ベラミ事件の鳴海清がモデルになったキャラクターで、最後は悲惨な死に様を見せる。この鳴海清、が通奏低音になっていて、もう1本の『獅子王たちの最後』も、鳴海清事件をベースに作られている。

このジャケのコピー、『出口なんて探してねえよ。』は、図らずも、『蛇の道』のループ感がある。

こっちは、序盤は田舎の山奥で木を斧で切り倒そうとする3人の少年から始まる。
私はドキドキしながらそれを観たのだ。斧の振り方が怖くて、怪我したらどうしよう……。然し子供たちは見事に木を切り倒し、そして、そこから田舎悪ガキ物語がスタートして、え、別の映画?とか思っていたら、彼ら3人が成長してー、という流れで哀川翔と錦織一清が現れる。

そして、哀川翔と錦織一清、松田ケイジの3名の成り上がり物語がスタートするー的な展開である。

『獅子王たちの夏』と『獅子王たちの最后』には直接的な繋がりはない。繋がりは、やはり鳴海清であり、哀川翔であり、高橋伴明、である。
どちらかというと、『獅子王たちの夏』はシュールなシーンも多く、チャプターを四章、ひとつめの夏、ふたつめの夏、みっつめの夏、おわりの夏、で分けており、シークエンス一つ一つが印象的で、幻想映画の趣もある。
反対に、『獅子王たちの最后』は前作よりも馳星周的、というか、どこまでも堕ちていく感じがあり、ストーリーラインの骨組みがエンターテイメント寄りになっている。

然し、シュールシーンは多い。主人公たちは揉めたらコインで、ではなく、揉めたら斧で、だろ?ばりに車のトランクから斧を取り出して、公園の木をどちらが早く切り倒すのか競い合う!笑撃的なシーンだが、然し、彼はどこまでも子供の延長であり、だからこその悲劇、そして、これは、町山智浩氏のフェイバリット映画の『狼は天使の匂い』的なシーンかもしれない。

さて、『獅子王たちの夏』のタイトルテロップが出るシーンは本当にいい。このシーンだけはもはや邦画でも群を抜いていい。それ以外、頂けないシーンも多いが、やはり、90年代の映画、あの空気感、特に90年代初期、というのは、なんであんなにいいのだろうか……。

2本を大きく隔てるのはやはり脚本の金子正次だろう。『獅子王たちの夏』は金子正次が脚本に入っているが、上からもらった金を舎弟に小遣いだと渡して、お土産まで帰る的場浩司、奥さんはお礼を言って、その的場浩司の財布に奥さんはお金を入れておく、的なやりとりは金子味があったが、どうだろうか。識らんけど。


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