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気分はミステリーハンター

古代の記憶というか、伝説というものが好きで、特に心惹かれて止まないのが、クレタ島のミノタウロスである。

ミノタウロスは牛頭の化け物で、迷宮ラビュリントスに潜み生贄の少年少女を喰らう。

ミノタウロスの出生に関してはインターネッツを駆使したらわかるので調べて頂きたいが、クレタ島にはラビュリントスは現存していない。ラビュリントスだったかもしれない跡があったとしても、それが本当にあったのかどうかは定かではないのである。
クレタ島に残る遺跡はクノッソス宮殿で、これは一部だけが現存している。
壁画が大変に美しく、ギリシャの青空に下に堂々と鎮座している。

ロマン溢れる壁画と真っ青な空

私がミノタウロスを初めて見たのは、図書館で借りてきた古代遺跡に関して描かれた歴史漫画である。
マミーというミイラと小学生の女の子、そしてマミーを所持している如何わしい遺跡泥棒のキャット馬場というおっさんのトリオが各地の遺跡に行ったりして、その地にまつわる歴史やミステリーを紹介するのだ。

このシリーズが私は大好きだった。何度も読み返した。そこで、即身仏という言葉も知った。
その中に、このミノタウロスの話があって、その漫画シリーズというのは、普段の絵柄のタッチはコミカルな感じで描かれているのだが、回想に入るとシリアスに変じる。ラビュリントスの場面もすごいシリアスなタッチで描かれており、
迷宮を進んでいくと現れるミノタウロスのその異形に、私は驚きと恐怖、そして哀しみを感じた。
ミノタウロスを討伐に来たテセウスは、アリアドネーの糸を手繰りながら、迷宮を出るわけだが、アリアドネーは映画の『インセプション』の中にも登場する。

ミノタウロスといえば、藤子・F・不二雄先生の不朽の名作『ミノタウロスの皿』があるが、確か読んだのは12歳の時で、藤子・F・不二雄先生が亡くなった際に発売された豪華追悼本に『みどりの守り神』などと一緒に掲載されていた。

世界が崩壊、人格も崩壊の『みどりの守り神』

どちらもSF要素の濃い作品で、『ミノタウロスの皿』は不時着した惑星では人間と牛の関係性が逆転している、所謂価値観の逆転的な話で、そこでは人間=ウスの中でも、一等に美貌が優れたものは清らかに育てられて、最終的に何よりも美味しく食べられることを最高のほまれとする。
子供の頃の私はこの話を読んで、大変に衝撃を受けて、なおかつなんたる耽美的な話だと感じ入った。恐怖も感じた。

クライマックスは全裸にされて大皿に乗せられて、神輿に担がれるかのように喝采を受けながら祭典の場に運び出されるヒロインミノアの姿が描かれるのだが、こういう、地獄の祝祭、享楽の図、というのは幼い頃に読んでおかねばならない、文部省推薦図書になるべきものである。
なんとも残酷であると同時に、限りなく美しいレイアウト。

思考回路はショート寸前である。


昔、エニックスから発売されていた『ガイア幻想紀』というゲームがあって、これはアクションRPGなのだが、物語は大きく遺跡にフューチャーしている。

世界の七不思議、的な遺跡を巡りながら冒険するのだが、その舞台としては、『マチュ・ピチュ』や『万里の長城』、『ナスカの地上絵』、『アンコール・ワット』、『ピラミッド』、『ムー大陸』とかがある(記憶違いなら申し訳ない)。
このゲームは幻想紀、というように、舞台は現実にあるが、然し、幻想の世界遺跡でもある。
現実ではない、現実にはモンスターなどはいないし、トラップもそんなにない。
『インディ・ジョーンズ』や『モンタナ・ジョーンズ』に出てくるような遺跡に仕掛けられた謎やトラップというものは、非常にロマンに溢れるものだが、そんなものは、現実にはあまりないのだという。
然し、遺跡にまつわる、遺跡に纏うそのようなロマンは、仮に実際には存在しなくとも、煌々と輝き、人々を魅了して止まない(無論、そのトラップ幻想というものすらその一助になってはいるが)。

私は、ムー大陸が好きである。けれども、そのような大陸はないのだと言う。ガッカリである。電波系の妄想だと。
では、アトランティス大陸はどうなのだろうか。最早海に沈んだかつての都があるのならば、これはとても美しいロマンスだ。これも存在しないのではないかと言われている。

そういえば、2001年の映画でディズニーに『アトランティス/失われた帝国』という映画があって、これは『ふしぎの海のナディア』のパクリと言われていて、まぁパクリだと思われる。

この頃ディズニーは2Dアニメの不振が始まっていて、『ラマになった王様』とか『トレジャー・プラネット』あたりを最後に2D長編アニメが作られなくなったが(『トレジャー・プラネット』は佳作)、2010年公開の『プリンセスと魔法のキス』で復活する。

『プリンセスと魔法のキス』は傑作だが、あまり顧みられていない。音楽もいい。観ていない人は観て欲しいし、寧ろ今作を地上波でやるべきである。
この翌年に3Dアニメのプリンセスものとして『塔の上のラプンツェル』は公開されていよいよディズニーは3DCGアニメーションに成功するのだ。
それまで、ディズニー製の3DアニメーションはPIXARに完全に負けていて、
これが2013年発表の『アナと雪の女王』で完全に逆転する(質としてPIXARが常に上回っているが)。

話が脱線してしまったが、ムー大陸とイースター島を混同してしまうのが、私の悪い癖である。
そのせいで、ムー大陸と言うと、この映像を思い出す。あまりにもカッコいい音楽が頭に残り、ついついリピートしてしまう。

今の世界の七不思議と、昔の世界の七不思議は異なっていて、このようなものを調べたりするのも
私は好きで、バビロンの空中庭園などは記述を見ているだけでワクワクする。
今は、世界中の謎が暴かれてしまって、ミクロの世界や人体、海などはまだまだ謎が深いが、次のワンダーは必然、宇宙になるのだろう。
然し、まだ誰にも触れられていない遺跡、秘境、或いはどこかにいるはずのUMAたち。
その隠されたロマンスの美しさは、いつまでも消えて欲しくはない香りである。

どのように世界が発掘されてもなお詳らかにされてはならない、夢である。
人々が離れ、200年もの長きに渡りも森の中に佇み、忘れられていた、そして再度見つけられたアンコール・ワット。
その発見の瞬間の高揚は、どれほどまでの眩さを孕んでいたのだろうか。

ホグワーツ城みたいだな


ミノタウロスの迷宮ラビュリントスもなかったという。いや、まだ見つかっていないだけかもしれないが。
然し、その夢は風化していく遺跡の中にあって、香り高く漂っている。
ミノタウロスは確かにいたのだ。そして、それに会うために、人々は古代の記憶を紐解き、遺跡に恋をして、物語を紡いでいく。

そう言えば、車谷長吉の『鹽壺しおつぼさじ』において、少年車谷が、神戸元町の大丸の前の日東館の前で、美しい彩色を施されたミノタウロスの物語の本を叔父に買ってもらう、美しいシーンがある。
私は、この小説において、何故かこのシーンだけが異様に思い出される。
昔、私も誰かに、そのように本を贈ってもらった、その記憶がそうさせるのかもしれない。


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