THE DESIRE AND PURSUIT OF THE WHOLE 邦訳版⑦ 本編⑤ 第5章 フレデリック・ロルフ著 雪雪 訳
『アダムとイヴのヴェニス』
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※本文中の写真下の注釈は私が記載しております。
第5章
ここで、ニコラス・クラッブの立場を考慮して、彼について書いておくべきだろう。
彼はすでに2つの職から追われていて、3つ目のキャリアを、まぁ順調に歩んでいた。もちろん彼のような顔、態度、センス、才能を持つ人物は、司祭になるべきだったのだ。
彼はなぜ司祭になれなかったのか、それは別の作品に書かれている。その失敗は彼のせいではなかった。彼は司祭になるためローマのスコットランド大学で学んでいた時、マリオ・アッテンドーリ=チェーザレのもとで働いた。そして、アッテンドーリ=チェーザレ家の皇族に感謝された。アッテンドーリ=チェーザレ家は、王党派の政治家であり、クイリナーレ宮殿の侍従長や女官でもあった。
そして、黒人の聖職者たちは、このアッテンドーリ=チェーザレの友人の天職が神職ではないことをすぐに見抜くと、君主主義者の白人貴族たちの嫌味な習慣に倣って、彼を大学から追放した。天職を持たないということは不幸である。このようなことは犯罪とは言えないのだ。天職を持たない哀れな人以外ならば、苛立たしささえ感じないことだっただろう。このような状況に対しては、彼の名前を帳簿から抹消するという慰めの言葉は、ごくごく適したものだと思えた。しかし、それは優しい聖職者のやり方には反している。
ニコラス・クラッブは、あらゆる突発的な罵倒と侮辱をもって大学から追放された。1890年代の英国領事が証言しているように、彼は追放されてから、夜な夜な貧窮と飢餓のどん底に突き落とされた。
それから彼は、自分が神職に相応しいことを少しでも証明するために、20年間の貞潔を誓い、そして、野蛮で不条理の被害者であることを、20年に渡り宣言し続けた。
その後、とても奇妙なことが起こった。アバディーンにあるアマチュアの文学協会だというスポルディング・クラブが、スコットランドの大学名簿の復刻版を出版した。その中にはローマのスコットランド大学のものも含まれていた。クラッブはそこに、約50年前の、宗教改革以降の学内における追放に関しての2つの記録を発見した。いずれの場合も、除籍の原因が述べられていた。
一つは怠惰により、もう一つは規則への不服従であった。しかし、どちらも彼のケースには当たらなかった。
この予兆の意味するところは?
教会のお歴々たちが、サバウディアの白十字のため、ローマ教皇の権力と戦った難攻不落の王子たちを汚らわしい悪意の犠牲者として磔にしたと記録することなど、絶対に有り得ないことだろう。
けれども、この大学でのニコラス・クラッブの記録はごくシンプルなもので、そこには、名前、生年月日、司教区、家柄のみという、不正確な記載があるだけだった(それは、新しい学長自身がスポルディング・クラブに印刷したコピーを提供したのだから当然だったのだが)。
そして、その後に続くのは、3つの平凡な点だった。
憐れみ深いことに、クラッブを追放した学長がまだ世間に蔓延っている間、この事件の悪名高い詳細はあまりにも恥ずべきものであったため、これらの記録は出版の準備はされてはいたものの、実際にはそうはならなかったものだと考えられる。
この記録には、 彼のキャリアは単に中断されただけであり、もし彼がその再開を望めば、それは果たされるだろう……という仄めかしが意図してあった。
彼は常日頃から、その履歴書を続けることを、悩ましくも望んでいた。そして、彼はいつでも恨みを晴らす準備も出来ていた。彼は、自身が寛大でないことにより自らの神聖さを穢してしまうのだという考えに至ったことがなかった。彼は我儘すぎたのだ。
しかし、彼は焼け爛れた子供であったため、火事を恐れてもいた。そして、公明正大な名誉ある理解を求め、それを主張していた。そして、現学長にも、大司教にも、大学の保護者である枢機卿にも、かつて一緒にクリケットをプレイした枢機卿の書記官にも、彼が本当には何者であるのかを、きちんと理解してほしいと求めた。
彼らはただ舌を巻くだけだった。だからクラッブはあかんべえをしたのだ。
司祭職を追われたクラッブは、アラスの絵を描いた。彼はイエズス会のもとで2年間絵を描いた。
虚偽の口実で彼の絵を得た者は、それを1500ポンドで売ると、クラッブには50ポンドを差し出した。彼はその50ポンドを受け取ると、そのまま相手に突っ返した。
泥沼から抜け出すために、彼は文学で生計を立て始めた。
彼の2つの職歴(教会に関してと芸術に関して)の歴史は既に他所で書かれている。彼の最初の文学時代の歴史も書かれている。物珍しい好奇心旺盛な人はそれを読むことも可能だ。
だが、ここで取り上げるのは、彼の文学時代の第二期である。
ニコラス・クラッブは4冊の本を出版して、その本で稼いだお金で半生を過ごした。心は険しさに満ちていて、身体も疲れ切っていた。そんな彼の元に、黒い口ひげで、ウェールズ語を話す、肥満したマゼンタ色の民兵組織の大佐がやってきた。
彼は、英国領の南リビアのローズ・トラストと民間の法律会社の特別顧問であり、ある提案を持ってやってきた。このウェールズ人は、自分のためのパンフレットを編纂してくれる文学者を探していた。彼はボーア戦争で90回の戦闘を経験し、13歳の息子を喇叭手として従えていた。
そして、この大佐は、クラッブが最も重い牛の所有者(あるいは飼育者であると聞いて)、彼にパンフレットの編集を頼みに来た。大佐は、南リビアの牧場の再設立も任されていた。
ちなみに、彼は4000ポンドを投じて、南リビアの農業と牧畜の将来の展望に関する資料を大量に収集してもいた。
ニコラスは彼に、ローズ・トラストと法律会社への報告書と、またその後のお涙頂戴の出版用のものとを書くために雇われたのだった。しかし、農耕や牧畜を営む大佐は、自身の頭の中やノートにはメモがあっても、それを読みやすく書く文才がなかった。
ニコラスに提示された報酬は7,000ポンドで、大佐の立場は、民間の法律会社と『ザ・ノウ』と呼ばれる組織で足固めもされていて、ローズ・トラストとの有利かつ友好な関係も報酬に付与されることになる。
クラッブはその半分を、文学的奉仕の見返りとして提供することにした。
「ウェールズ人の名誉はどんなものであれ、信じなければなりませんよ。私自身、コマッパー公爵とアッシー伯爵、そしてヒッパス伯爵の名誉を信頼しなければならないし、君は私を信頼してほしい。」
と、その短足の農業軍人は言った。たしかに、そうするのが必要なことのように思えた。貧乏な者は、手に入るものは何でも手に入れようとするものだ。クラッブは、ウィリアム・グランサム判事の出したこのTaffyについての正式な宣言を知り、この幸福なTaffyの名誉を信用せざるを得なかった。そこで彼は大佐からのメモを反芻して 、8ヶ月かけてそれを巨大な本にまとめあげた。
しかし、その半分ほどを書き終えたとき、農業軍人が可笑しなことを言い出した。彼は、ロドニア産のトウモロコシと羊毛の見本を、それらの宣伝のために企画したロドニアの物産展に出品する予定だという。
「もし彼らが来週の頭までに来なければ、マーク・レーンやコールマン・ストリートまで買いに行くしかないんだ。」
良心的で慎重な専門アドバイザーとしての大佐はそう言った。
クラッブはこの何気ないひと言に、非常に示唆に富むものを感じ、彼は急いで家に帰り、自分の仕事の条件についての考えを手紙に書き留めた。クラッブは彼の雇用主にその条件確認依頼の手紙を送った。大佐は簡潔に、しかし奇妙なことに紛れもなくそれを確認したのち、ポストへと返送した。
そして本を書き終えると、それは即座にローズ・トラストの書記官であるウォーデンにより出版された。
大佐はクラッブを呼んだ。彼はきまり悪そうに、12ポンドの小切手を差し出した。クラッブは即座に弁護士を探し始めた。
リンカーンズ・イン・フィールズのムッシュー・モルレ&サルトル両弁護士がニコラスの事件を調べ、この案件を解決することを宣言した。そして、彼らは成功に対する担保を求めた。
それは、このウェールズ人に対する訴訟が終結するまでの間、彼の出版した4つの本に、偉大なるスフォルツァ家の家系図、そして彼が提出すべき他のすべての著作物に対する先取特権だった。このような譲渡の見返りも当然あって、彼らはニコラスの文学財産を彼以上に有益に管理し(それは作家自身が希望していたことでもあるが)、定期的な小遣いを与え、平穏かつ快適に仕事をする自由も与える、更には訴訟費用の支払いをも約束した。
クラッブはこの条件を受け入れ、狂喜乱舞しながらオックスフォードへと赴き、炎のごとく執筆した。それは、盲目の友達のドンのための仕事だった。
クラッブの訴訟が始まった。もちろん彼は敗訴した。
彼の弁護人たちが、彼は非常に愚鈍であり、彼の頭脳など誰もが掠め取ることができるほどだ、そのように彼を表現したことと、また、彼が契約条件を記し確認する書類の法廷提出を求めなかったこと、これらによって敗けたのである。
しかし、彼は、この事件に対しても、甲羅のような態度を持ち合わせ、外見上からはあまり動揺している兆候を見せることはなかった。訴訟は長引き、彼は退屈していた。この事件に対しての興味を失っていた。彼の仕事は一応は途切れることなく続いていた。彼の代理人たちは、多かれ少なかれ律儀に契約を守っていた。彼の2冊の新刊、『イギリスのピーター』と『ドン・スーパーボ』の出版が認められた。さらに、『リニ伯爵』と『ガダラの歌』など、その他に5冊をプロデュースしてもくれた。これら出版された6冊に、未出版の8冊を5年の間、彼らは完全に管理していたのである。
親愛なる読者よ、よろしければその点は留意して頂きたい。
ただ、モルレ&サルトル両氏だけがクラッブの取引相手だったとは思わないでほしい。オックスフォード大学では、緑内障の友人のドンのほかに、2人の友人がいた。
ああ、愛の神よ、聖女エイミーと聖アミル!
ダビデとジョナサン、ハルモディオスとアリストゲイトン。
言葉の乱用をお許しください!
※作者注釈
『コルヴォーを探して』の読者であれば、ロルフがこの物語で彼自身の生涯を忠実に辿っていることは言うまでもないだろう。ロルフがニコラス・クラッブの人生について述べているのは、彼の人生に極めて近しいものである。
『イングランドのピーター』とは『教皇ハドリアヌス七世』のこと、『ドン・スーパーボ』とは『ドン・タルキニオ』のこと、『リニ伯爵』とは『ドン・レナート』のこと、『ガダラの歌』は『メレアグロス詩集』のことを指している。
その二人の友人のうちの一人、ボブーゴ・ボンセン牧師は吃音のある小さなクリスストム神父だった。
ヴォーンの『DOVE』のようなケンブリッジ流の作法の持ち主で、顔は『不思議の国のアリス』に出てくるマッドハッターのようで、体型はイートン校の生徒のようだった。彼の精霊の神殿はめちゃくちゃに怠惰で、痛みで出来ている。
そして、紙の首輪をつけて、黒い藁で出来たアルペンハットを被っていて、彼の頭の中は、神学者たちが「admiratio」と呼ぶものから逃げるための努力でいっぱいだった。センセーショナルな小説を書くことと(彼の執筆の定石は、もう何も書くことがない、そのような状況まで書き続けることであり、主人公の後ろでカルトゥジオ会修道院の扉がバタン!と閉まる、という終わり方しかない。)、
熱心な説教をすることによって、彼は充分な蓄えを得て、田舎の土地を買うのにも充分な金を稼いだ。彼は、個性を破壊するための私的な施設(宗教団体ではなく)を、自分の型通りに再建しようとする野心を持っていた。彼は実際の創造を目指したわけではなかったが、次のような自論を抱いていた。それは、創世記の第1章に描かれた出来事の間に重大な過ちが生じているのではないか、ということだ。
ここでは私は単に、ボブーゴの仮言的な意見を書くするだけである。
そのボブーゴの見解とは、人間の創造における誤りは、彼らに感覚を持たせたことにある、というものであった。強硬的な幻想(つまりは感覚によってもたらされる証拠に基づいて形成された彼の意見)は忌まわしく、反吐が出るほどに不快で異端的なものだった。それは教皇庁の専門家よりもはるかに繊細かつ切実な厳しさをもって治療されるべきものだった。
ボンセンによれば……真実はこうだと言う。神はその無限の叡智で、貴方に五感を授け、貴方がすべきことは、その五感が衰えるまで、その一切を使わないことである、と、そう話した。貴方自身がそれを使うことを自身に許可している間、聴覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も、本来的には存在しないのである、と。
この精神医学療法的な話は、ボブーゴ・ボンセン牧師の気まぐれにすぎない。要するに、ボブーゴ・ボンセン牧師とはこのようなことを言う人物なのだ。
ガイウス・ペトロニウスの調停者やイエズス会とは異なり、誰も彼を選ばなかった。
彼はまさに、幻惑的かつ傲岸不遜な態度で、聖職ではなくとも威厳があったであろう精神的裁定者の地位についた。いや、それ以上とも言えた。
もし貴方が彼の不敵さに息をのみ、kow-towsを受け入れるのをほんの少しでも躊躇ったとしたら。
この神父は、チニキ神父やアレクサンドル・デュマや反ローマ教団の無神論的ロマンスの中でしか考えられないような野蛮な残酷さで、この考えをあなたに強要し始めるのだ。
「私の羊にー、私の子羊に餌を与えよ。」
しかし、それでも彼には充分ではなかった。
彼はバロニウス枢機卿に従った。| Duplex est ministerium Petri, pascere
et occidere《聖職者ペトロの務めは二重にある、それは育てることと、殺すことだ》。
彼は肉屋のブラウスを纏っていた。貴方が自分の感覚を働かせようとしたのなら、間違いなくボブーゴ・ボンセン牧師は、貴方を精神的には忌まわしく侮辱し、肉体的に野蛮に扱い、絶望に打ちひしがれた貴方は自ら首を吊ることになるだろう。彼の暴虐から永遠に逃げるために。
親愛なる読者よ、彼のこの穏やかな見解を疑うなら、彼の小説『 The Sensiblist』を読んでみて、自分なりの意見を持ってほしい。
このボブーゴ神父はクラッブの著書を非常に賞賛し、彼を探し求めた。彼はクラッブにも大きな声でそう言った。その魅力的な態度と、サディマニアックな性癖の隠蔽によって、私の親愛なるパトロンは、告解のときも、外出しているときも、彼に全幅の信頼を寄せていた。
珍しいことにニコラス・クラッブは、自分の味方をしてくれる神父を見つけることができ、そのような友情は、彼にも吝かではなかったのである。そしてボブーゴ・ボンセンは言った。
「どんなことがあっても、貴方は決して引き下がらないでください。もうこれ以上は奈落に陥る必要性はないのです。」
※作者注釈
ロルフはもちろん、ここでも自分の人生を元に書いている。ボンセンとは、作家の故ロバート・ヒュー・ベンソンのことである。『 The Sensiblist』という作品は、『The Sentimentalist』という作品の言い換えで、この小説が発表されたときには、多くの議論が巻き起こった。中心人物のクリス・デルはロルフ自身から一部引用されている。
「私が司教になったら、すぐに貴方を叙階します。」
さらに彼は、自分が激しい喧嘩をすることも、またそれを仲直りさせる方法もよく知っていると主張した。これはおそらく、多分、この世で最も確かな永遠の友情の証だとも思えたし、何よりも彼は強気でよく理解していてるようで、クラッブは彼が自己満足という悪癖を犯すことはないだろうということを感じられた。二人がお互いをよく知っていると思ったとき、ボブーゴは、自発的に、自分なりのある一つの提案をした。
「あなたの文学的名声は誉れ高い。」
ボンセンはクラッブにそう言うと、
「選りすぐりで精巧微妙だ。私の作品は、まぁ低俗な部類に入るものだ。私は泡のような作品で大金を稼ぎましたから。貴方のごとく、繊細に彫刻されたクリスタルのようなものは作れない。私にはわかるのです。私が言いたいのは、つまりは、貴方の本は、貴方の本の価値の半分しか部数が出ていないということです。
もし私が貴方の聖らかな天使のごとくの鋭いペンで物語を書くことができたのなら、きっと、私の本は今の4分の1以下しか売れなかったでしょうね。だからです、共作しましょうよ。本当に驚くべき小説をー、カンタベリーの聖トマスについての小説を二人でコラボレートするんです。貴方は「発明」が出来ません。(このヒュブリス的ともいえるボブーゴの愚かさは、当時のクラッブの殻を突き破ることはなかった)。だから、私が物語のプロットを書きます。ええ、そうです。でも、貴方は、この世の誰よりも読者をうっとりとさせる文章を書ける。だから貴方の役割は、私の書く物語に歴史的な真実味と文学性を与えることだ。そして、利益は私達で等分にするのです。」
それに対するクラッブの答えは特徴的だった。
「いいね、それ。」
彼は続けて、
「その仕事をこなして、利益の半分ももらえるなんて、最高に嬉しいよ。でも、私の仕事は3分の1なわけだから、利益も3分の1しか受け取らないで構わないよ。」
「ええ、それで構いません。」
ボブーゴは丁寧にそれを承諾した。
クラッブが、彼の隙間から浮かんできた多くの命題を、なぜこれほどまでに提案してきたのか、それはDomeniddioだけが知っている。
私の考えでは、彼らはどうしようもなく救いようがなかったが。
けれど、クラッブは、生きている中で最も一生懸命に楽しんだ。
もう一人の友人、C. H(ハリッカス).クロンティン・ピアリー=バスローは、大柄で粗野なスコットランド人で、クライストチャーチを卒業し、大政務官の補佐役であり、そして聖ジョージの修道院長であり、名誉総長であった。そして、素晴らしき聖ソフィア騎士団の最高位でもある。
この一族は、クラッブの著作を大いに賞賛した。彼はある真夜中、オックスフォードを、巨大なコートドレスで着飾り朱色の(しかも巨大な)ヒールを履いた姿で唸りながら歩き回ったりした。ゆっくりと母音を伸ばすよう話したり、ゲラゲラと笑ったりと彼のジェスチャーは振れ幅が大きい。笑いと同じように大げさだった。
しかし、彼のワードローブは、とにかくbrobdignagianなもので、イギリスの枢機卿の街着から、ヴェネチアのドージェのコルノ、イギリス近衛兵のユニフォーム、フリーメーソンの18階級ものエプロンや装身具、そして、現代のテンプル騎士団の胸の開いた衣装まで、なんでも揃っていた。
私生活では、緋色のウェストコートを気障にはためかせ、白地に紫のモアレをあしらった、鮮血に塗れたようなイブニングドレスを着ていた。温かい時期には漕艇用ショーツだけを着ている。
しかし、彼の持っているものは、星条旗、ガーター、宝石の装飾、そして独身者が着るフロック・コートのパジャマなど、尽きることがなかった。
聖ソフィア騎士団として、宗主国の騎士団の徽章は彼の邪魔になるため、彼はそういったものは自分でデザインをし、裕福で乙女である叔母の費用で作らせた。実際、彼の人生は主に、奇妙な服を他人に作らせ、それを自分に与え着ることで占められていた。
クラッブは、このようなとてつもない御仁からの賛辞に大いに感動した。しかし、彼の屋敷に招待されたときは躊躇した。何もかもが笑い話ほどに、馬鹿デカ過ぎると思えたのだ。
読者の貴方もご存知のように、蟹というものは、隙間での静寂を好むのものだから。
「ありがとうございます。でも、率直に申し上げますと、私にはあなたのいる世界ではうまくやれる自信がありませんし、あなたのペースに合わせる余裕もありません。だからお気にかけずに。他の人と楽しんでください。」
とクラッブは穏やかに答えた。しかし、ピアリー=バスローはそうしなかった。彼は本当の田舎者だったのだ。彼らはモーターカーもなければ、召使いもいない、そのようなシンプルライフを送っていた。そして彼は、彼の母からの感動的な招待状を取り出して、クラッブに見せたのだった。
クラッブはアスク川で夏の一ヶ月を過ごした。彼はすぐに、なぜ自分が彼らに探されていたのかを知った。ピアリー=バスロー家は英国国教会の高位の信者だったのだ。
ハリカスは彼らの一人っ子だった。両親は彼のためだけに生き、彼は自分のやり方しか知らなかった。ファッションに遊ばれながら、国での地位も固めようと画策していた。
彼は悪いタイプの見栄っ張りではなかった。だが、彼はとんでもない愚か者だった。彼の父と母、そして豪奢な叔母は、彼のとんでもない愚かさを進んで助長してきた。彼らは彼のことをよく知っていたし、それを発展させ続けてきたのだ。何年もの間、彼らは子供が壊したおもちゃを直して回り、散らかしたものを見えないところで掃除するのに奔走してきた。
彼の両親たちは、クラッブの殻に包まれ安定した魅力的な性格を見て、彼を気に入り温かく迎え入れた。それから別々にクラッブを散歩に誘うと、自分たちの大きな息子の冒険や不運な出来事を語って聞かせ、クラッブが彼に良い影響を与えることについて、熱心に呼びかけた。
ハリカスの望みは具体的なものだった。彼は自身の設立した聖ソフィア修道会のための中世的な規則を求めていた。シジル、紋章、教会旗、そして血塗られたドレスのデザインとともに。
その月は炎天下だった。南ウェールズの川岸の日陰で、水浴びをした二人は裸で横たわっていた。クラッブは聖ソフィア修道会の規則を口述してみせて、そのテンプル騎士団を構成する5人の仲間に加わることを、ある条件を許可した上で快諾した。しかし、このテンプル騎士団を嫌悪していた(そして妬んでいた)彼の父と母への正当性を確保するために、クラッブは、彼らの巨大な息子に、暫くぶりに、本当に価値のあることをさせようとした。
どうやら以前、ハリカスは、モーニントン賞向けに教皇ハドリアヌス4世の生涯とその時代についてのエッセイを書いたようだった。
※もちろん、それは落選し、大失敗だったのだが。
クラッブはそれを熟読した後、
「オックスフォードの試験官なら、この種の意味のないファンタジックなおふざけ話にはガンマ・マイナス以上の点数はつけないだろう。でも、中にはそれなりに新しい要素があるね。たくさんの余計なものを整理して、削ぎ落として、それを再配置するんだ。そうすれば、ちょっとした小さいけれど素敵な歴史書を作れるよ。」
「どうすれば?」
とハリカスは尋ねた。
「こうするんだ。」
クラッブはそう答え、彼のアイディアである最初の章の整理を口述筆記してみせた。
ハリカスの父と母は喜び、彼に尋ねた。クラッブさんはここに残らないのですか?
実際、アスク川は快適だった。
彼はボツになったエッセイを推敲し、再構成し、加筆し、完成するまでの長い間、アスク川に滞在した。この本を全うな書物に仕上げて、表紙までデザインしてみせた。 そしてそれをムッシュ・ショートマン・ヴェルデが骨を折って出版に漕ぎ着けた。
「我が子よ、今度からは君を "カリバン "と呼ぶことにしよう。」
クラッブがハリカスに言った。
「どういうことだい?」
「私は君を気の毒に思っている。君と喋るのには苦労したよ。君には毎時間毎時間あれやこれやを教えてきた。野蛮な汝がそれらの意味を知ろうとせず、それなのに、最も残忍な生き物のように何かを捲し立てるから、私は汝の言いたいことに言葉を添えてやったのだ……。シェイクスピアだよ。愛しのカリバン。」
恐ろしいクラッブは、咳払いを一つして、そう諳んじてみせた。
クラッブが訴訟に敗北した時、オックスフォードでの盲目のドンの仕事は、クラッブ自身の仕事を中断させていた。彼はその仕事を諦めて、その上、自らにかかる費用を稼ぐことに専念しなければならなかった。
「いっそのこと、アスク川の家族の一員になって、このカリバンと本を共同出版すればいい。ここで暮らすほうが、君が絶賛していたあの町の屋根裏部屋で暮らすより、ずっと高くつくからさ。」
こう父と息子は主張した。
「貴方がより良く生きられる場所は、アスク川を除いては、どこにもないのよ。」
ピアリー=バスロー婦人は情熱的に何度もそう繰り返した。
クラッブはボブーゴに相談した。彼のことを全面的に信頼する習慣が出来ていたのだ。アスク川の辺りで住むことについてのクラッブが思う唯一の難点は、宗教的な問題だった。彼は他の場所でも何の柵もなかった。彼は、どこでも同じように働けた。しかし、ここはカソリックの礼拝堂から7マイル(約11km)も離れていたのだ。
「うーん、そうですね……。」
とボブーゴは言った。
「人は恩寵を受ける場所から、そんな遠くに住まいを構えてもいいものだと思うかい?」
「別に問題はないでしょう。」
とボブーゴは喉を鳴らした。
クラッブは、この神父の言葉から妥協を感じながらも、このときはそれに従ってしまうほどに愚かだった。クラッブの性格の著しい悪化は、この出来事が始まりだった。彼の平静さは、紛れもなく弱まっていた。彼は、陰険なボブーゴが自分の殻の中に入り込んできて、その中にある柔らかいものに謀略を張り巡らせるのを許していた。
それから取り決めが成立し、クラッブはピアリー=バスローの住まいのあるアスク川の近隣に住んだ。彼とカリバンは本の題材について話し合った。それは、新しい手法で書かれた歴史小説だった。つまり、「こうあるべきだった歴史、こうあったかもしれないが、そうはならなかった歴史」である。
それは気も狂わんばかりに面白く、素晴らしく可笑しかった。彼らはすぐに二つの本の執筆に取りかかった。カリバンは両親を安心させるために10分の1を書いた。
それ以外の時間は、黄色い応接間に寝転んで "pater "に素足をくすぐられるか、孔雀めいた野外演劇ショーの衣装を着て、イングランドのあちこちに出かけるか、そのどちらかだった。
ニコラス・クラッブは、昼夜問わずにタペストリーの間に籠もって、残りの10分の9を執筆し、その仕事を余すところなく楽しんだ。
夏がやってきた。ニコラス・クラッブは、今の状況、そして社会との関わりを変えたいと望んでいた。
クラッブは2冊の共著のうちの1冊『ウィアード』(邦題では『怪奇』)の原稿を出版社に送ることにした。原稿もタイプ原稿も、どちらもいくつかの出版社に回させた。彼のもう一つの原稿はデ・バーグの『妄想』と名付けられた。彼は、のんびりとカリバンの原稿の修正と模写を行った。
そして、ニコラスは今作の冒頭でも述べたように、ギリシア語の教授とヴェニスでの6週間を過ごすために出発した。
スパルタのアルテミス・オルティア神殿にあるハドリアヌス劇場に関して、ニコラスは、彼の同僚の叡智を望んでいた。アンティノウスという最も愛らしく哀れなネグロイド《黒人》(※原文ママ)についてのロマンス(エベルス博士の作品よりも優れたもの)について彼は思いを馳せていた。キリスト教の教父たちは激しく攻撃をしたが、彼を永遠の約束に汚されていない、純粋な自己犠牲の宗教の創始者として崇め奉る、そういうものは、まだ誰も考えたことはなかったはずだ、と。
そして、ここでクラッブは望みをかなえた。いや、それ以上だった。教授は8万ポンドの遺産と、1万5千ドルで売却した家を相続したばかりだった。教授は躁病以外のどんな仮説でも考えられないよう寡黙っぷりを発揮した。
ゴンドラの売春婦に勘違いして半ペニー(ヴェネツィア語で「ド・シェイ」)もチップとして渡していたことに気づいたとき、彼は公共のPiazzettaで悲鳴を上げて、地団駄を踏み、躓く、という三段論法を見せた。
クラッブはこれらのことに頻繁に嘔吐を催し、何度も反乱を起こした。なぜなら、この男が多くの愛想の良いゴンドリエーレたちを最も卑しい奴隷のように扱ったからだ。彼らの半分を餓えさせて、その4分の1に対して、下劣な印象と彼の名誉に対しての負債を与えた。
ニコラス・クラッブは、名誉のために、自分の種族から忌まわしい汚名を濯ぐために、休日を延長し、金を払い、できる限りのことをする義務が自分にあると感じた。もちろん、それは傍からはドンキホーテのように奇想天外なことだったが。だが、ニコラス・クラッブはそういう性格だったのだ。
彼は、外国人、とりわけヴェネツィア人のような幼稚な外国人が、イギリス人に対して邪悪なイメージを持ち始めることを黙って見過ごせなかった。ヴェニスにはドイツ人共が蔓延っているというのに。もし彼らが嫌悪されていないのだとしたら、それは十分におかしいことだろう。そこでクラッブは、イギリス人とドイツ人との違いを強調すべきだと考え、その点を出来る限り強調した。
クラッブはガステッロでトポを作ってもらっている間に、材木とバルケッタ・ア・ヴェールを買い求め、6人のゴンドリエーレを雇って彼らと友好を結び、 ラグーン全体を探検した。
そして晩秋、彼は材木を塗装し直して保管するためそれらを造船所に預けた。バルケッタを売り払い、新しいトポに乗り込み、そして逃げ出すように出発した。海と空の孤独の中で魂の庭を育むために。甘い潮風の中、クワイヤに響く歌声のように風は吹いていた。
親愛なる読者よ、エルメネジルダ・ファリエルのことは既に話した通りだ。そしてほら、ニコラス・クラッブについても、わかっただろう。
第6章に続く。
次回は10/22頃更新になります。