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タルホと月㉑ 聖なるものと俗なるもの

稲垣足穂という稀代の怪人、魔神に関して。

先日、足穂の墓がある京都の法然院を訪ったところ、ワンカップ大関が供えられていて、まぁ、足穂はアル中だったので、中々粋な計らいをする御仁がいたものだ。
私は百合の花を手向けて手を合わせた。

彼の視てきた様々なアルコール幻覚、その禍々しい奇怪なものを見たあと、決まって足穂は酒をやめて、暫くは聖者のように寡黙に暮らす。
針で突けば酒が吹き出しそうな程に飲み、むくみ、あまつさえ下痢までするとは志代夫人の談で、これは最悪極まりないが、その破壊の後の静謐である。
幻覚は最終的には白い服を来た自分の姿へと転じて、それは何かを伝えているようであり、その位置にちょうど星が明滅するのを視て、彼は何かをの吉兆に気付く。そう、それはベツレヘムの星である。イエズス・キリストの誕生を東方の三賢人に知らせたものであり、つまりは足穂はキリストであり彌勒なわけで、いずれにせよ、神に近しい。

タルホは戸塚グラウンド坂に住んでいた頃、カソリックに傾倒していた。その後、仏教方面に傾いていき、最終的には再びカソリックに戻る。
『戸塚抄』はカソリックタルホとユリ子さんとの思い出を書いたもので、
聖少女のユリ子さんはタルホにはジャンヌ・ダルクめいてみえた。

まぁ、傍から聞いていたら、完全に勘違い野郎なのだが、ただ、足穂は天才である。これは間違いなく。

足穂が日本文学大賞を受賞したとき、先まで丁寧に削ったステッドラー鉛筆、それも白紙で先端が折れないように包んだものや、白い箱に何本もの菫の花を入れて贈った男性方がいたそうで、それを足穂の義娘が見たときに、「ステキ!あんな年になってもこんな贈り物をくださる殿方に恵まれるなんて」(※当時70くらい)、と言っていたようだが、結句、足穂の読者というのはロマンチストである。
まぁ、総本山がロマンチストの極点にいるので、それはそうなるのだろう。花束を贈るというのは愛情を贈ること、花よりも美しいものはそうはない。

法然院は京都の左京区にある寺で、谷崎潤一郎の墓がある。

足穂の墓と異なり、VIP席にある。谷崎の墓はちょうど枝垂れ桜が植えられた高台にあって、春になるとそれが咲き、なんとも言えぬ妖しい色香が漂う。骨になっても色があるのは変な話だが、そのような異常世界が似合うものだ。

法然院はとても小さい場所だが、ちょうど、哲学の道を逸れて山の方へ山の方へと行くと見えてくる。鬱蒼と茂った木々が墓所を守っている。

谷崎潤一郎と足穂は少しばかり接点があり、それは主に佐藤春夫の弟子だったからで、足穂が23歳の若造だったころ、谷崎は37歳くらいだろうか。
当時から洒落ていた谷崎が女に袖にされるところも見たと随筆に書いている足穂だが、谷崎は成功し、足穂は表舞台からは消えた。
足穂は谷崎潤一郎の『ハッサン・カンの妖術』に影響を受けて、それのほぼコピーを書いた。パクリではなく、複製である。下敷きにしているが、僅かな差異がある。
その『ハッサン・カンの妖術-谷崎潤一郎のコピー‐』を書いて、それを出版社へと提出したら差止めを食らった、という顛末が最後に書かれる作品である。
タルホのコピー癖。レプリカント癖。

彼は、松岡正剛の言うところのほぼ完コピで出版不可能の作品、『ハイゼンベルク狂想曲』などを書いているが、まぁ、現代ならば完全にパクリだが、然し、パクリではなく、その差分にこそ生まれる妙にこそ彼は着目している。私はこの考え方が好きだ。

私は谷崎潤一郎が好きだし、小説の構成力は谷崎が上だと思うが、然し、それでも足穂の筆力とは比肩にならない。稲垣足穂という天才が、なぜ好事家以外には愛されずにここまで黙殺されるのか理解に苦しむ。一部の狂熱的なファンには変わらず愛されているが、一般への浸透が著しく低い。

谷崎はいくつか足穂の作品を読んでお世辞かどうかは識らないが、「君のおつりきな(洒落た)ところを買う。」と言っていて、足穂は何回もそれを引用しているが、谷崎の書く作品に対しては、「書割の御殿」と切って捨てるが、まぁ正鵠は射ている(川端康成の作品は千代紙細工)。
中上健次も同様に、谷崎作品を物語の豚と貶していたが(然し、凄まじいリスペクトを持って)、確かに谷崎作品は書割であり、『春琴抄』における春琴と佐助の心理も、あれで十分書けているとしながらも、
読者からは書けていないと指摘されていた。

谷崎潤一郎は京都の下鴨神社糺の森の裏手の巨大な潺湲亭で船場のお嬢様である奥方他、多くの女性たちに囲まれて暮らしみやびな『平家物語』などを訳したり色々して晩年には熱海、いずれも豪邸に住んで美食を愛でるブルジョワジーの密かな愉しみである。
反対に稲垣足穂は母親が料理をしない人だったので、いつもおかずがなく、おかずのない者の文学を書いていた(然し、実際にはおかずが欲しい!とキレていたらしいので、まぁ分裂している)食い物に凝る、旅行、本を集めるなどは凡人のやること、物欲がなく、本は読んだらすぐに人にあげたりして、窮乏期には、障子の紙をあぶって醤油をつけたものを食べたりして飢えを凌いだり、水さえあれば生きていける的な、会う人にはたかり、白石かずこにはミイラのお猿さんと形容されるほどに貧相で汚い姿だった。
そういえば、足穂は谷崎に対して、『平家物語』なんぞを訳している暇があるのならば、『更級日記』に取り組むべきだったと苦言を呈していた。


いずれにせよ、聖と俗、その両者であるなぁと二人を見ていて思う。いや、それは同じ新感覚派でもあるYASUNARIにも言えることだし、彼もどちらかというと俗に属している(ダジャレじゃないぞ)し、権威の側であるし、三島由紀夫もそうである。三島由紀夫なんて、タルホを敬愛して止まないのに勝手に絶縁宣言、生涯会いに行かなかった。車谷長吉もそうである。彼は世捨を標榜するが、やはりどこまで本人の自覚する通りの贋世捨人であり(それが彼のニヒリズムと作風に繋がるのこそが真の皮肉だが)、本は持っていないとうそぶき事実は山のような本を抱えている。
タルホはまさに伽藍堂であり、いくつかのものを持っていたようだが、他と比べると真の無一物である。

何かを捨てなければ何かを得ることは出来ない。つまりは天体のある星空に飛ぶためには、本や世間や豪華な着物や家や権威は翼にまとわりついて、邪魔でしか無いのだ。

足穂は銀幕のスターであるラリー・シモンを愛していた。

タルホの初期作品群、『一千一秒物語』に通じるこの世界、彼に多大な影響を与えたこれらの作品、ラリー・シモンというタルホのスターが亡くなったとき、彼と共に映画を作る夢が叶わったことに対する哀しみを追悼文でしたためた。
彼を絶賛する随筆では、彼の演技は喜びを通り越して哀しみにさえ近いと……。この感覚はわかるものだ。確かに、美しいもの、懐かしいものは哀しみを覚えるものだ。
谷崎は、タルホの書いたものを読んで、「これをラリー・シモンにやらせたら面白いね。」的なことを彼に言い、やはりそこは同一の世界は誰しもが想起するものだ。

映画製作に興じる若き日の谷崎潤一郎。逆にタルホは若い頃は飛行機づくりに熱中。


谷崎は映画が大好きで、一時期映画の会社にまで手を出していたが、銀幕、キネマの月こそが、やはり藝術家の琴線に触れるのだろうが、谷崎は映画から離れて、然し足穂は宇野浩二の言うように、穴の空いたフィルムのような映画の本質を文章で表現してみせた。

稲垣足穂の恋人の一人、ラリーシモン。もう一人は猪原太郎の指摘するように、武石 浩玻。

そして、聖なるものは俗なるものとは異なり、ペテン師である。
そのペテンは、どこにでもあるものを宝石に見せる魔術であり、この魔術に秀でたものが、聖なる人として、熱狂的な信仰心を産み、その魔術藝術は本当の星の輝きを纏っていく。

美しい贈り物を贈られるタルホ、聖者を解するのは女性のみとは、膝を打つ言葉ではあるが、文章は一つの贈り物にもなり得る。
足穂は志代夫人との文通で、彼女の名前を紫夜とした。
紫の夜。まさに、六月の夜の都会の空。
御名前の呼び方変えるそれだけで魔法かけたる魔術の人。







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