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【企画】忘れられない外国人のあの人〜あの2時間で私はこの滞在の全てを確信した

チェーンナーさんの企画、第二弾です。

忘れられない外国人のあの人のことについて書く企画。


以前、とある生徒のことを書きました。

この学生は今でも私と連絡をとっているどころか、オンライン日本語学校を教えてくれた先輩でもあります。

この彼もすごく印象深いですが、もう2人、いや4、5人いますがそのうちの1人について。

同じくメキシコ人の(♀)

私がメキシコに到着して初めて会った人がEです。


私はメキシコへは大阪伊丹空港→成田空港→カナダ・バンクーバー経由で行ったのですが、

成田で飛行機が故障し、離陸できない状況になりました。

搭乗の案内から、座席に座りシートベルトをしていざ出発!と思ったのに、飛ばない。周りも不思議がりながらも飛ばない。少しして機長からアナウンスで「機体の不備によりただいま点検作業を行っております。皆様の安全のためにも今しばらくそのままでお待ちください」との案内。

あらー、と同時になにやら白い気体が…「大丈夫か!?まだ飛び立っていないから外には出られるけど、どうなるこの旅!?」と思いながら、座ってベルトも外してはいけない状態で2時間、待たされました。うそでしょー・・・


現地では学校の校長先生が「当日は到着時にスタッフのEを迎えに行かせます。彼女は日本語に全く問題がありません。」と連絡をいただいていたのですが、この時点でそのEの連絡先はわからないし、まずは校長先生に連絡。時差の問題もあるのでメールで状況を報告。


その後無事、離陸。

実はこのメキシコ渡航が私人生初の海外一人渡航だったんです。それまでは学校単位や友達と海外へ行っていたので一人移動でこれって!!と先が思いやられる気がしました。

とりあえずカナダまでの9時間は記憶がありません。笑 寝てた?

その後、バンクーバーでものすごく急いで乗り換えをし、最終目的地、メキシコシティを目指しました。

そして、予定から遅れること2時間強。やっと到着!!

もともと到着が夜7時くらいだったんですが、さらに2時間以上遅れているのでもう10時。

さらに、空港は着いたらそれで終わりではありませんよね。入国審査やらいろいろ手続きがあります。荷物も拾わないと。

なので出られたのが11時すぎ

やっと…と思ってゲートを出ると、学校の札を持った人が明るくキラキラした顔で待っている。

私が近寄ると、

あ!knk先生ですか!お疲れさまでした!初めまして、Eと申します!遅かったんですね!

と話しかけてくれました。

初めての海外一人渡航で思わぬアクシデントに遭いながらやっと到着した先でのこの笑顔と日本語はすごく安心しました。

その後私もあいさつをし、移動。

「遅くなってしまいましたから、もう私たちの街へ行くバスがありません。まずは隣のプエブラという町までのバスはありますから、そこへ行きましょう。そこでN先生(校長先生)のご主人が車で迎えに来てくださいますから、そこから私たちの街へ行きます。」

と説明を受けました。

それから、そのプエブラという町へ行くにもバスの時間が出たばかりで次は1時間後。仕方がないので、二人で話をしながら待ちました。

到着遅延の理由を知らなかったEはとてもびっくりしたそうですが、

時間になってもknk先生の飛行機の便が出てこないからどうしたんだろうと思いました。でも、N先生が選んだ人だから絶対間違いないと思って、私はその先生が到着するまでは絶対ここから離れちゃいけない、待っていようと思いました。初めてメキシコに来るのに不安だと思ったし、私がここで待っていないとこまるでしょう?

すごくうれしかった。緊張の糸が解けていく感じでした。

後日確認したら、校長先生のところにメールは届いていたんですが、確認ができていなかったそうです。

それとともにこんなスタッフがいる学校は、絶対楽しいだろうなとも思った。

それからバスが来るまで、バスの中でも本当にいろいろな話をしました。到着から2、3時間、ずっと話続けた。

Eの人懐っこさのおかげか、初対面なのに、初対面ではないような感じ。

本当にいろいろな話をしました。


JICAの派遣で日本に半年間行ったことがあること、

X JAPANの大ファンであること、(B'zファンの私とはロックで語れた。)

日本が好きでたまらなくて、N先生と出会えたことは奇跡でしかないこと(N先生は街で唯一の日本人です)、

本を読むのが大好きで、川端康成の『雪国』を読んだときは心が震えたこと。私も本は大好きだからそこでも意気投合。

お父さんはいなくて、お母さんが働き、妹と二人、おばあさんとおばさんに育ててもら0ったこと(初対面でここまで聞いていいものかと戸惑いました。苦笑)


本当にいろいろな話をしました。この2時間がまず私たちの中を取り持ってくれたことは間違いない。


それから、滞在中も本当に私のサポートをしてくれました。

言葉は片言ならわかりましたがまだそれほどだったころは通訳を、

現地教師という立場では私が伝えきれない細かな日本語のニュアンスを伝える役割をしてくれました。

また、学校から提供される滞在中の特典として、このEのスペイン語講座を無料で受けられるんですが、話し上手な彼女の授業はすごくおもしろかった。(Eは外国人に対するスペイン語教育の免許も持っています)

でも、「今までの先生はみんなスペイン語が初めてだから、あいさつとか、簡単な表現ばかりだったけど、knk先生はスペイン語を知っているから、質問が難しいです~。私も勉強になります!」といいながら苦笑いしてたっけ。。。笑



そして、何より考え方があまりメキシコ人っぽくなかったのが助けになった。

時間にまじめで、義理は必ず通す。仕事も手を抜かない。パーティーよりも家で本を読む方が好き。

話していると、日本人より日本人みたい。

私は基本的にラテン系の人とは馬が合います。しかし、私がいつもいつもハイテンションなわけではない。苦笑 生徒やステイ先のファミリーのノリが良く、パーティー大好きなのは構わないんですが、職場でもそのような人ばかりだと疲れてしまいます。しかしほぼ2人で作業する職場でEの性格はほっとするものでした。

明るく、パッとした笑顔で笑うところはメキシコ人らしいけど、中身はとても日本的。

「私はここでは先生ですが、本来は日本語学習者の1人ですので、どの日本人の先生にも尊敬の念は忘れません。もちろん敬語も使います。」こちらが「私はこの学校の事はほとんど知らないし、年も下なのでタメ口で」と言わない限りプライベートでも徹底していました。

「日本語学習者たるもの、わからない単語を英語でごまかして使うべきではない。日本語になるものは日本語にして話すべき。」

天晴れです。


彼女の発言で特に印象深かったのが、「日本にいた時の私が一番私らしくいられた。パーティーは強制的ではないし、本を読んでいても何も言われない(メキシコではがり勉と呼ばれ、ちょっと笑われる)。あんな時間はもう来ないと思う。それでも、日本語と日本という世界に出会わせてくれたN先生が作ったこの学校で働かせてもらえるというのは私にとって最高の名誉。N先生は『もっと給料のいい学校に行ってもいいよ、キャリアアップしなよ』と言ってくれるけどそんなことは絶対できない。」というセリフ。N先生への感謝と尊敬がにじみでていました。


全く別の日、別の機会で校長先生も「あの能力の高さでしょう?だから『もっと待遇のいいところに行っていいよ』って私も言うんです。でもEは絶対首を縦に振らないんです。ここが私の仕事だからって。あんなメキシコ人はまず出会えない。私にとっても最高のパートナーですよ」と評していたほど。

お互いをそう評価し合う二人の信頼関係は私にはとてもまぶしかったです。そしてこんな二人の元で働けたことはとてもいい経験であり、財産です。


しかし時は過ぎ、私の契約期間が満了し、帰国直前。

学校が私の送別会を開いてくれました。このE、校長のN先生、その他やさしい生徒たちに恵まれた私は彼らと仲良くなり、また、彼らの友達、兄弟ともどんどんつながっていって、私の送別会はみんな曰く過去最大級の人数が来てくれました。(学校に入り切らないくらい人がきた)


そしてそのEともお別れのとき、私はEに手紙を書きました。声に出して読んだけど、泣いてしまってほとんど言葉にならなかったです。でも感謝の言葉だけは伝えたくて。

Eもそれを聞いて泣いてくれました。そして、

私は日本へ行って本当に日本が好きになった。たくさんの人と知り合った。この学校にもこれまで日本人の先生が何人か来てくれたけど、knkほど仲良くなれた人はいない。knkは私にとって初めての日本人の友達。同僚だったけど、それ以上に友達。やっぱりあの日(初日)2時間いっぱい話してよかったね!」

本当にそうだね。お互い、絶対また会おうね!と約束して私は帰国。


数年後、学校はN先生のご主人の仕事の都合もあって別のところに移転したそうで、Eもそれについていきました。そこは日本語学校がすでにたくさんあり、学校は細々とした経営になってしまったそう。Eもそれでは生活ができないので、日系企業の通訳として仕事を始めました。

そこでEの運命は大きく変わりました。

運命の人に出会ったのです。

Eは私より3つ年上で、出会った時点でメキシコではかなり晩婚の人でした。メキシコ人の結婚は二十歳前後ですが、出会った時点で27歳、それから数年経っていたので32、3歳くらいでした。

私が見たところ、Eは恋愛にも興味なさそうだし、このまま一人で生きていくのかなーお母さんのこともあるしな、と思っていたら、急遽結婚の話を聞きました。

びっくり!!!

しかも相手は日本人!!!

びっくり!!!でもやっぱりな!Eに合うメキシコ人男性っていないもん!(笑)

どんなもの好きなメキシコ人と出会ったのかと思ったら日本人と聞いて納得。

EとSkypeで話したことがあるうちの母も納得。笑



残念ながら結婚式は仕事が多忙を極めた時期だった上に遠すぎて行けなかったのですが、お祝いのメッセージを送りました。

そしてハネムーンはどこにしたのかと言うと、なんと日本

旦那さんの国なのに??これからいつでも来れるのに??

あ、結婚の報告も兼ねて??いや、それなら先にするよな?

と思ったんですが、まぁEらしいなと思っていました。

FBを見ていると旦那さんのお友達に会ったり、沖縄から北海道までいろいろなところを巡っていて、とっても楽しそう。

そんなとき、当のEから連絡が。

knk、次の金曜日、大阪に行くから一緒にご飯食べよう??

Eが大阪!!!食の都、食い倒れの街大阪に!しかし、急!次の金曜ってあと何日?(笑)

でももちろん即答。


当時は日本語学校ではまだ勤務しておらず、別の仕事をしていたんですが、終わるといつも8時過ぎ。それでも待っていてくれると言うので光速(高速じゃなくて)で仕事を終わらせて待ち合わせの場所まで行きました。

待ち合わせ場所で会ったときはお互い気持ちが溢れて荷物も全て放り出して

熱烈なハグ!!!!! @JR大阪駅アトリウム広場

うわああああ、Eだ!

「久しぶり!」

「何年ぶり!?」

「6年ぶりだよー!結婚おめでとう!」


初対面の日と変わらない、マシンガントーク。後ろには笑顔で優しそうな旦那さん(^-^)

こちらはお互い日本人なので、日本式に挨拶。

それからは日本人の旦那さんも馴染みがないけど大阪ではメジャーな食べ物、串カツ屋にお連れし、3人でご飯。

ソースの二度漬け禁止(今は漬けずにかける)に喜んだり、ネタの豊富さ、キャベツでタレを受けるのを喜んだり。


6年間のお互いのことを話し続け、私は聞きたかった2人の馴れ初めも聞き、本当に幸せそうな2人に自分のことのように嬉しかったです。

旦那さん、Eが選んだだけある、穏やかで聡明、しっかりした人でした。

2人を見ているとこっちまで嬉しくなる、そんな2人。

旦那さんに「せっかくのハネムーン、日本でよかったんですか?」と聞くと、「僕ももういい年で、結婚式とか新婚旅行はそれほど大事ではなくて。それより彼女の希望に合わせようと思ったのと、いっそのこと旅行でしか行かない日本、日本のおいしいものを食べ尽くしてやろうと思いまして。」と仰っていました。いい旦那さん!!


knk、何か行動すると変わるよ。私はN先生についてあの町に行ったから彼に会えた。それまでは何となく、一生1人で生きていくと思っていたし、それが私の運命だと思っていたけど、私を見つけてくれた人がいた。

そう語るEは本当に輝いて綺麗でした。


帰り際、「明日は大阪観光するの?」と聞くと、

「ううん。実はもう旦那の家族の家(関東)に戻らなきゃいけなくて。大阪は今日だけ。

でも、これが今回一番のメイン。

knkに絶対会いたかったから大阪は外せなかった。大阪にはknkに会う以外何もいらない。

私に会うためにわざわざ短い旅行、しかも新婚旅行の日程を割いてくれるなんて…。ありがとうとしかいえませんでした。結婚式行けなくてごめんよーと言いながら、最後にお祝いを渡しました。ご主人もわざわざお付き合いいただきまして。。。

やっぱりEは最高の友達だ。

その後E夫婦はメキシコに帰り、私もまた日本で忙しい日々。

すぐに赤ちゃんもできて、元気な男の子の写真を送ってくれました。

それから去年、旦那さんのメキシコ駐在が終わり、日本へ帰国。数ヶ月後、様々な準備を整えたEも赤ちゃん👶を連れて再来日。

いまは家族3人、埼玉県で幸せに暮らしています。


大好きな人と大好きな日本で幸せになれたE。本当に眩しい。

本当はコロナがなければEと息子ちゃんに会いに、今年の春休みに埼玉に遊びにいくつもりでした。しかしそれが叶うのはまだ先となってしまいました…。

でも同じ日本にいると思うとすごく嬉しい!


日本が大好きとは言え外国の地での慣れない子育て、さらにコロナは想像以上に大変だと思いますがそれでも連絡するといつも幸せそう。


Eが日本という国に出会えてよかった。日本も日本語も大好きになってくれてよかった。

私が日本人でよかった。日本語教師という道を選んでよかった。メキシコの求人に躊躇わず飛び込んで良かった。

日本人の旦那さんがメキシコに赴任していて、そこでEという素晴らしい人をお嫁さんに選んでくれてよかった。

N先生がこれら全てのきっかけを作ってくれたのがよかった。

そして日本がこの世界にあってよかった。


このEもそうだし、以前書いたLくん、他にも今まで出会った外国人の中でも何人か「自分の育った場所より日本が生きやすい」という人に私は数多く会ってきました。


自分が自分でいられる場所があるというのはとても幸せなこと。


Eはコロナがどうにか落ち着いたらまず一番に会いにいきたい人です。

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