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ハリー・ポッターと監督たち


ハリーポッターシリーズは2001年に映画化されて、延べ8本、外伝的なファンタスティック・ビーストシリーズが2本(この後、3本予定されている)、
計11本の映画が作られたウルトラ人気シリーズだが、

原作は7作ある。7作とはいえ、4巻からは分冊で、実質2巻分くらいに相当していて、めちゃくちゃ分厚いのだが、この作品は映画版の監督の変遷が面白い。

1作目の『賢者の石』、2作目の『秘密の部屋』は監督したのは、『ホーム・アローン』の監督のクリス・コロンバスで、彼の功績はこの作品のカラーを決定づけて、全世界の人間のハリー・ポッターへのビジュアルの共通認識を作ったことだと思われる。
コメディ、子供ものが得意なので白羽の矢が立ったのだと思うが、この作品は最終的には3億1800万ドル(350億円くらい)稼ぎあげて、同年に公開された『ロード・オブ・ザ・リング』の3億1300万ドル(330億円くらい)とほぼ同額であるが(ちなみ、ロード・オブ・ザ・リングの制作費は3本で270億円である。追加撮影費は入っていない)、
『ロード・オブ・ザ・リング』は大金星を挙げた。

3作目の『アズカバンの囚人』はアルフォンソ・キュアロンで、当時は、『天国の口、終わりの楽園』が高く評価されていて、他には『大いなる遺産』などを撮っている。前出の作品で描いた若者の青春劇の瑞々しい映像などで、ティーンエイジャーへの移り変わりの演出を期待されて、それに見事に応えていたと思う。当時、映画雑誌『Premiere』日本版において、「ピアノの鍵盤の上を歩く妖精を出したい」とアイディアを出したら、JKローリングに「そんな妖精はハリー・ポッターの世界にはいない」と一蹴されたとぼやいていた。
然し、彼は一番出世した。『ゼロ・グラビティ』や『ローマ』などもあるが、2006年公開の『トゥモロー・ワールド』はSF映画の傑作である。
この作品は子供の生まれなくなった世界で、なぜか生まれた奇蹟の子を命がけで救援組織まで送る、男の人間性の再生の物語である。

4作目の『炎のゴブレット』は、イギリス人のマイク・ニューウェル監督だが、この作品は本当に影が薄い。
ザ・無難である。私は映画館で観たはずだし、原作も発売日に買って読んでいるが、ほぼ覚えていない。例えるならば、ドラマの映画版くらいの味気なさ。

5作目の『不死鳥の騎士団』、6作目の『謎のプリンス』、7作目と8作目の『死の秘宝』2部作、そしてファンタスティック・ビースト2作はイギリス人のデヴィッド・イェーツであるが、長尺のハリポタ作品を上手くまとめているとは言い難い。完全なダイジェストになっていて、美術スタッフと演者にのみ支えられているだけで、映画としての完成度は著しく低い。
無論、このように長い作品を2時間半でまとめるのが土台無理で、大胆な脚色をすれば或いは、であるが、世界中にファンを持つ人気シリーズにそのような冒険をする意味はないだろう。

『賢者の石』公開当時、スティーブン・スピルバーグは、3作目の『アズカバンの囚人』ならば監督したいと言っていたが、まぁ、最高傑作は個人的にも『アズカバンの囚人』だと思う。
私は、漫画とかでもそうなのだが、キャラクターが出揃ってきて、物語の世界観の説明も終わり、ドライヴがかかる、6巻〜15巻くらいが一番面白い説という持論を持っている。
中には例外もあるが、作者自身が油が乗って、一番熱量が高まる時期なのではないか。例えば、『NARUTO』なども中忍試験編は掛け値なしに面白い。
これが木ノ葉崩し辺りから少し落ちていく。
『アズカバンの囚人』はハリーポッターを漫画に例えると、大体7巻〜10巻くらいの感じで、以降、段々とつまらなくなっていく。

なぜつまならくなったのか、色々理由はあると思うが、やはり、魔法界乃至は魔法というものが、子供だけの特権であるからに思える。
当時11歳くらいのハリーには、魔法に溢れた世界が輝くのも当然で、彼らの眼差しは、観客にもその幼い頃を重ね合わせてくれる。
それが、何時しか大人になって、色恋や殺しなどの要素が出てくると、それは魔法使いがいるだけのつまらない現実だし、その魔法も不便だったり、使う意味もないようで、それこそマグル以下である。全てに総合性がないことが目につく。手品の種が割れるわけだ。

私は完結後の舞台版は観ていないので、なんとも言えないが、
『死の秘宝』の終わりに出てきた、ハリーの子供のアルバスのこれからの物語こそが、本当に輝く魔法の冒険に成り得るのだと思う。

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