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やっぱり荷風にはなりたくない 映画『濹東綺譚』

Amazonプライムにて、永井荷風原作の『濹東綺譚ぼくとうきたん』、1992年公開版を鑑賞する。

主演は津川雅彦、墨田ユキ、監督は新藤兼人。

私は永井荷風の良い読者ではない。

読んでいるのも、『濹東綺譚』、『ふらんす物語』、『腕くらべ』くらいのもので、荷風にはあまり興味がない。

荷風と言えば、24歳の谷崎潤一郎の『刺青』を激賞したことで、谷崎がフックアップされたのが有名、そして、花柳文学の重鎮として有名である。

なので、必然、谷崎から荷風へ、という流れもあるし、どちらも耽美派、なので、谷崎が好きな人は荷風に触れるのは自然の成り行きであるのだが、谷崎とはまた違う世界観で、私はあんまり好きではない。

『濹東綺譚』は主人公の大江匡が『失踪』なる作品のプラン(教師と女給のエロ小説)を練っているところから始まり、これはまぁ、荷風本人なわけだが、そこから、匡が玉の井という色街へと誘われて、突然の驟雨に傘を差したその中に、雨宿りさせて、と、一人の私娼が入ってくる、という導入。

稲妻がまたぴかりと閃き、雷がごろごろと鳴ると、女はわざとらしく「あら」と叫び、一歩後れて歩こうとするわたくしの手を取り、「早くさ。あなた。」ともう馴れ馴れしい調子である。
「いいから先へお出で。ついて行くから。」
 路地へ這入ると、女は曲るたび毎に、迷わぬようにわたくしの方に振返りながら、やがてどぶにかかった小橋をわたり、軒並一帯に葭簀よしず日蔽ひおいをかけた家の前に立留った。
「あら、あなた。大変に濡れちまったわ。」と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌でわたくしの上着のしずくを払う。
「ここがお前のうちか。」
「拭いて上げるから、寄っていらっしゃい。」
「洋服だからいいよ。」
「拭いて上げるっていうのにさ。わたしだってお礼がしたいわよ。」
「どんなお礼だ。」
「だから、まアお這入んなさい。」
 雷の音は少し遠くなったが、雨は却てつぶてを打つように一層激しく降りそそいで来た。軒先に掛けた日蔽の下に居ても跳上はねあがる飛沫の烈しさに、わたくしはとやかく言ういとまもなく内へ這入った。

永井荷風 《濹東綺譚》

そこから、この娼婦であるおユキとの間の叙情あふれるやりとり、喪われた文化、的なるものを描くような小説だったが、これは永井荷風の代表作でもあるので、『荷風になりたい』という、半分エロ漫画偉人伝でも、全4巻のうちの1冊を丸々『濹東綺譚』エピソードに置いている。

映画を観てみる。映画は、『濹東綺譚』を軸として、永井荷風の後半生を描いた作品で、実際には、30分くらいは、原作とは異なる、永井荷風の女関係が描かれる。菊池寛っぽい顔した親父が出てくる。そうすると、やっぱり菊池寛だった。
美術はとても素晴らしく、セット感はあるのだが、然し、溝の多い入り組んだ色街や、偏奇へんき館など出てくると、ああ、ええなぁ、という感情が生まれる。
そして、わずか数シーンに原田大二郎が現れるが、お盆に、『真珠郎』のドラマ版を観て、それのメインキャストにも原田大二郎が出ていたのだが、その時に、千葉ジェッツに加入される元NBAプレイヤーの渡邊雄太選手と似ている、と思ったのだが、どうだろうか。

永井荷風は悪友井上啞々いのうえああと青年の頃からの花街通いに、女中に手を出し妊娠させる(これは啞々)など、とにかく性に対する好奇心が旺盛すぎるほどに旺盛で、その後の人生も芸者と結婚するが長続きせず、あろうことかその妻が寝ているベッドに、今遊んでいる芸者を入れて3Pをせがむという、とにかくイカれているようであり、まぁ、まさに耽美派、美の為ならば道徳の一切は必要なし、的な感じだが、然し、軍部には強い不信感を抱いていて、その辺りの感覚は若い頃から洋行しただけあるのだが、然し、どうにも下半身が魔神すぎたのだ。

で、この映画は、玉の井にあった、悪所とはいえ、消えていく場所、その中での人肌の触れないなどを詩情たっぷりに描いている原作をそのままに、とは行かず、戦争映画としての側面が時折顔を出す。まぁ、それが新藤兼人節、なのだろうか。

私は、荷風にはそこまで詳しくないので、おそらくこの映画にはその他の荷風原作小説ネタも随所に取り入れているのであろう。それらを全て拾いきれず十全には楽しめなかったのではあるが、戦争ネタをぶっ込むのと、荷風の遍歴をつらつらと描く、きわも描いているため、原作にあった詩的な匂いが散漫になっている。
中盤までは相当いい出来だと想うのだが、最後の最後で、え、そんな姿を出しちゃうの?という、おユキに関するある展開で、一瞬で玉の井伝説的な、そういう幻想性が消えて無くなって、原作の最後とは比べようもない酷く俗的なものになるが、反対に、それが新藤兼人が永井荷風という文人に抱く感情の露出と考えれば、最後に孤独に無惨に死んでいく荷風を丹念に描くのもわかる気がする。

漫画『荷風になりたい』においても、荷風の家が無くなり、谷崎にちょっと援助的なことをお願いすると、谷崎が冷徹なサラリーマンの如しに、あ、先生、すみません、今僕も忙しくて……的に切り上げる次第で、そのまま孤独コースで、惨めな感じで晩年を終えていた。

然し、津川雅彦は永井荷風には見えない。荷風は背が高く面長な感じだし、もう少し柔らかい感じが良かった。おユキ役の墨田ユキさんは良かったと思う。これ以上ないベストな配役だろう。

エロシーンは多いが、そこまで下品なものはなく、やはり、雨音だけが聞こえる四畳半の部屋での交情はそれだけで情緒がある。
思うに、玉の井という場所、これはある種のトポスであり、この作品を読んだ人間がその場所を探すようなー、その場所を歩くようなー、そのような幻想への追想が伴って、より美しさの増す作品であると思う。
この映画に関する美術に関しては、その追想を増幅させる、ある種の力が確かに備わっているように思われる。


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