今野渉輝【武術×日常の案内人】

4歳から松濤館空手を始め、26年の武術歴。持ち前の明るさと変態性を持つ。26年間で度重…

今野渉輝【武術×日常の案内人】

4歳から松濤館空手を始め、26年の武術歴。持ち前の明るさと変態性を持つ。26年間で度重なる怪我や病気、未熟な人間性の影響で、頂点はいまだ取れず。2024年、30才を迎えた私が、世界一という頂点を取るべく、日々の生活や稽古を通しての奮闘を描く。【捲土重来】今だ、青春!

最近の記事

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川のせせらぎをお届けします。(癒し音)

音量が大きめなので、お気をつけてください。

    • 1人だから独りを辞めた。

      1人で生まれた。 1人で死んでいく。 僕は1人が好きだ。 僕は1人でいることがこれっぽっちも寂しくない。 だって1人でいると、今まで僕を愛してくれた人たちの言葉を思い出すことができるから。 街中のうるささに、自分の大切なものが消されていくような報告があった。 東京の雑踏の中、大切なものを守るために僕と言うものを捨てて、ただ守るために生きてきていた。 何が大切なのかもわからない中で、大切だと思うものをつなぎ止めていた。 それでも、報われないことがある。 それは

      • 痛みを知り、弱さを知り、明日を生きる。

        3月31日。 10年ぶりに、勝負の場に戻った。 フルコンタクト空手という真剣勝負の場所を復帰の場所に選んだ。 試合会場は熱気に包まれ、非常に春とは思えない夏の暑さを感じるような そんな10年前に感じた、あの感覚が思い出された。 会場に入った時、緊張というより心の中で懐かしさと幸せな感覚に包まれていた。 この10年は、様々な悲喜こもごもな奇妙な人生を送ってきたと感じる。 またの機会にお話ししたいと思うが、試合から離れた自分からすると、 「闘うことを喜べる」自分が

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          最近の動き日記 ミット打ち編

          身体のキレと力のまとまりを意識しました。 サウスポーは通常は使いませんが、身体のバランスと怪我防止のため取り入れてます。

        川のせせらぎをお届けします。(癒し音)

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          心の中の少年

          4歳の頃から、空手を始め、30歳の今まで空手に支えられ、ここまで生きて来れた。 様々な怪我や、心の病や、別れや、不条理と向き合うことが多い人生だった。 けれど、その中で、様々な人たちの優しさに触れた。 僕には、絶対的な才能は無い。 基本、自分のことを少年の頃からあまり期待していない。 自分のことにあまり自信は無い。 けれど、1つだけ自信があることがある。 自分は、この世界の中でもトップクラスの強運の持ち主だと言うこと。 人との出会い。 自分が想像したかったよう

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          2024年の一月の動き。

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          そのまま見る。客観力のススメ。

          私はよく自分の動きの映像を見る。 なぜか。 それは自分が思っている動き それと実際の外から見た動き のギャップを少なくしたいと言う思いだ。 よく自分の歌声を録音した時。 自分の歌っているときに耳で聞いている声とマイク越しの録音した音声と、とてもギャップを感じることがある。 わかりやすく言うと、気持ち悪い感覚。 実は私は、格闘技や武術においても、その感覚がある。 自分の体を外から客観したときに、イメージ通り体を操れているかを確認することができる。 だから、映

          そのまま見る。客観力のススメ。

          泥田んぼを歩く~足を摺る

          よく空手や日本武道における足捌きに、「摺り足」というものがある。 足を地面から離さず、滑るように体を運ぶ技術のことをいう。 私は、幼き頃空手を学び始めた時、摺り足を学び、とても難解な技術だなと思った。 素早くカンガルーのようにピョンピョンと体を上下に弾ませるというイメージで身体を動かしていたが、武術にはそのような動きはなかった。 体を動かすということ。 そこにはさまざまな文化や歴史的な背景やそして身体感覚のイメージの違いなどを感じた。 筋力を意識して動くのか、重力

          泥田んぼを歩く~足を摺る

          ぬくもり

          あの時感じたあの人のぬくもり、 そのぬくもりを感じた時、僕は心も体も冷たくなっていたんだって感じた。 たくさんの難しいことや理不尽も味わったことが心も体も硬く冷たくなっていたんだと思う。 そんな時に温めてくれた あなたの存在 もう1人じゃないだから、この時間この瞬間大切にしたいなってまた思えた。 人は1人で生まれる。 人は孤独と生きていくことがある。 孤独はとても辛い。 けれど、生きる上で大切なスパイスになる。 また、出会える大切な存在に出会える喜びを体いっぱ

          信じる強さ、信じる怖さ

          人を信じる。 それは当たり前にできることではない。 それは大人になると、子供の頃より難しくなる。 信じるだけが正しいとも言えない。世界が大人の世界だ。 けれど、だからこそ「信じる」という人としての強さを大切だと感じる。 信じたこと、信じようとしたこと。 でも、それができなかったこと。 そんな経験を、僕はしたことがある。 信じるそれはとても勇気の要ることだ。 でも、僕は、信じるということをあきらめたくない。 信じる強さを得たいがために、僕は今日も続ける。 人と

          人に傷つき、人に癒される

          傷ついたことがある 人の何気ない言葉に 消えたくなることがある 人に私の思いが伝わらない時に 寂しい時がある。 一人ぼっちの時に 素直になれない時がある あの人との別れを思い出すから 私は人に癒されたことがある それは、大切な誰かの笑顔を見たとき。 それは、大切な人に抱きしめられた時。 それは、過去の自分を認めてくれた時。 それは誰かのことをまた好きになれたとき。 それは弱くてちっぽけで、今にも消えそうだったあの頃の自分が、僕の背中を優しく押してくれ

          人に傷つき、人に癒される

          メガネの向こう側

          昨日、メガネを買った。 最近、体がひどく疲れ、コーヒーを飲んでもしっかり寝ても、体の疲れがなかなか取れなかった。 なんでかな? そんなふうに思っていた。 夜11時、帰宅して、お風呂場の鏡を見たときに、目の下が少し黒くなっていた。 疲れているような目をしていた。 その時、はっと気づいた。 目が疲れている。 私は仕事柄、パソコン作業がとても多い。 このような文章や動画を作ることがあるから当たり前だが、目が疲れている。 けれど、忙しい日々を送ると目が疲れていると

          追いかけっことランニング

          小さな頃、追いかけっこした事はあるだろうか。 きっと、子供の頃は、友達と追いかけっこをしたことを覚えている人はいるのではないだろうか 追いかけっこをしている時、とても楽しくて、ワクワクして、そして同時に僕の周りの景色が走ることで早く進んでいく。あの感じがとても楽しかった。 そんな記憶が、僕の体の中に刻み込まれている。 大人になると走るということがなくなっていく。 でも、不思議と走るという行為の副産物が大きな目的になることが多々ある。 例えば ダイエット 健康 体

          追いかけっことランニング

          こどもとおとな

          体と心を目一杯大きく使うこと。 子供の頃、友達と鬼ごっこをしたときのような体全体で自然を感じ、友達と笑い合い、そして自分の家に帰っていく。 夜になると、疲れ切ってぐっすり布団の上で眠る。 大人になると、この感覚を忘れることがある。 子供の頃より疲れを感じる事はあるのに、なんで布団の上ではなかなか眠れないのか。 疲れているはずなのに。 何か子供の時のような疲れとは、違った体の疲れた感じが、体全体を覆っている。 大人になると、心と体が縮こまるような小さくなるような、

          疲れたら休みましょう

          体が疲れたと感じたなら、床に地面に体を横にしましょう。 当たり前のように感じることでも体を休める事はとても意識的に行わなければ回復できない時もある。 現代社会は特に休むということが難しいと感じる。 休む=ダラダラするでは無いのかもしれない。 けれども、ダラダラするということも、ときには必要なことだ 大切なのは「中庸」ということではないだろうか。 ちょうどいい。 いい感じ。 程良い。 良い塩梅。 だから、答えがないものなのだ。 だから、一人ひとりがいいなぁ

          不安と呼吸と姿勢

          私は中学生の時にパニック障害を発症したことがある 電車に乗る事はもちろん教室に入ることもできなかった 周りの視線や突然襲ってくる不安の発作 過呼吸になり、意識がなくなりそうな時もあった 中学生の時に初めて精神科と言うものにもかかったが、あまり改善はしなかった。 そんな時に、4歳から学んでいた空手の中にある「礼法」を真剣に取り組んだ。 お辞儀 歩き方 座り方 立ち方 体の方向転換 様々な要素があった。 その中で1番大切にされていることがある。それは「呼吸」だ。