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前例がないもの

単刀直入、私は書き言葉で記すことや言語化して人に伝えことが苦手である。研究者にとって必要不可欠な能力であると思うが、これが私が向き合うべき現実。就職活動をしていた際、面接官の方に「理想と現実のギャップを認識できればいいよね」とアドバイスをいただいた。心の底からその通りだと身を正して考えた。

その言葉には、勝手に二つの意味があると感じた。一つは自分を客観視しなさいよ、うぬぼれるなよ、ということ。もう一つはゴールから逆算してやるべきことを明確にし、ゴールテープを切るまで継続して努力しなさいよ、ということ。いずれも自分に足りないと直感で感じ、すぐに腑に落ちた。ただここでいう理想や目標はなんですかね。

よくよく振り返れば小学生の頃、幼馴染に憧れて同じバレーボール部に入ったし、同じ高校にも行った。そこでより専門性の高い「知識」に触れたあとは、特に脱線することなくその専攻を細々続けている(バレーボールも週一くらいでやってる)。つまり、幼馴染と同じものに触れてきた、いわゆる幼馴染が「理想」の10代だった。今でも交流はあり、誕生日に本を送ってくれる。

その友人と大学で別々になり、いつの間にか高校時代に専攻していた分野のについて研究をしていた。研究は基本的には前例がないものを扱うことは当然だが、ここで自分の原動力について考えなおした。自分はもしかしたら周りの人との相対的な評価を上げるために動いていたのかも。だから不安定で衝動的になるときがある。理想が人であった10代の思考に捉われていたために、あらゆる事象に対して思考停止していた。

正直に話すと、ピペットマンやメスシリンダーを使う繊細な作業を他人に見られるだけで手が震えてしまうことがある。これが顕著な例。結局他人の評価を気にしすぎているがために、大きく見せようとしていた(不器用なのもあるが)。

もちろん多様なコミュニティの中で生きる以上は逃れられないことではあるが、より中心にどっしり構える原動力、「理想」が必要だと思った。それは「科学」に対して、「文学や歴史背景」に対して、「細胞生物」に対して純粋に知りたいという欲求、知的好奇心を原動力にしようと思った。というか、日々のストレスから逃れるために自然とそうなっていた。

なので、友人から誕プレにもらった本でも読んで、知的好奇心でも満たそうかな。ちなみにタイトルは「高校からはじめるディープラーニング」「ウォール街の物理学者」の二冊。マニアックだが面白そう、、、



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