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新しい人よ、眼ざめよ

大江健三郎の小説である。
大江健三郎と言えば、芥川賞候補作の『死者の奢り』や『飼育』、『万延元年のフットボール』、『個人的な体験』が有名である。

大江健三郎の小説は自身の体験、まさに個人的な体験が色濃く反映された作品が多く、私はその中でも『新しい人よ眼ざめよ』なんか好きで、何回か読んでいる。

まず、『個人的な体験』はまさに大江の個人的な体験を描いた作品で、作家自身をカリカチュアして描かれたバードという登場人物が、頭に腫瘍の出来た障害のある男の子を授かって、然し彼はまだモラトリアムの最中にいる、というような話である。

この、障害を負った男の子というのは、作家の生涯のテーマなわけだが、『新しい人よ眼ざめよ』において、彼はイーヨーという愛称で登場するが、この作品は何か主人公(大江)が考え事をしていると、そこにウィリアム・ブレイクの絵や詩が天啓のように降り注いで、まぁ、『おもひでぽろぽろ』における小学5年生の私、が今作ではウィリアム・ブレイクであり、あまりにも唐突に全てがウィリアム・ブレイクに結び付けられるような展開がある。全てをウィリアム・ブレイクが解決するのであり、全てにウィリアム・ブレイクが関わっている……(そんなことある?)

ウィリアム・ブレイクといえば、『ブレードランナー』の脱走レプリカントのロイ・バッティは、彼の詩を諳んじて現れた。

Fiery the angels fell deep thunder rolled around their shores, burning with the fires of Orc.
-ロイ・バッティ

Fiery the angels rose, and as they rose deep thunder roll'd. Around their shores indignant burning with the fires of Orc
-ウィリアム・ブレイク

燃える様に天使たちは堕ちていき、岸辺には雷鳴が鳴り響き、オークの炎が燃え広がった。

的な内容で、ロイ・バッティが如何に頭脳明晰で博識なのかが物語られる。
この映画も、父と子の物語であり、続編の『ブレードランナー2049』はその父子の物語の色を更に濃くしている。

天才糞親父とそれを凌駕する天才息子

『新しい人よ眼ざめよ』に関しては、私はバカなのでなんとなしに読んでいたが、大江健三郎の小説は難しく、なかなか頭に入ってこない中、入ってきやすい方だったので、なんとか読めた。

今作は章立てになっていて、私が一番良いなと思ったのは、果たしてイーヨーは夢を見るのか、ということで、彼が夢という概念を理解しているのかどうか、という話である。
物語の後半で、彼等二人は別荘である山小屋で嵐をやり過ごすのであるが、そこで主人公は悪夢にうなされる。そんな彼にイーヨーは語りかける。
「大丈夫です!それはただの夢ですから!」
このシーンが書きたかったのだろうなと思う。夢、というものの概念を理解しているかどうか、この1シーンだけで如実に描かれている。
こういう1シーンを読むと、ああ、いいなぁと思う。

小説は1シーン、心に残るシーンがあれば良い。巨大な建造物めいた(それこそ、『万延元年のフットボール』のような)大作でも、心に少しの驚きを与えなければ嘘である。
ちなみに、『万延元年のフットボール』は愛媛県の集落における血族の因縁の話のような物語だが、ここでは兄弟の愛憎に加えて、弟が持つ、ある許されない秘密、そして、それを抱え続ける彼の魂の慟哭が描かれるが、ここでの弟に対しての描写が、確か、怪我を負い、然しじっと我慢し何も云わずにただ耐えている動物、的な描かれ方をしていて、その比喩も上手いなぁと思ったものだ。


とにかく、さすが現代日本最後の文豪(村上春樹も?)である。文章能力が秀ですぎていて、そのため私のようなバカには伝わらないことが多々ある。

一度、大江健三郎をきちんと読んでおきたいと思うのだが、中々時間がかかること、私がバカであることがネックになり、そうもいかない。
そんな人には、こういう論考がオススメである。

大江健三郎は日本小説界の巨星であるが、その巨星に関していえば、彼は少し前にマラルメを本気で読んでみよう的なことを言っていた。マラルメは詩の世界の巨星である。巨星が巨星を巨星する。
何を言っているかわからないと思うが、とにかく偉大だと言いたいのである。


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