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【大学教員公募・雑文】就職先の確保は重要だが自分を安売りすべきではない

 最近、急激に寒くなってきた。冷たい風が身体に突き刺さる。職場から駅に向かう道中、温かい缶コーヒーを買い、ふと思い出に浸る。
 今では自販機の前で悩むことはない。しかし、2年前、3年前は立場も状況も全く違った。お金に余裕はなく、ジュース一本買うにも悩んだ時期だった。研究室から帰る時、30m先に自販機を見つけ、1週間分の生活費とジュース代を天秤にかけながら自販機まで歩き、立ち止まって数秒悩み何も買わずに立ち去る。そんな日がしばしばだった。

 公募戦士にとって、就職先の確保は死活問題である。多くの人が、ジュースを買うにも迷いながら研究に明け暮れ、ポスト争いを繰り広げていることだろう。こういう生活を続けていると、自信を奮い立たせているプライドはズタズタになり、どこでもよいから早く就職先を決めたいという気になる。生活苦を脱して温かい飯が食えるようになるなら、自販機の前で悩むことがなくなるなら職場は問わないという精神状態になる。
 公募戦士も多様である。なりたての人から10年以上の歴戦の猛者まで、様々だ。何年も戦い疲弊しきっている人に対して、「場所を選べ」というのは酷だ。どこでもいいから早く決まってほしいと願い、本人もそのような心持で就活をすべきだと思う。言葉を選ばずに言えば、もはや選べる立場ではないのだ。
 一方で、公募戦士になりたての若手はどうか。私は、彼らは、自身が活躍できる職場をきちんと選んで就活すべきだと思う。おそらく、公募戦線が骨肉の争いであることは彼らも知っている。若手であっても、現実主義的であればあるほどどこでもいいから早く決めたいと考えるのも納得できる。ただ、大学側にとって、若手は体力・意欲・能力ともに脂ののった人材だ。勢いもある、雑務もこなせる、貴重な人材である。経験重視の公募でなければ、むしろ若手が有利ということも十分にあり得る。若手の公募戦士には特に、自身の優位性についてもしっかりと認識してほしい。自分を安売りしてやたら滅多に応募しまくるのは、今後のキャリアや職場でのモチベーション維持のことを考えるとおすすめできない。
 焦りながらも、自身のプライドを保ちつつ、先方の環境を見極めて応募するかどうかを決める。決して自分を安売りしないこと。

 能力のある後輩が過酷な公募戦線を目の当たりにし、わけのわからない研究所からブラックFランク大学(公開されている財務状況を見れば大体わかる。教員数、人件費、借入金等から大まかな給与や大学の雰囲気は予測できる。)に手を出し始めたのをボーっと眺めつつ、思ったことを書いた。ただし、自分が彼の立場だったら、やはり選んでられないかもしれない。気持ちはよくわかるのだ。
 恩師に、「自分を安売りするな」と言われたことが心に焼き付いている。この言葉に何度救われたかわからない。

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