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8月は命を考える一ヶ月

8月は私にとって『命を考える一ヶ月』です。

自分の誕生日で生まれてくることを少し考え、

その翌日は広島の原爆の日です。広島で子ども時代を過ごし、熱心な平和教育を受けた私はこの日を忘れることはできません。

9日になれば長崎を考えます。

15日は終戦記念日。母曰くこの日が私の出産予定日だったらしいので、何となく身近に感じます。



そして今日19日。これは世間では平日ですが、私や家族には大きな意味を持つ日です。

実は、わたしには、わたしが生まれる前にこの世を去った叔父がいます。

母の弟です。その母の弟の命日。

本人が大学生の時に亡くなったそう。

事故でもなく、

長く病気を患っていたわけでもなく、

突然倒れて、病院に運ばれて、一時は回復したようですが、その後急変して、そのまま。

大学生らしく、アルバイトをしていて、倒れる前日には友達と海にも行っていたそう。


母も思い出すと辛いのか多くは語ってくれないし、その時のことは「亡くなったおじいちゃんがお医者さんから話を全部聞いて、そのままひとりであっちに持ってっちゃったから、知らんのよ」としか言わないので、私も妹も多くは知らない。

ただ、ぽろっと、亡くなる直前に母に

姉ちゃん、俺、死ぬんかな

と言ったと昔聞いた。

そんなこと全く考えていなかった母は

「何言っとんの!」

と、笑ったそうだけど、「後で考えると、本人も何かがおかしいって思うことがあったのかも知れん」と呟いていました。

他はほとんど聞かされていなくて、命日の日に祖母と電話で話しているのを陰でこっそり聞いて知ったことがほとんどです。


それでも周りから話を聞くと、叔父は

とにかく賢かった(実際、県下で指折りの進学校に行っていた)

背も高くてすごくモテた。私としては母の血縁で?と疑いたくなるのだけど、バレンタインにはチョコレートを袋でもらってきていたらしいし、写真を見るといつも女の人がそばにいるので、あながち間違いじゃないのかも。

とにかく優しくて気の良い子だったけど、高校生なのに隠れて部屋でお酒を飲むようなちょっとした悪さも持っていた

母が地黒なのに対して叔父が色白だったり、気が強い母に対して真面目で穏やかだったので、周りがよく「2人逆だったらよかったのになぁ」と笑っていた

など、聞いているだけで大好きになってしまうような人。

祖父が生きていた時も「叔父さんがおったらお前ら2人をよく遊んでくれただろうなぁ」と言っていました。


そんな人が、そうじゃなくても大学生の、何の持病もなかった人の命がある日突然パッと消えてしまうことがあるのか…

まだまだ遊びたい、いろいろな経験をしたい頃だったろうに、それが奪われた。

世の中には嫌なこともあるけどいいこともいっぱいある、夢も希望もあふれていた頃に突然この世を去る現実。

本人はどんな思いでお空へ帰ったんだろう。

この想いは、私が叔父が亡くなった年齢、21歳になった時からずっと持っている疑問。答えが返ってくることのない疑問。


私がその21歳になった年の夏の8月19日、私はアルバイト先の仲間とプールに泳ぎに行く予定を立てました。

いつもなら特に反対しない母がこの時ばかりは猛反対した。

最初理由が分からなくて、「なんで?」と聞いたら

21歳の夏、しかも8月19日はおじさんが亡くなった日や。それもバイト先の友達と海に行ったあとやった。あんたも叔父さんと一緒で夏生まれで、今大学生。

下らんと思うかも知れんけど、色々条件が似てる。偶然でも何でも不幸は重なる気がする。行くなら他の日に行って

そうだった。子どもの頃は日にちはよく知らなかったけど、すぐに納得した。

日にちをずらして欲しい理由が重いかなと思って最初は戸惑ったけど、他にいい理由がなかったので素直に友人にもこの話をしたら、「それは心配やから別の日にしよう。シフト調整して」と言ってくれました。他に2人いましたが、全員同じことを言ってくれました。



祖父母にとっては息子で、母の弟ということもあって、私も妹も子どもの頃から法事も命日も欠かさず参加して手を合わせていました。もちろん父も。


最初は本当に幼かったですが、偶然お寺が母体の幼稚園に2人とも通っていたこともあり、お経を聞き続けることも焼香することも慣れていたので不思議に思わずやっていました。とりあえず「おばあちゃん家に行ったら『おかあさんのおとうと』にごあいさつする。ようちえんの『しんらんさま(親鸞和尚)』と一緒」と思っていました。

じきに、母の血を分けた弟と言う人が昔いて、私たちが生まれる前に亡くなってしまった。そのことは祖父母にも母にも大きな傷になっていることが理解できるようになりました。死んだらみんなが悲しい思いをすることが簡単に理解できた。

叔父が亡くなった時、祖母は倒れたそうです。その後半狂乱でおかしくなるほど泣いたそうです。

母は「心が千切れると思った。身を裂かれるように悲しかった。」とこぼしていました。

日航ジャンボ機墜落事故の1週間後だったそうで、祖母も母もいまだにそのニュースを見ると辛くて顔を背けます。


このように叔父は私にとって、

写真と周りの大人の話でしか知らないけど、子どもの頃からずっと「命」というものに向き合わせてくれた人。

母はこの経験から「どんなんでも、生きていたら何とかなる。元気な体があれば働ける。死んでもうたらそこで終わり。夢も何もかも消える。命は粗末にしたら絶対いかん。親より先に死ぬこともしたらいかん」と幼い頃から私たち姉妹にずっとずっと言い聞かせてきました。


頭が良くて、温厚で、同性からも異性からも好かれた叔父。

その短い生涯は楽しかったですか?

ある日突然消されてしまった命の火、消されて悔しくなかったですか?

もし生きていたら何をしたかった?

結婚したかったよね?子どもも欲しかったよね?

今はおじさんが生きた昭和なんかとっくに終わって、平成も終わって、令和という時代になりました。

未知のウイルスで世界が混乱しているけど、天国ではこの状況がどう見えてる?

みんな慌てとるなぁとか思ってる?

一目会ってみたかったなぁ、どんな声で話してたんかなぁ、どんな考え方を持ってたんかなぁ

小さい頃なら祖父が言っていたように一緒に遊んでくれたんかなぁ?

受験や就職の時は相談に乗ってくれたんかなぁ?

聞いてみたいことがいっぱいあるのに、ちょっと現住所が遠すぎて、さすがにネットでも繋がれないなぁ…

天国にも電話なりLINEなりできたらいいのに。




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