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人生損してるって、君に言われたくないね!

人に何かをオススメするとき、「○○しない(観ないと/読まないと)と絶対に損しますよ」という言葉を使うことがある。

そして、それは善意のつもりで言うのだが、ある時、「君に損だとか決められたくないね!」とキレ気味に返されたことがあり、うーん、たしかにそうかもしれないなぁと思った次第。

私の驕りがあったのかもしれない。要は、自覚のないマウントである。私は、オリンピック選考会において内田先輩に対して調子こいた感じで接した藤巻瞬(『ガンバ!Fly High』である25巻だったかな。作中で一番いい話のあたりだ)のようにオロオロと震える子羊のように倒れ込んでしまった(わかる人にだけわかればいい)。

然し、ホラー映画を観ないのは人生を損していると、それでも声を高らかに言いたいわけだ。

ホラー映画にも種類がある。それは、日本的な怨念の世界もあるし、
幽霊や呪いなどの心霊現象もの、殺戮者が襲いかかるスプラッターもの、
ブードゥーの呪文とかウィルスとかで起きちゃうゾンビやパンデミックもの、不条理なシステムや人間関係などを描いたディストピアものなどなど、ホラー映画は世界中に100万本は軽くあるだろう(そんなないかな)。
ホラーはよく、時代や世相を映す鏡であると語られるが、プラス、芸術的な作品はホラーが多い。ホラーはコメディと紙一重であるが、同時にアートとは同一のものである。

特に、ゴアシーンやモンスターが登場する場合、それは如何に悍ましくかつ美しく殺し分解していくかの品評会であって、畢竟、美しい藝術に限りなく近づいていくわけだ。
ビジュアライズされたそれらは、鮮血の色、つまりは鉄を含んだ真っ赤な血潮の躍動そのものを取り込んで、目も覚めるような生(性)と死の色を画面にばら撒く。
作り物の血は美しい。実際の血はどこか黒々としており、乾燥するとそれはより真っ黒に近づいていく。
血、そのものも死ぬわけで、映画の画面を彩る乾いた血の多くは赤いままだ。まさに『鮮血の美学』である。それは、幻想の血でもある。鮮やかなままに作られた血は、嘘言の血である。だから、美しいのである。

ホラー映画と言えば、一家言ある方も多いだろう。私などはとても及びではないほどにホラー映画を愛している御仁は多い。
私は特に監督至上主義ではないけれども、近年ではやはりアリ・アスター監督の作品は興味がある。
2017年に公開された『へレディタリー/継承』は劇場で観た際に、ワンダーに溢れた素晴らしい映画だと感じた。

魔王ですよ。悪魔の王ですよ。

中盤に、主人公の娘の事故後のシーン、蟻と共に現れる◯◯◯◯のシーンは、衝撃を覚えた(これは、検索したらネットで観られるが、ドキドキするのであまり検索しないほうが良い)。何よりも、そこに至るまでの過程から顛末までが完璧な演出で、ああ、この監督はすごいなぁ、他の監督とはモノが違うなと一瞬でわかったが、それがデビュー作である。その後、『ミッドサマー』で更に人気作家になったが、最近はホアキン・フェニックスと新作を作っているようで、楽しみである。然し、アリ・アスターという名前がいい。ドゥニ・ヴィルヌーヴなみに良い。どちらも魔法使いのようだ。やはり、名前は大事である。そこからである。

私は怖いものが嫌いである。然し、人一倍興味がある。
おそらく、ホラー映画が好きな人は、大抵はそういう感じで、実は怖がりなのである。本当にホラーな人生を送っている人は、あまり怖がりではない、逆に、人に恐れられているものだ。

まぁ、前述したように、あまり「◯◯しないとか、人生損してますよ。」とか軽い気持ちで言わない方がいいだろう。その人が、その言葉にマジギレして、ホラーな展開になっちゃうのかもしれないのだから……。

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