見出し画像

【全編書き起こし】BUG Art Award関連トークイベント「海外での活動を射程に入れること」中川千恵子×藤井光×盛圭太(3.16開催)

みなさんこんにちは。
株式会社リクルートホールディングス BUG Art Award事務局です。

3/16にアワード関連トークイベントの初回、「海外での活動を射程に入れること」中川千恵子×藤井光×盛圭太が開催されました。この記事では、トークのアーカイブとして、全文書き起こしで内容をお届けします。トークに参加できなかった方も、もう一度内容を確認したい!という方も、どうぞご活用ください。

・イベント詳細はこちら
・投影資料はこちら

【読み切り時間目安:20分】

3.16トーク書き起こし

イベント開催にあたって

中川さん(以下、敬称略):中川千恵子と申します。私は、青森県にある十和田市現代美術館に2019年から約3年半、アシスタントキュレーターとして勤めています。2015年から2019年までの約4年間、その前に日本の大学に行って交換留学で1年間、合計5年間フランスに行っていました。その時に在籍していたのが、パリ第8大学という公立の大学です。そこで修士号も取ったんですが、学生でいた理由は、学生ビザが一番滞在の許可を得やすいということからです。その時に、作家さんの展覧会のアシスタントであったり、美術館のガイドを行うメディエーターをしていたり、アートに関わる仕事を転々としていたという経緯があります。

中川:それもあって今回、主催者であるリクルートの野瀬さんからこのテーマをご提案いただきました。その時、「フランスで活動する作家はたくさんいるから、いいテーマだな」と思う一方で、但し書きをつけたいなと思ったんです。それはなぜかということをお話します。まず、いいなと思った理由の一つは、フランスや欧州の多くの国の作家に対する支援制度が日本よりも遥かに潤沢であるからです。これについては、また後ほど詳しくお話します。

発表の機会を増やすことができるということが、海外展開の理由になると思うんですけど、2019年から日本に帰ってきて、いろいろな作家さんと話して、特に若手の作家さんと話した時によく聞く話があります。彼らは、活動の話をいろいろしてくれた後に「海外で活動したいんだけど、文化庁の新進気鋭の制度は自分よりも経験のある人が採択されている傾向があって、ハードルが高い。それ以外の助成金だと、どういうものがあるのかわからない」という話をよく聞きました。

それから、「あまり海外には興味がない」という声もありました。「日本でどんどん活動して展開していきたい」という理由や、制作自体にフォーカスしていてどのように展開していくかに関心がないという理由など、いろいろとあると思います。それに私は衝撃を受けたと同時に、パンデミックがあってから国内の展覧会をメインで見ることが多くなって、それらの作品は、日本語を理解できない人が観た時にとっかかりがないなと思うものが多く、日本の文化や慣習を知らないで観ると理解しづらい文脈であったり、テーマであったりするものがあるなと思ったんです。

そのこと自体が悪いわけではないんです。作品を世の中に伝えるという責任がある、どちらかというと作家さんの周りにいる我々の問題です。ただ、「自分が知っている日本のアートワールドのその外側に視点がある」ということに自覚的であるということは、私はすごく大切だと思っています。なので、そのことを『BUG Art Award』に応募する方には考えていただけたらいいなと思い、このイベントを開催することになりました。

先ほどの「但し書きをつけたい」という理由は、フランスや他のヨーロッパの国々には支援がたくさんある、文化資本がある、fそういった恵まれた環境があるということはもちろんなのですが、制度がすばらしく整っているということと、国や文化、歴史自体を賞賛すること、例えば欧州の文脈だけを盲信するということにすぐに接続するということにしたくないなという思いで、このように長々と話しています。いわゆる「西洋対非西洋」という、脈々と受け継がれている構図を飛び越えるということに対して常に自覚的である必要性があるのではないかと思っていて、私自身もうまくできているかは分かりませんが、常日頃そう考えながら仕事をしています。なので、外部に視点があるということを知るために外に活動に行くということと、外に視点があるということを自覚した後に、それを無視するのか、もしくは争おうとするのかを選択するという立ち位置で、ご自身の作品がどういう風に外から見られる可能性があるのかということを考えてほしいなと思っています。このようなことを考えた時に、どなたに話を伺ったらいいのかなと思い、真っ先に思い浮かんだのが今回参加してくれている、盛圭太さんと藤井光さんでした。

盛さんは、多摩美術大学の彫刻家を卒業された後に、文化庁の新進芸術家海外研修員に選ばれて2004年に渡仏されて、今日まで19年くらいフランスに住まれて活動されています。一方、藤井さんは1995年から2005年までの10年ほどの間、フランスで活動されていました。盛さんはドローイング、藤井さんは映像やインスタレーションなどを作品に多く用いられていて、メディアも違うし、滞在されていた時期も違うんですが、だからこそ立ち位置の違うお二人に話を聞くことが、より広い意味で「海外で活動する」ということがどういうことかを知っていただける機会になるのかなと思いました。

前置きはこれくらいにして、フランスと日本の文化政策や支援がどのくらい違うのかというところを具体的にお話できればと思います。

日仏の文化政策の比較

中川:まず前提として、日本の文化支援や政策はどのくらいのものなんだろうというところを知る必要があると思うんですが、まずはこちらの資料をご覧ください。

中川:文化庁の外国の文化政策に関する調査研究機関から引用させてもらった資料です。2016年度の文化予算額を示した資料で、これは極端かもしれませんが、フランスが圧倒的に多くて、日本は7カ国中かなり下にあるということがわかります。

次にこちらをご覧ください。こちらは割合の推移がどうなっているのかという図になります。

中川:まず、アメリカが全然ないですね。アメリカは元々国からの支援というものはほとんどなく、メセナや企業からの支援がたくさんあり、美術館を企業が自ら作ったり、支援に力を入れたりしているという背景があります。その次に日本、イギリスもけっこう低いです。それに比べてフランスは、2015年から下がってはいるものの韓国と同じく高く、最近は韓国がかなり上がってきている状態です。ただ、これは2016年の時点での情報なので、7年以上前ということでソースが古くて申し訳ありません。

中川:ここからは、もう少し具体的にどんな支援があるのかをご紹介します。

まず、「アーティストのためのアトリエ兼住居」というものがあって、盛さんはまさしくアトリエと住居がセットになっているところに住まれているんですが、パリ市ではそういった住居が100あまりあります。パリ市は東京都よりも狭い都市なので、それを考えるとアトリエ兼住居が多いということがわかりますね。ただ、もちろん、一度その場所に入ることができると、アーティストはなかなかそこから出るという必要性がないので、かなり競争率が高くて入るのが大変だということをよく聞きました。ただのアトリエだけも310軒ほどあり、アトリエを改装するために補助金が出たりもします。また、アーティストが作品を制作するだけの場所の住民税については免除されるという、手厚い支援があるということです。

中川:アーティストが日々生きる中でかかる経費を抑えるというのがこれまでの援助だったと思うんですが、もう一つフランスで特筆すべきなのか、国などの公的な機関が作家の作品をたくさん購入するという点です。例えば、日本で美術館に収蔵される作品の数はそんなに多くないと思うんですが、フランスでは、『フランス国立造形芸術センター』と『現代美術地域圏基金』の二つの期間が毎年、存命の作家の作品を購入しています。

中川:また、みなさんご存知の『アンスティチュ・フランセ』も作家を支える支援の一つです。フランスから渡航する作家やフランスに居住する作家が海外で活動するという時の支援を行っています。

中川:また、美術館のような機関が作品を収蔵するということもありますが、フランスではコミッションワークと言って、国が注文をしてアーティストに作品を作ってもらうという制度もあります。特筆すべきなのは、「芸術のための1%と公的調達」というものがあり、これは病院や図書館などの公的な建物を建てる時に、必ず1%の予算で今生きている既存の作家に作品を発注するということが法律で決められています。

また、企業に対しても減税処置というものもあり、毎年現代美術の作品を買うことによって購入金額の20%分が以後4年間減税されます。20%が5年間続くので、ほぼ無料なんですね。税金は変わらないけれど、作品を一つ無料で買える。そんな風に気軽に作品を買うことができるんです。 

中川:こちらは、海外で活動する際に日本から申請できる助成金を並べてみた資料です。この『BUG Art Award』を運営するリクルートさんが奨学金も運営されているので、興味ある方がいれば見ていただければと思います。もちろん、ここで紹介しているもの以外にも、海外の関心のある面白いレジデンスをピックアップしておいて、公募であるオープンコールをこまめにチェックして応募してみるというのも、良い手だと思います。

ここまで文字だらけの情報となりましたが、ここからは盛さんにこれまでの活動やご経歴についてお話をお聞きしたいと思います。

盛さんの作品について

盛さん(以下、敬称略):中川さん、ご紹介ありがとうございました!数字も含めていろいろな概要が相対的に網羅されている内容で、事前に共有していただいた時に、とても有意義だなと思いました。時間も限られているので、今日は僕がアーティストとしてどのように存在しているのか、自分の作品を交えながら話していきたいなと思います。

盛:僕は、日本の多摩美術大学の彫刻科を卒業しています。さらに詳しく言うと彫刻科の中の当時あった諸材料科というところにいました。今はその専科はないんですが、そこで、今学長で、当時芸術学科の教授であった建畠晢さんと専科の石井厚生(あつお)教授の共同ゼミがありまして。ものを作る場所なんですけど、批評できる芸術学科の学生と一緒に展覧会をしたんです。僕はそこで、「手を駆動させてものを作る場所で、思考によってものを作るということもできるんだな」と学生の時に感じ、漠然と「フランスに行くことになるんじゃないか」と思うようになったんですね。それが大体2003年くらいの時です。そのゼミで発表した作品がドローイングのシリーズ『Bug report』というものなのですが、そこにつながる基盤がゼミで作られました。ただ、その時はそれを裏打ちするようなコンセプトもなく、言葉で説明することもうまくできない状態で、形だけがある状態だったんですね。「自分に何かが足りない、できていない」という認識から「海外に行きたい」と考えるようになったわけです。そこで選んだのが、フランスでした。

フランスに行ってからは、美術学校のボザールで理論的な研究を続ける基礎みたいなものを自分で培う、元々あるわけではなくて、自分がどのようにこの作品を定説化するのかというところを徹底的に訓練しました。それで、ドローイングシリーズを2004年くらいに初めて自分の言葉で説明できるようになって、中川さんも通っていたパリ第8大学というところで修士号を取ったんですが、そこで自分の作品を紐解くということを行い「職業としての美術家としてやっていこう」と決意しました。フランスでも日本でも、「どのようにして美術家になったんですか?」と聞かれることがあるのですが、単純に税務署に行って個人事業者番号を取得しなければならず、その時に職業欄に記入をするのですが、そこに僕は「美術家」と書いたんです。その時に、行政上に「僕がアーティストである」ということが登記されたのですね。その時、僕の身体的様子は全く変化しないんですが、その瞬間から「自分がアーティストである」という自覚が芽生えました。その象徴的な感覚は毎日思い出しますし、自分にとって大きな転機となりました。

ドローイングを使ってデビューしようということは、ものすごく前からずっと決めていました。それで、展覧会の機会を見つけてはそこで作品を発表させていただくということを続けて、転機になったのが2017年。『Drawing Lab』というコンテンポラリードローイングに特化したアートセンターがパリにできました。その時に、キュレーターのガエル・シャルボーと共にアートセンターのこけら落としとなるような展覧会をさせてもらったんですね。

まず、コンテンポラリードローイングというメディアがフランス・パリで生成されていたかという歴史的なことについてお話します。2007年にコンテポラリードローイングに特化したアートフェアがパリで開催されたんですね。それが実はとても大きな出来事で、ドローイングというメディアにフォーカスが当たった年でもあります。そして、その年からドローイングというメディアのエコシステムのようなものが急速に発展したように思います。『Drawing Now』というアートフェアによって、ドローイング作品を制作してきたアーティストの発表の場ができた。そして、ドローイングを語るような批評家たちが現れていたし、制作していたものたちの発表の場ができてきた。ドローイングにまつわる雑誌もこの辺から現れて、コンテンポラリードローイングという一種の生態系が急速にそこで培われていったという感じがします。元々素地はあったんですが、収束する場所ができたということですね。

それが今、今年で16回目になっていて、そこから派生した流れで『Drawing Lab』という、同じ主催者が作ったアートセンターが、世界中にあるドローイングにまつわる機関と連携し、アートの中で疎外されていたわけではないですが、メディアとして確立されていなかった場所に光を当てるということが起きています。そのムーブメントは今でも続いていて、ドローイングというメディアがそれ以降、主要なメディアとして扱われるようにまでなってきています。僕は、そのドローイングというものを拡張するための活動をしているわけです。

盛:僕の作品について少しお話しますが、システマチックなイメージの中に制作している間に、糸のちぎれや絡みみたいなものが自発的に起きてくるわけですね。昔はそういうものを排除していたんですが、そういうものが自然と取り込まれて自発的に偶然を取り込んだかたちで出現してくる。そういうものを僕はエラーという意味で「Bug」と呼んでいるんですが、そういうものが実は制作中にイメージが立ち上がってくる間にイニシアチブをとってむしろエラーたちが作品の手綱を握っていくような。それが『Bug report』の由来になっています。

システムが高度になればなるほどエラーが生まれてくる確率も高くなってきて、まさに糸の直線と曲線の二つの線で成されているんですけど、この中に立ち上がってくるエラーというものを内包しているというところがこのコンセプトの核になっているんですね。

中川:盛さんに、質問です。2003年に多摩美術大学在学中にこのシリーズの制作活動を始めた当時は、どのような展開を考えていたんでしょうか?

盛:要素は、今と全く同じです。壁に描かれた糸をグルーガンで貼るというものです。今よりも色が単一的で白黒の画像だったんですが、その時はどうしても名前がつけられなかった。制作のスタンスとして、下書きを用意しないで制作をするんですが、自然と現れてくるイメージたちに名前がつけられないでいる期間が10年間くらい続きました。

中川:多摩美術大学に在学中にすでにアイデアや原石と呼べるものがあり、フランスに渡航されてパリでの学校の学びを得て、コンセプトやテーマが肉付けされていったというか…。論理的に語れるようになり、作品の強度が増していったという感じでしょうか。

盛:はい。僕は、ドローイングを行う前に美術史を貫通するような試みをいろいろと自分でしてきました。作品として名前がつけられないものたちの一部分にドローイングというものもあって。パフォーマンスから言葉を扱う作品まで本当にいろいろなことをしましたね。僕はすごく学生の時間が長かったので、試す時間がたくさんあったんです。その中で、ドローイングは自分の中ですごく長い射程を望めたというか…。イメージだけではなく、自分が編み出したテクニックでありながら、そのテクニックが普遍的であり、変化していく感じを見受けられたというか…。

それで、このドローイングの作品に一点集中しようと決めました。今は、ドローイングから教わることがたくさんあって、そこから派生したさまざまなプロジェクトが生まれている状態です。

中川:ありがとうございます。またフリーの時間で、いろいろお話をお聞きしたいと思います。次に、藤井さんの作品についてお話をお聞きしたいと思います。

藤井さんの作品について

藤井さん(以下、敬称略):藤井です、よろしくお願いします。今、盛さんの方からドローイングのお話がありましたが、もっと何十年も前の話になりますが、アルベルト・ジャコメッティのドローイングがすごく好きで、今日の話とも重なってきますが、「フランスに行きたいな」と思ったきっかけがジャコメッティだったりしたんですよね。その話で展開するのは難しいので、用意したお話で進めさせてもらいたいと思います(笑)。

藤井:先ほどご紹介があったように、自分自身は20年以上も前にフランスにいたので、いきなり昔話をしても何だなあと思ったので、最近の話からしていきたいと思います。おそらく今日の主題の中では、海外への展開を今後どうやっていこうか、というものがあると思います。最終的なところがあり、フランスはその一例だと思いますが、少し地理的なものを広げて、あえて迂回路を通りながら話をしていきます。

僕自身、自分の作家活動をしている中で、展覧会をする場所は日本か海外かというと、この10年間、半数以上が海外なんですね。そういう意味で、海外で展示をするというのも生きていく上で必要になっているんですね。どうしてそういう風になってきたのかを話していきたいのですが、その前に「そもそも日本で活動しているのに、どうやって海外で展示するの?」という素朴な疑問があると思うんです。まずは、そこに答えたいなと思っていて。

実は僕は、明日から上海の展覧会に参加するのですが、具体的に、どうやってその展覧会に参加することになったか話しますね。まず、キュレーターからメールが届くんです。その内容は「このメールがあなたに届くことを祈っています。私は北京の798芸術区にあるMacalline Art Centerでキュレーターとリサーチャーとして働いています。私が参加した最後のプロジェクトは、このリンクで見ることができます」というメールとリンクが突然くるんですね。僕はこの方を全く知らなかったし、『Macalline Art Center』も知らなかった。メールが届いたアドレスも、ホームページで掲載しているものなので、誰かの紹介というわけでもない。そうなるとメールにあったリンクを見るしかない。ということで見てみると、こんな『e-flux』のサイトに繋がったんです。

藤井:展覧会の趣旨が書いてあるわけです。これを見て面白そうだなと思ったんです。自分の関心領域とキュレーターである彼女の問題意識と、この展覧会の中で重なる部分があったんですね。『e-flux』は世界の展覧会のプラットフォームになっていて、中に批評がけっこう載っています。この批評が面白いので、ぜひ英語の勉強がてら見てもらうのもいいのかなと思います。

話を戻すと、先ほどのメールはこのように続いていました。「私は今、上海のプロジェクトに携わっています。建物は、租界地区。1849年から1946年の復興西路にあります。この建物の歴史として伝えられていることは、とても興味深いです。当時の知識人のサロンとされていますが、実はそれは1930年代…」というように、プロジェクトの説明が始まるんです。僕のことをパーフェクトに知っているんですよ。実際に、メールの中でも「あなたのホームページやYoutubeのインタビュー動画は全て見ました」という感じで来るんですね。それで気になって、「面白そうなことをしていますね」とこちらもメールを返してしまうわけです。

そうするとメールのやり取りがあって、知らないうちにzoomのミーティングが開かれて、コロナ禍なので移動できないので、3D映像みたいなもので展覧会会場を観て、「じゃあ、この場所にこうで…」みたいな感じで、展覧会が実現していったわけです。ここで私の方で強調したいのは、このようなメディアテクノロジーを通して、コロナ禍でも海外と繋がれるし、海外で展開できる。という話ではなく…そもそもアーティストとキュレーターは問題意識や関心を共有していくプロセスがあるんですよ。そこが大事なポイントかなと思っていて、先ほど盛さんも「フランスにおいて活動する中で、自分の作品を言語化できるようになった」というお話をされていたと思うんですが、キュレーターと対話をするというところがポイントになってくるのかな思います。

もう一人、別の香港のミュージアム『M +』のキュレーターから、これから行う別の展覧会の開催に向けて送られてきた最初のメールもご紹介します。メールには、こういうことが書かれていました。「この展覧会は、アジア、特に東南アジアにおけるディアスポラの複雑さを検証し、国籍、アイデンティティ、コミュニティ、共有する価値観の争いと流動性を解きほぐすことを目的としています。私はあなたの作品『無常』に特に興味を持ち、この展覧会に含めることが可能かどうか知りたいと思います」と。これは翻訳機でパッと略したものなので日本語としては少しわかりにくいかもしれませんが、それにしてもこの一文をさっと理解し、共有することが果たしてできるでしょうか?ということなんですね。おそらく、私が日本で学んだ美術教育の中ではこの問題意識はないんですよ。現在においても日本の文化や教育において東南アジアの移民問題に目を向けるという眼差しは、普通、そこまで育たない。そういう環境に私たちはいるわけです。それなのに私はどうしてこのキュレーターが求めるような答えを作品として作っているのか?さらに言えば、ディアスポラの複雑さを日本において探究しているのか?

先ほどの上海のキュレーターからのメールに「租界地区」とありましたが、あれが何かと言うと、かつてフランス、アメリカ、イギリス、日本が中国側に無断で不法占領した移住地なんですよ。そういう帝国や植民地の歴史というものに、なぜ私は興味があるのか?これは多分、フランスでの個人的な経験が作用しているのではないか?というところが僕の見立てで、非常に長い前置きになりましたが、ここからフランスについて話をしていきますね。

私自身がフランスに行ったのが、1995年。日本の大学には全然行っていなくて、そのまま向こうの美術予備校に入って受験をするというちょっとヘンテコなルートを辿っています。そのフランスの予備校でエルンスト・ゴンブリッチの『美術の物語』とかをひたすら読んで覚えるということをしていたんですが、私が入学しようとしていた美術大学はなかなか特殊で、課題図書があるんです。3冊くらい候補があって、その中から1冊を読んで、最終面接で自分がどのように読み解き、それをどう考えたか、ということを話す対話形式の試験があって、どんなに実技が良くてもその面接を通らないと入れないんです。

その時に課題図書の一つだったのが、社会学者であり思想家のピエール=アンドレ・タギエフの『人種差別』という本だったんです。これを美術の予備校で先生が議論するという、日本の美術とは違うところなのかなと。ちょっと思い出話をしましたが、大学に入学すると、古いかもしれませんが、例えばニコラ・ブリオーが『関係性の美学』という話を語りながら、「これから『パレ・ド・トーキョー』を作るんだ!」という話をしているんですね。この『パレ・ド・トーキョー』というのは、パリにある美術館なんですが、僕ら美大生というのはどこの国でもひねくれているので、ニコラ・ブリオーの靴がニューバランスだったんですけど、それが本当にいつも新しくて、それに対して「新しいってなんだ…?」と話していたことをよく思い出します(笑)。

一方で、ニコラ・ブリオーとは別の授業で、映像作家のジャン・ルーシュという人と一緒にパリの刑務所で囚人たちと一緒に映像作品を作ったりしているアラン・モロー教授がいて、ある日授業で彼がこういうことを言ったんです。「考えて欲しい。どうしてこの美術大学に今、ブラックがいないんだ?」と。ブラックとは、黒人のことです。これが授業の課題です。「今、自分たちが呼吸している空間に不在なるものは何なのか?見えないものは何なのか?」これを考えるということは、簡単ではないんですね。友人たちと一緒にそれをディスカッションするわけです。そうすると、見えてくるものがあります。それは、長い植民地の歴史によって打ち立てられた西洋美術史というもの。さらには、人種的抑圧を拡張させ、加担してきた視覚芸術というものが見えてきて、さらに言えば、その連続の中にある美術大学というものが見えてきて、さらに言えば、美術大学を支える現代の美学制度というものが見えてくるわけですよね。そして、「その中にいる私たちって何?」という問いが生まれてくるわけです。

この自分自身が呼吸する場をブレヒト的に言うと異化するというか、時間的にも空間的にも距離をとって見直すという、そういう視点があるが故に、先ほど私がお話した香港や上海のキュレーターが感じる移民をめぐる様々な問題であったり、そういったものを作り出してきた近代の歴史であったり、そういうところと交差していく。ただ単に、自分が今いるこの空間を問い直すだけで繋がるんです。これは海外に行くから彼ら、彼女らと繋がれるわけではないのだと思うんです。認知革命をどこで起こすか、ということなんですね。それが僕は海外に行かないとわからなかったですし、そういう教授に出会って分かったということはあるんですが、実際にはその必要はないんです。どこにいてもこれは理解できるし、理解しないといけない問題なのかもしれません。ただ一方で、この不可視なもの、不在なものを可視化するということは今の状態に変化を及ぼす可能性があるんですね。つまり、今は安定的に保たれている状態が、抑圧され隠されているものが見えることによって社会が変わってしまう可能性がある。そういう社会的、政治的な力によって抑圧されている可能性もあるんですね。緊張感が生まれる。

私の作品に『核と物』という作品があるんですが、福島で地元のキュレーターや国立美術館のキュレーター、政治学者や建築史学者、人類学者などさまざまな方たちを交えて議論した物です。実は、このプロジェクト自体は日本で制作したんですが、制作費を出してくれたのは日本ではないんです。もちろん、福島県立博物館の方がいろいろ協力してくれたのですが、これを開催したのが東京オリンピックの前で、福島の原発をめぐる問題を支援してくれる公共機関や助成金はなかったんです。そういう状況下にあって、フランスとサンフランシスコに拠点を持つ『カディスト・アート・ファウンデーション』という芸術財団がこのプロジェクトを「面白そうかも」とサポートしてくれました。

ここで海外への展開ということを考えた時に、ある時経済的に、社会的に、政治的に、知的探究が限界地点に達した時の避難場所としても海外という選択肢があるということを、どこかで覚えておいてほしいんです。自分の表現が、日本あるいは自分の暮らす地域の価値観に収まらない時が必ずあるはずなんですね。そういった時に、「その地域よりも外の世界がある、関心を持ってくれる人が少なからずいるかもしれない」ということを思い出してくれるといいかなと思います。

藤井:このプロジェクトなんですが、今度はパリで個展をしようということになり、盛さんも学ばれた美術学校のボザールでいろいろなディスカッションを組んでいったんです。このディスカッションを記録して、さらに『解剖学教室』という作品に作り上げていきます。これを、今度は東京都現代美術館に持っていくと。ある種の循環というかな…。最初は日本の公共機関では作りもできないし、発表もできなかった作品が海外という迂回路を通って逆輸入されるかたちで原発問題を考えていったと。芸術の面白いところは、原発問題と簡単には言うけれど、原発をめぐる議論は哲学者とかもいるので、もっと伏線的な議論に発展するんですよね。ただ単に一般的に語れるような原発問題ではない広がりと、芸術が持つ交差性みたいなものが含蓄されていく。それ故に、先ほどお話した上海での展覧会は震災や原発とは全く関係ありません。ですが、この時の『解剖学教室』を明日から上海で展示するというわけです。こういう芸術が持つ弾力性や柔軟性をお話してみたかったということです。それを学べたのが、今考えるとフランスでの経験だったのかなと、まとめてみました。

中川:お見事ですね。素晴らしいプレゼンテーションをありがとうございました。お二人の話をお聞きして印象的だったのが、盛さんがアーティストとして自覚したのが納税の申請書に名前を書いたというエピソードだったこと。藤井さんが私たちには想像できないのですが、自分たちがいる場所と時間的にも空間的にも超越して、繋がっていくことがあり得るということを教えていただいたのですが、発表するための資金や財源というお話にもなったことが印象的でした。お二人のお話の共通点としては、フランスで教育的に学ばれたこともあると思いますし、日々の実生活で学ばれたこともあるのだと思いました。

盛さんは、ボザールとパリ第8大学に在学されていて、その中でご自身の作品のセオリーを学ばれて作品を展開されていったということがあると思うんですが、何か印象に残っているエピソードはありますか?

盛:いくつもありますね。亡くなってしまったんですけど、在学中にクリスチャン・ボルタンスキーのクラスに在籍していました。彼の教室には、イスもテーブルも何もないんです。学生が自分で持ってきた作品のプランを持ち寄って、地べたに座って、冬は暖房も切られていて。地べたに座って、禅問答のようなことをした記憶があります。中でも思い出すのが、紙の上にちょろちょろっとクリスチャンが描くんですね。「これは、潰れた蛙なんだ」と。これを「生き返らそう」という設問であったり。そこから始まるプロジェクトの種をみんなで見つける、というような。そういうことをした記憶がありますね…。これは先ほど藤井さんも言っていた「不在の認知化」みたいな、ないものを表すもののメソッドなのかなと。これは本当にものを作るとか、抽象的なものを作るためのメソッドですよね。ここで言うとキリがないのですが、そういう訓練みたいなことをたくさんしましたね。

藤井:ボルタンスキーのクラスに、私も一時期入ろうかなと思っていたことがあって。でも、今の「蛙を生き返らそう」みたいな話を知っていたら、入りたいと思わなかったかもしれないですね(笑)いや、冗談です。でも、その中で対話であったり、コンセプトを言語化したりというところは、フランスらしいというか欧米的な発想ですよね。僕もどちらかというと、それまでは感覚的に作品を作っていた部分もあったのが、「まず言語化する」という考えになったのは、フランスで学んだからかなと。今はそれが、作品作りの前提になっていますからね。

中川:多摩美術大学で学ばれていたことと、フランスでの学びの様式がそもそも違うと思うんですが、その違いに驚いたりもしましたか?

盛:僕は違いを探しに行ったというよりも、「日本と外」というように相対化している自分を変えたいというか。大きなアートのフィールドで、作品作りをしていきたいと思っていたところで、今みたいな考えを解消することが目的で海外に行ったという感じで。だから、学ぼうとする意志みたいなものはどこの国の学生も同じなんですけど、そこにアプローチするためのメソッドみたいなものが違いますよね。僕はその長い学生期間の中で、そういうとこをほぐす時間になったのだなと思いました。

藤井:こういう話をしていると、「フランスの教育がいい」みたいな話になりがちなんですが、ひどいところもいっぱいありますね。適当だからね、向こうは(笑)。

盛:はい(笑)。とにかく「これが美術の教育だ」みたいなものがないですよね。時代の中で変化していくアートというものを教えるという挑戦ですよね。その中で成功したり、失敗したりしながらいろいろ変化があるというのは感じます。

藤井:そうですね。「何か一つのメソッドを修得するというような手業みたいなものはあるでしょう」みたいな話から始まるんですよね。「その次に何があるの?」というところがあって。私自身、今でもフランスと関係がある理由としては、美術だけで美術を考えないからなんですよね。美術だけで美術は完結しないし、例えばこういう今日のスペースであっても、さまざまな人が交差する美術の場でもあったりするので、常に更新され、外部と接する美術があって、そこで変化していくということがあるので。

一方、日本はそこに対して縦割りで映画であったり、美術であったり、舞台であったりと分かれているというか。もちろん、日本の美術史を遡れば、その辺を脱構築しようとしたアーティストもいっぱいいます。でも、制度として縦に割れてしまっているというところがなかなか難しいところかなと。

中川:なるほど。あと、お二人にお聞きしたいのですが、「日本人であることが当たり前でマジョリティである」という場所を抜けた時に、自分がマイノリティとして経験することであったり、自分が部外者であって、外からどういう風に見られるかというような眼差しを直に感じたりということは、国外に出て初めて体験できることかなと思っています。とはいえ、そこでどのようにコミュニケーションをとるのかという体験によって、例えば藤井さんのようにメールでキュレーターと意見を共有し合うというところに繋がるのかなと思います。

お二人は、自分が日本人の作家であることが、国外での評価に関与していると思いますか?それとも「日本人の作家である」ということを無しにして、欧米の美術史の系譜として評価されていると思いますか?

盛:フランスというか、ヨーロッパで活動している時に「日本から来た日本人である」ということを意識することは、日常においてかなり少ないです。そもそも、フランスには世界中から来た異なる由縁を持つアーティストであったり、亡命してきたアーティストであったりがいます。そこで話せる場所があれば確かに話せるかもしれないですけど、同業者と一緒にいる時に日本人であることを意識することはないですね。故に、学生の時は僕が日本のことを本当に知らないなという自覚であったり、今もそうですけど、知りたいなという欲求や興味みたいなものであったりは常にあります。そういう思いから、日本人であることを感じることはありますね。

藤井:僕は、ちょっと違う印象を持っています。確かに、美術やアートに関わっている人たちは、そういったいわゆるマイノリティがいっぱいいるので、その辺は心地よいというか。ただ、フランスという国自体で見ると違います。私は2005年に日本に戻ってきましたが、それまで95年から2005年にかけての反移民や反難民に対する感情というのは、年々憎悪が増大していくという時代だったと思います。

今、『ビエンナーレ』や『トリエンナーレ』などの世界の芸術祭において、反移民、反難民、あるいはレイシズムというものが主要のテーマになっているということは、まさにヨーロッパが内に秘める暴力性が世界的な問題にもなっています。それが少なからず日本やアジア全域に伝播しているなと。なので、我々美術界はそこの問題を乗り越えられたかもしれないけれど、社会という大きな枠で見た時にはどうなのかな、というところがありますね。

質疑応答

中川:向こうでの美術界のお話が出たので、事前に参加者の方からいただいていた質問をここで読み上げてみたいと思います。

「私は大学を卒業した後、カナダへ渡航し、ニューヨークでグループ展に参加し、その後も海外で活動を広げていこうとしましたが、信頼できるギャラリーや美術関係者に出会うことができず、一度挫折した経験があります。海外を視野に入れたキャリア形成となると、現地の信頼できる人に出会うことができないと難しいのではないかと考えています。みなさんは、キャリア形成のためにどのような人付き合いをしてきましたか?」このような質問をいただきました。それでは、藤井さんからお答えいただけますか?

藤井:私は、キャリア形成のために人付き合いはしません!

中川:なるほど…(笑)。

藤井:いや、キャリアを形成するためにどうしたらいいのかという問い自体が、なんか僕はダメなんですよね。

中川:その問い自体が、定めを間違えているという感じでしょうか?

藤井:プロフェッショナルな関係は、もっとサバサバした利害関係であるのが良いのかもしれないんだけど、僕はあまりそういうのを知らないんですよ。自分の周りの人とは、そういう利害関係ではなく芸術的な価値の追求の中で、先ほど言った問題意識の共有であったり、関心の共有であったりというところが起きて、それで付き合っているところがあるので、キャリアを形成するための人付き合いというスタート設定にした時に、本当に人と出会えるのかなと感じてしまいますけどね。

でも、みんなはそうしているのかな?「この人と知り合っておけば得だよ」みたいな風に名刺交換とかするんでしょうね、本当なら。

中川:私はしないよりもした方が良いのかなと思うタイプなんですけど(笑)、多分この方は、作品の発表の機会をもっと増やしたいという思いがあったのかなと。盛さんはフランスでの所属ギャラリーがありますが、転機になるような出会いがあったなどのエピソードがあれば教えてください。

盛:今の活動が全て過去の活動の積み重ねであったり、崩れた部分であったりと、全部の総体だと思っているんですが、僕も先ほどの藤井さんの答えに類似するところがあります。アートという業界でいうと、そんなに大きな産業ではないわけです。世界的に見ると大きな産業かもしれないんですけど、個別の国で見るとまた違くて、そんな中で明確化されていない「どのようにしてアーティストになるのか?」や「どのように活動していくのか?」というところは、本当にアーティストによって千差万別で。今、フランスでちょうど年金制度改革の議論が行われていて社会運動が起きていますが、アーティストは「自分がアーティストである」という自覚がある限り作品を作り続ける人だと思うんですよね。

そんな中で、ゆっくりと早くというか、早くゆっくりというか、自然となっていくものだと思うんです。そのためには、日々興味があるものや、作りたいなと思う意志や、藤井さんのおっしゃるところの問題意識というか…そういうものの方が大切だと思うんですよね。消させられない燃料を持っているかどうか?他人から見たら既に消えていると思われているかもしれなくても、自分の中で燻っていればそれが燃料になっているのだと思うので、それが活動のエンジンになっていくのではないかと。ごめんなさい、抽象的なことしか言えなくて…。

中川:せっかくなので、会場にいる方からも質問を受け付けましょう。

質問者A:中川さんに質問を読んでいただいた者です。お二人とも、質問に答えていただきありがとうございました。

中川さんに質問があります。「日本の外に視点を持つことを知ってほしい」と先ほどおっしゃっていましたが、日本人ならではの視点やフランス人ならではの視点の傾向などはあるとお考えですか?

中川:日本だけであり得る視点と、フランスだけであり得る視点というのは、わかりやすくあるようなものでもない気がしています。すみません、ちょっと考えさせてください…。

司会:次に、事前にいただいていた質問をお読みします。

「これまでにご自身の感覚や感性において、人生におけるバグが起きた瞬間があれば教えてほしいです。青天の霹靂のような、体にバチバチと電気が流れるような瞬間です」とのことです。

中川:それでは、盛さんからお願いします。

盛:それ、毎日ありそうですね(笑)。でも、生きるということはそういうことですよね。世界で起きている複雑な出来事に、僕は毎日のように「これは初めてじゃないか」というように感じています。自分を決定づけるエラーみたいなもので言うと、僕は偶然日本で生まれて自分の意志でフランスに来たということとか…。うーん、それも全部そうですよね。わからないですけど、日々思うのは「本当に世界は複雑だな」ということです。それが、僕にとってのエラーやバグかなと。

藤井:盛さんが素晴らしい回答をされた後に、ちょっと答えにくいですね(笑)。でも、本当にそうですよね。エラーやバグというと、大きなトラウマのような出来事を探し出そうとしてしまうんですが、実際の私たちの精神は日々の出来事によって再フォーマット化しているので。あえて言えば、この歳にもなって「僕は美術家で良かったのかな」という風にバグっているんですよね。この僕の人生自体、すごいバグなのではないかなと思うんです(笑)。

盛:それ、すごくわかります(笑)。

中川:会場の方もけっこう頷いてらっしゃいますね(笑)。

盛:ただ、知ってほしいのは、そういうエラーを携えていれば、「職業はアーティストです」と言える、この時代に生きていけるというリアリティ。こういう人間が数人ではなく、アーティストの中にはけっこういるんですよ。エラーを起こしたリアリティの中で生きている人がたくさんいて、けっこうまともだと。僕はよく「どうやって生きているんですか?」ということを聞かれるんですが、「これが僕にとって一番楽な生き方だったから」と答えます。なので、そういう生き方が楽だと思う人は、そこに足を踏み入れてはいかがでしょうか?

藤井:そうですね。あとは、存在がそもそもバグであるアーティストたちは少なからずこの世界に生存している。これは肯定的に考えたいし、一方でバグを起こしている者たちだけでは絶対に生きられないんですよ。そこで、中川さんのようなキュレーターの方が「このバグ面白いでしょ」というようにアーティストと社会を繋げてくれたり、こういったスペースで表現する場を作ってくれたり。そういうダイナミックな仕組みがあるからこそ、バグが生成できるというのはありますよね。

盛:そうですね。アートは、大きな共同作業の中で起きるエラーという感じがしますね。

中川:ありがとうございます、とても収まりの良いお答えをいただきました。そうですね、私たちが縦割り型の息苦しい制度の中でバグを起こして、少しでも大きな波にできるように緩やかに繋がれたらと思います(笑)。

盛:最後にひと言だけ良いですか?ジャコメッティの話なんですが、僕のアトリエの近くにジャコメッティが住んでいた場所があるんですね。当時のアトリエはまた別の場所に移築されているんですけど、とてつもない環境なんです。アトリエの中に草が生えている状況なんです(笑)。それが、かつてのアートの状態だったんですよね。

それに比べたら今は、どうでしょう?つまり何が言いたいかというと、「生きていく中でアートをやる場所の素地がある」ということを信じてほしいというか、「大丈夫だよ」ということをちゃんと言いたいですね。アーティストの家に草が生えたり、病気でも薬が買えなかったり、みたいな時代からは変わりつつあるので、社会が変わってきているということを知ってもらって、この世界に足を踏み入れることに躊躇されている方は、一歩足を踏み入れてはいかがでしょうか?

藤井:それはね、フランスにいるから言えるんですよ(笑)。

盛:僕も登壇者ですが、藤井さんに質問があります。圧縮して伝えますね。

藤井さんの作品群の中で、外に出すことはできないけれど作品になっているものはありますか?

藤井:いや、ないですね。それはどうしてかと言うと、「とにかく外に出す」というのが僕の起点になっていて。というのも、これまで構想の段階で「これは無理、だめ」となってしまったものがあまりにもいっぱいあるんですよ。つまり、出せない作品があるとすれば構想の段階である種殺されてしまった作品たちがいるんですね、たくさん。それは社会的、政治的な緊張感が生まれる問題があったりするので、どうしても出せないと判断されてしまう場合もあって。

それでも常にフランスが助けてくれるという考えもあるし、考えるんです。「今、ここはソビエトのスターリン時代だったらどうだろうと。その時代でも、何十もの検閲をくぐり抜けてアーティストたちは表現をしてきたと」。そういう世界は今、中東でもあるし、世界のほとんどがそうなんですよ。ヨーロッパは西の岬で、ある程度自由が確保されているかもしれないけれど、地球規模で見た時に出せない作品がたくさんある。それをいかに世の中に出すかというところが、僕の中でもう一つのクリエーションになっていて…。なので、見せるというところに僕はこだわって、僕の作品がアトリエやスタジオの中にだけあるのは違うなと思っています。

盛:藤井さんの作品は確かに、バックヤードから作品を見ることができている感じがしていて、それだなと思いました。

藤井:盛さんは、そういう作品があるんですか?デュシャンみたいに死ぬまで隠して作っている…みたいな(笑)。

盛:僕も藤井さんと同じで、そういうものはないんです、全部出したいんです。そもそも下書きとかが持てなくて、全部芽吹いたものが顕在化しているというか、晒されている状態になっていますね。

中川:ふと思い出したんですが、すごい昔の話になりますけど、私がまだパリに住んでいた時に「不可視の部分が美術史に追加されていく」とおっしゃっていたんですね。作品名は忘れてしまったのですが、土の中に埋まっている作品があって、「それは誰にも見られないけれど、そこに存在しているんだ」というお話をしてくださった記憶があります。

盛:それが可視か、不可視かということがそうですよね。圧倒的なリアリティとして在るという出来事。それはもう作品ですよね、見えていなくても。地球の5000メートル下に埋まっていたとしても。

藤井:なるほど。そういう意味においては、作品自体が誰かに見られる、見られないという問題を超えたところに作品は成立しています。つまり、誰が見ようが見まいが、まずは他者としての自分がいて、そこで作品が現れるというのがあるので、この社会が存在しなくても作品としてある。アートは、コミュニケーションではない。僕たちはコミュニケーションではないものを含蓄しているので、在るだけで完結している部分はありますね。

司会:盛り上がってきていますが、ここで一旦閉めさせていただきます。中川さん、盛さん、藤井さん、ありがとうございました。


中川さんレクチャー参考資料

平成24年度文化庁委託事業諸外国の文化政策に関する調査研究(平成28年度一部改訂)「諸外国の文化予算に関する調査報告書」https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/pdf/h24_hokoku_3.pdf
文化庁令和5年度(2023年)予算(案)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/yosan/pdf/93811701_01.pdf
2023年度フランス文化省予算案
file:///Users/chiekonakagawa/Desktop/Budget%202023%20du%20ministe%CC%80re%20de%20la%20Culture.pdf
Chiffres clés, statistiques de la culture et de la communication : édition 2022
https://www.culture.gouv.fr/Thematiques/Etudes-et-statistiques/Publications/ouvrages/Chiffres-cles-statistiques-de-la-culture-et-de-la-communication-2012C-2ol0le2c2t/ioCnhsi-fdfr-es-cles-2022
Cnap 公式サイト
https://www.cnap.fr/ressource-professionnelle/produire-vendre-diffuser/atelier-et-logement
RAPPORT: Etude sur les modalités d’attribution et d’occupation des ateliers d’artistes dépendant du parc social de la collectivité parisienne (2009 octobre)
https://cdn.paris.fr/paris/2022/06/15/1af9e29e3242ca4aa6f94f137ad57e0f.pdf
Le site officiel d’information administrative pour les entreprise(芸術作品と楽器の企業の減税措置について)
https://entreprendre.service-public.fr/vosdroits/F32914


応募情報について

●応募受付期間

BUG Art Awardの開催は年1回を予定しており、第1回の応募受付期間は、
3月1日(水)10時から 5月17日(水)17時です。

●応募要項

BUG Art Award特設サイトをご確認ください。
https://bug.art

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

\要予約!BUG Art Award関連イベント/

本イベント以外にも、審査員やアーティストらを招いたトークを開催します。
ぜひ予約してくださいね。
イベント詳細はリクルートアートセンタープロジェクトのサイトにて、順次お知らせします。

・3/16(木)「国外での活動を射程に入れることについて 〜フランスでの実践を例に、海外展開の可能性を考える〜」
中川千恵子(審査員)×藤井光×盛圭太


3/20(月)「ポートフォリオ作成に関する基礎講座(オンライン開催)」
菅亮平


・3/24(金)「アーティストのための近代美術史~過去の芸術家たちの挑戦から見えてくること~」
横山由季子(審査員)×末永史尚


・3/30(木)「人と機械の交流は作品に何をもたらすのか?〜AIや装置、VRなどの技術を使った表現について〜」たかくらかずき(審査員)×やんツー

・4/6(木)「オルタナティブスペースのいまむかし、そしてこの先」
菊地敦己(審査員)×久保寛子×長谷川新


・4/13(木)「美術と社会およびジェンダーの関係性」
内海潤也(審査員)×百瀬文×原田美緒


・4/20 (木)「アーティスト4名による公募トーク」
うらあやか×黑田菜月×田中義樹×吉田志穂

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私たちは、このアワードを通して、一人でも多くの未発掘の才能に出会えることを楽しみにしています!
みなさまのご応募を、お待ちしています。

#BUGArtAward #art #アート #現代アート   #アートアワード #competition #コンペティション #アーティスト #応募 #award #アワード