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大学教員という職の魅力

大学の先生方が、仕事量、学生の質、研究に関する愚痴を語っている記事をよく見かける。納得する部分も、しかねる部分もある。
私は、この職について、もちろん不満なところもないわけではないが概ね満足している。
本記事では、私が感じている大学教員という職の魅力について綴る。

第一に、自分のしたいこと、思い描いていることを、実際に形にできる点だ。研究・教育に関わる中で、既存の価値観や授業の仕方等に対して疑問や物足らなさを感じることが多々ある。それらは、深く突き詰めていくことで新しい研究・教育のアイデアへと変わる。このアイデアを実現するには、言うまでもなく金がかかる。しかし、アイデアを上手に・論理的に研究計画に落とし込み(科研費)、あるいは出版社に持ち込みプレゼンすることで、金の面は何とでもなる。金の工面が付けば、あとは実行に移すだけだ。こうして、新たな研究成果や既存のやり方にとらわれないオリジナルの教科書が誕生する。
研究費や出版社の理解が得られないのであれば、審査側にきちんと伝わっていないか、アイデア自体が大したことなかったかのいずれかだ。いずれにしても、魅力を伝えきれなかった自分の責任であり、それは反省して別の機会に生かせば良い。
とにかく、研究や出版を通して、自分のアイデアを形にできるのは大学教員ならではの利点だと思う。

第二に、社会にはばたく直前の学生の人生に関わることが許される点だ。大学生としての期間は、その学生の人生を大きく左右する。とりわけ、ゼミ活動では、所属学生の潜在能力を引き出しつつ、人生のアドバイスをし、時に共に悔し涙を流しつつ、時に懇親の場で腹の底から笑うことができる。ゼミを巣立った学生が立派な社会人になり、時々顔を見せてくれるようになったら・・・と想像すると、ニヤニヤがとまらない。研究室の長として、学生と密接に関わっていくのは、これまた教員以外で味わうことは難しいだろう。

第三に、研究で食っていける点だ。日本において、研究で生計を立てていくのは大変なことだ。ポストは少なく、大量の博士号持ちが渋滞している。泥沼の戦いである公募戦線において不本意ながら連敗を重ねていると、気づいたら婚期を逃し、その月暮らしの状況も変わらず、高学歴だけが残るといったこともあり得る。一方、大学教員のポストにさえありつければ、とりあえず飯に困ることはない。運良く経営の安定した大学に就職が決まれば、ある程度の高収入も期待できる。無論悩みは尽きないだろうが、少なくとも「生活どうしよう」というレベルの悩みからは解放されることになる。研究で食っていくと決意した者にとって、大学教員職は是が非でも手にしたい身分であろう。

教育負担が多すぎて研究に充てる時間がない、というのも、もちろん負担の程度にもよるが、完全には賛同しかねる。私は、教育は研究のヒントになるものであり、研究は教育の基盤であると考えている。研究者として、教育者として、どちらも欠かすことはできない。教育の負担は、よりよい研究の足掛かりであると思う。綺麗事ばかり書いているのも若気の至りであろうが、今は本当にそう考えている。
研究・教育どちらも欠かすことができない自分にとって、大学教員以上に魅力のある職は今のところ思いつかない。


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