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伽と遊撃 と 打ち切り

有間しのぶの『伽と遊撃』の第2巻を遅ればせながら読んだ。
なんといっても、この作品は今巻で終了、打ち切りである。

『伽と遊撃』はディストピアを描いた作品で、この世界では創作物を作ることは禁止されている。どうやら、我々よりも先の世界が舞台であり、我々の大多数は既に死滅している。言語は統一化され、単純化されたことにより、哲学は死に、文学は絶滅した。
考古学でも、凡ての言葉、文化、創作が禁止されているため、人々には既に旧世界のものは、何の意味があったものなのか解読も出来ず(それは文字通り規制されてもいるし、その術もないのである)、それに対して、絶望するほどの罪悪感を覚えると、そう述べるシーンがある。

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今作は帯に既に最終巻、と書かれているため、どのように畳むのか気になっていたが、読み進めて驚いた。作品は終わるどころか、新たな謎や展開を提示し、次巻へ続く的に幕を閉じる(無論、次巻はない)。
これもまた、未完の大作であるが、この世界観、造形、そして哲学的な思想などは、正直なところ凡百な漫画体験とは一線を画していて、つくづく惜しいと思われる。

打ち切りとは何なのか。漫画も商売であり、慰安であるから、売上が立たないと終わるのは当たり前である。反対に、儲かる作品は異常な延命措置が図られる。特に、2000年代のジャンプ漫画はひどかった。平気で50〜80巻くらいまで続ける漫画は多かった。
例えば、今ならば『はじめの一歩』もひどい延命漫画で、私はなんだかんだで好きではあるが、正直なところ、64巻の唐沢戦のあと、素直に宮田と戦うべきだった。いらない試合が多すぎるのである。武戦も小島戦もいらないし、ああいういらない試合を削って、重要な話を描くべきだと思う。
30冊くらいは削っても問題ないし、普通にしてれば既に終わっているはずだろう。
『ベルセルク』もそうで、これは25巻くらいから35巻くらいの展開は、ガニシュカ大帝の話を除くと、正直いらない話が多すぎたと思われる。
『ベルセルク』は漫画史に残る最大級の未完の傑作になってしまった。

最近はそれを正常に戻しつつあるようで良かったと思われる。大抵の漫画は20巻〜30巻くらいで熱量が落ちる。落ちないのは珍しいほうで、そんなに面白いストーリーテリングなどは非常に難しいのである。

私は、結構好きな漫画が打ち切られるので、その度に哀しい思いをするが、非常に冒険的な作品、作風のものは、途絶のことも考えて、ある程度ペース配分をするべきかもしれない。そうしないと、読者は失望を隠せない。

『伽と遊撃』が10万部とか20万部も売れる世界はあり得ないと思うが、然し、この作品は傑作である。非常に濃密な漫画で、ぜひとも続きが読みたいが、然し、続きを描くのもある種困難なのかもしれない。

然し、途絶したからこそ、光る漫画というのもある。広大無辺の宇宙のように、巨大な闇が開いている、そのような作品は、読者が語り合う余地が無限にあり、『伽と遊撃』も、そのような作品である。

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