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私の本棚⑤

世の中には尊い、という言葉がある。
尊い、と、最近は簡単に言う風潮があるのだ。私は、簡単に尊い、という言葉を使うのは嫌なのだが、然し、私は、あえて言いたい。尊いと。この本は尊いのだと。

ついに入手したわが1本、わが1冊である。

1928年春陽堂から刊行された『天体嗜好症』の初版カバー付きである。

長年追い求めていた探究の書をついに。最終回である。私はこの本にずっと恋していたのだ。


ウルトラに稀覯本であり、私がこの上なく愛するイナガキタルホの小説集だ。

私は月光発狂者のため、『天体嗜好症』の初版をこれを含めて計8冊所有しているが、そもそも『天体嗜好症』の初版自体が非常に貴重な本である。カバーなしでも珍重される魔術書である。
そのカバー付き、というものを、私は6年間追い求めてきて、一度、古書の特選市で入札のチャンスがあったが、競り負けてしまった……。

初版カバー付きの書影は今まで5冊しか見たことがなく、うち2冊は恐らくは同一のものっぽいため、4冊しかその存在を確認出来ていなかった。で、これはそのうちの1冊である。
私の1番大切な1冊は、隣に足穂の自筆詩書き入れ署名本『少年愛の美学』と並ばせた。

でもカバー、というのは大切だ。カバーを外すと、なかなかのきれいな状態の『天体嗜好症』があらわれる。他の7冊よりも綺麗だ。この本は痛みやすいので、極美本はなかなか少ないのだ……。

私の持つ8冊の中で一番コンディションがいい。

余りの嬉しさに涙がちょちょぎれる…。

先日入試した『的場書房版ヰタ・マキニカリス』もかなりの喜びだったが、これはこの上なく尊い本だ。

最後に、わが1本の定義を、私が足穂の他に尊敬する方の一節を引用しておきたい。

「わが1本」とは、自らその真価を発見し、久しく渇望し、苦労して存在をつきとめ、所有の負担を感ぜず、他者の感心が薄く、『玩物喪志』の畏れがないことが条件である。 M・S




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