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アルティマニアというグリモア

アルティマニア、とは1999年3月31日に初めて産声を上げた、スクウェア、スクウェア・エニックスのゲームソフトを基本対象とした攻略本シリーズである。
言わずもがな、究極魔法のアルテマ(アルティメット)とマニアを足した造語である。これを読めば、誰もがそのゲームの究極のマニアになれるのである。

アルティマニアは既に20年以上の歴史があり、50冊くらいは出ていそうなのであるが、やはり私は初期、つまりはスクウェアミレニアム的、千年王国のアルティマニアこそが、真にグリモア、つまるところ魔導の書だと思える。

つまり、シリーズ1作目の『FINAL FANTASYⅧ』、2作目の『サガ・フロンティア2』、3作目の『聖剣伝説レジェンドオブマナ』、4作目の『クロノ・クロス』、5作目の『ベイグラントストーリー』、この5冊である。
この5冊こそが、魔導の書、グリモワールなのである(グリモワールとは、フランス中世の魔術書であり、イヴァリースにおける魔導書でもある)。


まずはこの5冊、『FFⅧ』は赤、『サガフロ2』は紫、『聖剣伝説』は緑、『クロノ・クロス』は青、そして『ベイグラントストーリー』は黄をベースとした色合いで、それぞれに書物として風格がある。
そのどれもが、ゲーム単体ではわからない、その世界へと没入させる物語が込められているのである。

『FFⅧ』のアルティマニアは衝撃だった。私は、当時『FFⅦ』の解体真書でも、非常に読み応えのある、素晴らしい本だと、毎日毎日何度も読み返していた。そして、3月31日に、私は馴染みの漫画を扱う町の書店へとそれを買いに行った。価格は1,500円。中学生には大金である。その本屋は、入ってすぐにレジがあり、その向かいの書棚に、ゲームやアニメ関連の雑誌類が並べられていた。攻略本は30冊程度あっただろうか。果たして、店に入った瞬間に、『FFⅧ』アルティマニアは私の視線を奪った。
「え……。太……。」
隣には『FFⅦ』の解体真書がささっていたが、その横のアルティマニアは誇張ではなく、その倍近い異様を放っていた。
今でこそ、アルティマニアはもっと太く、強く、逞しくその姿を進化させているが、この日見た、ある種のブレイクスルー、価値観のデストロイに、私は震えながら、レジのじーさんにそれを差し出したのを覚えている。じーさんは無愛想だった。

アルティマニアは基本的には攻略本である。然し、攻略本であって、攻略本ではない。なぜならば、スクウェアのゲームは中学生でも時間さえかければ簡単に攻略できるレヴェルだからである。

アルティマニアは、その作品を愛した人間が、その麻疹とも思える熱病の時間に寄り添ってくれる聖書である。
これらの本には、夢中になった世界をより豊かにしてくれる魔法が大量に込められている。
それは、オリジナルのノヴェルスだったり、裏設定だったり、その作品に込められた様々な思いである。

『FFⅧ』のアルティマニアには、最後のページに、ガーデンでの授業風景の短いノヴェルスがあるが、私はこれがとても好きで、今思うと幼いけれども、すごく感動したのである。
それから、『サガ・フロンティア2』のノヴェルもそうだ。幼い、ありがちな物語の帰結、けれども、子供である私には、天国における悲恋の成就に対して、心から拍手を送れたのである。

装丁も美しいものが多い。私は、一番はなんといっても『ベイグラントストーリー』がこれらの中で一番好きだ。装丁は渋く格好良くて、恥ずかしい話、本当に枕元に置いて寝ていたのである。

ゲーム、音楽、映画、アニメーション、バレエ、漫画、歌舞伎、能楽、それから小説。他にも色々。
全て、それ単体で味わい、感じうることはあろうが、然し、その作品に関しての注釈を読み込むことは、間違いなく豊かにその作品を味わうことにつながる。

私にはこれらは魔導の書。

『FF10』や『FF12』のΩは良かったが、分冊になってからは大変素っ気ないようにも思える。
特に、『FFⅨ』は問題だ。『FFⅨ』自体は大傑作であるが、当時の情報規制、攻略情報の規制、ネットへの攻略移管(即ち、PlayOnline)の結果、ようやく時を経て発売されたそれは、愛のない資料に過ぎなかった。
『FFⅨ』は私は発表から発売までの5ヶ月間、情報を調べまくっていたが、確か150枚くらいしか画面写真は公開されず、しかも戦闘シーンは発売のほぼ直前まで公開されないという、今ではありえない状況だった。

初期の5冊をもって、私のアルティマニアは終わってしまった。それは、私が15歳になって、好きな人が出来たからかもしれない。



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