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日本語の伝統の只中


歌人の岡井隆の言葉に、

たとえば、君はなぜ短歌を詠むのか。これは、生涯の問いである。
これは、絶対に解けない問いであろうが、君は一人の現代人として、東洋のグローバルな視野を獲得しつつある二十世紀後葉の一東洋人として、日本語の伝統の只中に生きている。

というものがある。

普段から話している言葉には、伝統は潜んでいる。
それは、まずは人称から始まっている。

、というのは古くはやつがれと読み、それを明治時代から書生が「ぼく」と読んだことから今に至る。元々は謙った言葉である。

、は天子様の意もあれば、同輩などに親しみを込めた敬称でもある。

あなた、は君よりもより敬意が深く、彼方(あなた)という、遠くにあるものを指す指示語の意味もある。

おまえは、御前(ごぜん)であり、元々は神職などに対して使われる尊敬語である。これがお前に変化していった。

また、僕達(ぼくたち)、という言葉はよく使われる言葉だが、本来的には『達』は敬意を込めた複数形の為、あなた達、君たちなら理解はできるが、僕たち、は間違っている。
だから、僕らの時代、というのは正しいのだ。

『君の名は』という映画があるが、タイトルは昭和のラジオドラマから来ている。このタイトルも、イントネーションを変えれば、平安時代にも戻りそうだ。

また、漢字なども、一つ一つの成り立ち、言葉の作りも、一つ一つ分解していくと、よく出来ていると唸らされる。
数億数十億と生きてきた日本人の伝統が産み出した海である。

何百年経とうとも、話している言葉は変化しようとも、結局はどこまでも文化というのは個々や国という共同体に根付いていて、識らず識らず、その歴史を自らが具現化し、拡張している。

私も識らない言葉も山のようにあり、誤用も多くある。
誤用と言えば、最近は伏線の意味が完全に変わってしまった。
本来的には、重要な事を、あらかじめ些細な形でほのめかしておくこと、が意味に相当する。
最近は、例えば『ワンピース』で言うと、新しい大将の緑牛の話とか、ペガパンクがまだ出ていない、とか、そういうのを伏線と言うケースが多いが、
同漫画で見事な伏線になるのは、例えばアラバスタ編における、本来はマネマネの実を見破るための仲間の印を、ビビとの別れの際の仲間の印として使用するなど、提示はしているが、大多数は気づかない物語上の仕掛けの方が本来に近いだろう。
『HUNTERXHUNTER』だと、グリードアイランドにおける『ニッグ』というキャラクターのアナグラムとかもそうだろう。作者が全て初めから構築している、見事な仕掛けである。

まぁ、そう言いながらも、私も言葉の使用方法が間違えていることも多々あって、その度に恥をかくので、きちんと勉強したいところだ。

校閲の人とかの方が、作家よりも詳しいと思われる。
作家は、想像のために事実を捻じ曲げるし、言葉をわざと誤用する。
けれども、普通に間違えていることの方が多いだろう。


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