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【徒然草 現代語訳】第百二十一段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

養ひ飼ふものには、馬、牛。つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかがはせむ。犬は、まもり防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど家ごとにあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなむ。その外の鳥、獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、くさりをさされ、飛ぶ鳥は翅をきり、籠に入れなれて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁止む時なし。その思、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらむ人、是を楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥を愛し、林に楽ぶをみて、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。

凡そめづらしき禽、あやしき獣、國に育はずとこそ、文にも侍るなれ。

翻訳

飼育する動物とくれば、まず馬と牛。繋いで苦しめるのは痛々しいが、ないと暮らしが立ちゆかないものゆえ、致し方ない。犬は番犬として家を守り防ぐ任務においては、人よりはるかに優っているので、絶対飼った方がいい。もっともどの家も飼っているから、強いて求めてまで飼うこともないかもしれないが。それ以外の鳥や獣は、飼う必要のないものばかり。走る獣は檻に閉じこめられ、鎖に繋がれ、飛ぶ鳥は羽根を切られ、籠に入れられて、雲を恋い野山に想いを馳せる愁情は止む時がない。彼らの哀しみを我が身に引き寄せて忍びがたいのなら、飼って楽しむなど出来ようはずもない。生き物を苦しませて見て悦に入るのは、桀や紂の心根同様の残虐さである。王子猷が鳥をこよなく愛したのは、鳥たちが林に遊ぶのを見、散策の友としたからに他ならない。捕らえて苦しませるためではない。

そもそも珍鳥やものめずらしい獣は、国内で飼育しないと、はっきり書物にも書かれております。

註釈

○翅
読みは「つばさ」。

○桀
けつ。古代王朝夏の暴君。

○紂
ちゅう。古代王朝殷の暴君。

○王子猷
おうしゆう。晋代の風流人。本名王徽之(おうきし)。子猷は字(あざな)。書聖王羲之の第五子。

○凡そめずらしき禽云々。
出典「書経」。


ご存じでしたか?犬ってすでにこの時代には各家庭で飼われていたんですよ。