「共感が大事」なんじゃない。そのくらいしか、使えないんだ。その2

前編はこちら↓

笑い=もっとも難しく、スベって事故って死ぬ

「笑い」も、力がある大きな感情です。「人を笑わせる(だけの)仕事」が存在しているくらいなのですから。
できればいつでも笑っていたい、たとえ無理にでも笑っていたい。

では、人はなぜ笑うのか。原理は、明確に解明されていないそうです。
「ギャップを笑っている」という説があります。
いかにも真面目そうな人がズッこける。そんなことするわけないのに。
そこには、ギャップがある。そのギャップで、笑う。

あるいは、予測が外れていた自分自身を笑っている、という説も。
いかにも真面目そうな人がズッこける。そんなことするわけないのに。
勘違いしていた自分自身の認識の差に、笑う。

だとしても、そもそも、ギャップを見つけたり、認識の違いを見つけたりしただけで、愉快で朗らかな気持ちになることの意味が不明です。
バグか?

また、ド定番だけど笑う、ということもあるでしょう。喜劇であれば、ボコボコに負けた側が「今日はこれぐらいにしといたるわ!」と言わねばならぬし、おでんはアツアツと決まっています。これらは、知っているし、過去に確認済みで、ギャップもないけど、笑うのです。

ローカルネタや同学校ネタも。世代、生まれや育ち、風習や環境でも、笑いのツボは容易に変わります。

ある人物が、どんなネタで笑うかはわかりません。ですがその人物が笑うときには、その人が人生をかけて笑っているのです。

でっかく出されている広告がスベってると、やり切れない気持ちになる
万人を笑わせることはできません。
では、全員ではないけれど、大多数の人が笑ってくれれば良いでしょうか。あるいは、少数とはいえ確実に行動を起こしてくれるターゲットが笑ってくれるなら良いでしょうか。

残念ですが、「笑い」には最大の弱点があります。
それが、スベったとき、お寒い。ということです。

例えば、ターゲット層に対して笑いの感情を呼び起こすことに成功したとしましょう。
ですが、それ以外の人は、どうなるでしょうか。
つまらなかったけど、ナイスチャレンジ! ブラボー! と、擁護してくれるでしょうか。
多くの人は、まったく目に入らないで、無視。
そして一部の人は「う、うわぁぁああ、やっちまってる!! 痛い! 寒い!ツラい!」と、なります。

ビルの壁に堂々と掲げられている、誰の目にも入るような広告が、ダダ滑りしていたら。想像するだに恐ろしい。
一部のターゲットから好感度を得ることの対価に、「こんなつまらない企業ですよ」とネガティブキャンペーンをしているようなものです。

「笑い」は、もっとも難しく、理解できない感情です。若いころの飲み会のノリや、「接待笑い」を真に受けた勘違いで手を出すと、スベり散らして大事故になるので、やめましょう。

感動=比較的使いやすいが、得られるモノも抑えめ

感動とは、驚きのテクニックやビックリするような事実などの「驚嘆」や「驚愕」と、生き別れの親子が再会したりラブがアースをセーブしたり「ゴン……お前だったのか……」となったりする、「いわゆる感動」をあわせた感情のことです。

例えばチャリティーやボランティアなどの行動を促すことはできます。
あるいは、感動の実話系を売り文句にプロモーションすることもできるでしょう。
ですが、ほかの感情に比べて行動を喚起する力に乏しいのは否めません。原始的な感情ではないため強制力もなく、「感動」したから「すぐに行動しないといけない」わけではないからです。

そのうえで、感動を扱うことの問題点は主に以下の3つです。
1.慣れによるマンネリ
2.そんなにポンポン感動ネタは落ちてない
3.押しつけがウザい

1.慣れによるマンネリ
ユーザーは、簡単に慣れます。センセーショナルな報道によって、最大値は常に上書きされるからです。
「え、がんばったけど2位? 去年の人は1位じゃなかった?」
「え、下町の町工場が世界シェア50%? 前60%のとこあったよね?」という具合に。
似たタイプの感動は、簡単に薄れていきます。

2.そんなにポンポン感動ネタは落ちてない
前回やほかの事例を上回るような、驚きの事実、驚愕の技術、感動秘話。そんなもの、めったにありません。
簡単にネタは枯渇します。その先にあるのは、マンネリか、強要か、捏造か。

3.押しつけがウザい
私は個人的に、これが最大の難点だと思っています。「笑い」が抱えるのと根本的に同じ課題。我々は一人ひとり感動のツボが違うというのに、無理やり同じようなモノを押し付けられると、大変お寒い感情になるのです。

障がい者に無理やり、無理そうな何かをさせて、成功を演出し視聴率を稼ぐ。この手法はなにも日本ばかりのものではありません。海外で人権活動家が「感動ポルノ」であると批判し、一時期話題となりました。
日本でも障がい者を取り上げた番組がこの問題に触れていました。

「感動」は使い方を間違うと、そこそこネガティブな反応を生み出すうえ、人々が「感動慣れ」しているのでネタを探すのが難しい、という欠点があります。
慣れてきたら挑戦してもいいでしょうし、創作の世界であれば「3.押しつけがウザい」を避けながら取り入れて構いません。

続きはその3で!

長くなりました。私は編集がドヘタなので、文章量を削る能力に乏しいのです。すまぬ。同じ過ちを繰り返してしまいました。すまぬ、すまぬ。

続きはその3で↓!

それでは、みなさんに良きクリエイターライフがあらんことを。

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